山へ分け入り、およそ中腹へ差し掛かった頃合いだった。
 辺りに野良仕事の人影はなく、旅人のための茶屋もない。道は左右から押し寄せる木々の隙間を縫うように細く、そのために昼間というのに薄暗く陰っていた。
 遠慮も警戒もなく不意に気配を現した何人もの気配に、身を隠した金吾だけでなく、喜三太までもが嬉しげに唇に笑みを張り付けた。
 行く手を阻むように一人、それを援護する配置に二人。左右に一人ずつ。背後には前方と同じ陣形。そして木々の上にも、およそ三人の気配。
 ざっと見て十一人もの敵襲に、思わず喜三太が手を叩いた。
「すごーい、僕一人に十一人もついちゃった。そんなに風魔と学園が仲良くするのが怖いかなぁ。それとも、僕のことを高く買ってくれてる? にしたって買い被り過ぎだと思うけどなぁ」
 へらりと笑いながらの謙遜に、耳をそばだてていた金吾からため息が漏れる。対多人数のほうが得意な癖にと胸中で愚痴り、自身もそろりと愛刀に手を掛けた。
 懐に忍ばせていた頭巾を取り出し、万が一にも正体が知れぬよう片目を覆うように覆面をする。無論これからの展開を見越し、鼻と口を厳重に覆うのも忘れない。
 敵側は互いにちらりと視線を交わし合い、刀を構えて喜三太に襲いかかる。
「わ、わ、わっ! もう始めるの? 結構せっかちさんだねぇ」
 頭上に振り下ろされる剣先を屈んで擦り抜け、その先で投げつけられる手裏剣を苦無で弾く。一度距離を取ることで息を吐いた喜三太が、状況に似合わぬ柔らかな笑みを浮かべた。
 吹き抜ける風が、柔らかな髪をふわりと後方へと揺らす。
「旅籠ではやめてって言ったこと、守ってくれてありがとうね。まさかホントに来ないとは思ってなかったから嬉しいよ。まぁバレてると分かった上で奇襲をかける人はいないかなぁ」
 笑みとは裏腹に隙を見せない喜三太の言葉に隠れ、金吾が動く。音に聞こえる柔らかな声色に、それでも些かこいつらは馬鹿正直すぎるだろうと口の中で呟いた。
 音を殺し気配を殺して移動し、生い茂る草木に紛れて機を窺う刺客の首筋に手刀を叩きこむ。標的に集中し過ぎていたらしく、一瞬の反撃も出来ず自失し揺れた体を、音の出ぬようにそろりと横たえた。
 お休みと囁き、次へと動く。
「ところでさ、なんでもすぐに力ずくで解決しようとするのがこの時代の悪いところだと思うんだけどね。話し合いする方法ってないの? 疲れるのって嫌いなんだぁ」
 風はそよりと首筋を掠めて、横薙ぎに木々を揺らす。
 喜三太の言葉に敵対者からの返答はなく、代わり、笑止とばかりに四人が同時に仕掛ける。それにまた慌てたように眼を見開き、ともすれば情けなくも思える声を上げた。
 それを聞き、木の上で流星錘を構えていた男の意識を奪ったところで、金吾が慌てて見返る。が、その心配も刹那の内に霧散し。
 掴みかかろうとする手を首の反射で回避し、逆手にとって地面へ引き落としてみせた喜三太を見、紛らわしい声を出すなと苦笑した。
 元より体術は、用具委員経験者のお家芸のようなものだったと安堵する。
「あー、もう! だから疲れるの嫌いっ、なんっ、だってば!!」
 金吾の心配と安堵も知らぬまま。
 喜三太は倒れ込んだ刺客の背に飛び乗り、そのまま手を突いて片足を回転させることで周囲の足元を薙ぐ。横倒れに倒れた複数の影におまけとばかり、着物の一部に棒手裏剣を投げつけて縫い留めた。
 そして踏みつけたままだった男の首筋に、脚絆から引き抜いた針を突きつける。その針先が鋼にはない赤色に輝くのを目に止め、起き上がろうと藻掻いた周囲の刺客の動きが止まった。
「よかった、気付いてくれた」
 ふにゃりと笑い、足の下で呻く男に遠慮なく跨る。
「動かないでね。これ結構キッツイ毒だから、血管に入って一気に回っちゃったらホントに危ないよ? こんなところでいい大人が吐き下しなんてしたくないでしょ」
 耳元でそう囁けば、一瞬ひくりと大きく震えた喉元が一気に汗ばむ。その反応に照れたように笑い、喜三太は嬉しそうにその頭を撫でた。
「このお兄さんってば反応が素直ー。可愛いー」
 はにゃあと崩れる表情を葉の間から盗み見、金吾のこめかみに苛立ちで血管が浮き上がる。
「そこは囁く必要もなければ照れる必要もないし撫でる必要なんて皆無だろ……!!」
 思わず声に出し、今まさに喜三太に向かい吹き矢を向けていた影が驚いたように金吾へ振り向く。その目が間違いなく自分を捉えたことに舌打ちをし、手加減も出来ず居合の要領で相手の腹部に刀の柄を叩きこんだ。
 つまらない失敗をしてしまったことに、自身のことながら頭が痛む。
 まだまだ修行が足りないと反省し、もはや姿を隠してもいられないと悟って草叢を出る。喜三太の丸い目が数度瞬くのと、敵勢が再び警戒態勢をとるのとが同時だった。
 何者かと問われれば、正体を隠すという都合上さすがに言葉に詰まる。
「……いや、その…………ただの」
 不自然な間に、敵と共に喜三太までもが首を傾ぐ。その様子に、さすがになにか言わなければ余計怪しまれるだけだと焦り、ふと、旅立ちの直前に兵太夫が言っていた言葉を思い出した。
 こう名乗れば万が一にも怪しまれることはないと言っていた言葉に半信半疑ながら、もはや迷っている時間も惜しいかと意思を固める。
 まだ胸の内に残る羞恥を抑え込むように、一度息を吸い込み、目を瞑り叫ぶ。
「じ、自分はっ! その子のか、かか可愛さに目の眩んだっ! ただの、つ、付き纏いだっ!!」
 叫んだ声が山中に響き、沈黙がその場を支配する。
 小鳥が木から羽ばたく鳴き声がやけにはっきりと耳に届いた。
 その静けさを受け、金吾は訝りつつも恐る恐ると気配を探る。やはりこの厳重な覆面姿では説得力もなかったのだろうかと、懸念しつつゆっくりと瞼を開くと。
 ダメな人間を見る時の目が、物も言わず自分に注がれていた。
 その視線に、金吾までもが沈黙し。
「あぁあああああ、また騙されたぁああああ!!」
 次の瞬間、羞恥に耐え切れず崩れ落ちる。そのあまりの動揺ぶりに、思わず人として慰めの言葉を掛けようとした敵勢に、金吾はゆらりと立ち上がり、涙目で睨みつけた。
「……とりあえず全員今すぐ記憶をなくせ」
 地の底を這うような声で呟かれた言葉に尋常ならぬ殺気を感じ、同情も忘れて臨戦態勢に入る。抜き身の刀を構えてじりと距離を詰める金吾との間合いを測り、互いに機を窺っている時だった。
 辺りに薄く、霧と見紛う風が吹く。
 それは霧のように冷たくはなく、風が吹く度に濃さを増す。風向きが変わったのか、先程までは山頂に向かい、そして横薙ぎに吹いていたはずの風は、今や麓へ向かって吹き降りていた。
 喜三太のいる方角から、自分のいる側へ。
 その見知った状況に金吾は怒りも忘れて血の気が引き、極限まで火縄を短くした煙玉に打竹で火をつけ、叩きつけて姿を隠す。
 息を止めたまま草叢を抜け、木々の枝を飛び移り、足早に風上へと回り込んだ。
 見返れば、先程まで自分のいた場所は毒キノコの粉末で白く濁る。
「…………危なかった……」
 一瞬で肝が冷える思いからなんとか離脱したことを確認し、山道へと降りて心の底から安堵の息を吐く。喜三太のやり方を嫌というほど経験してきたことを、この瞬間ばかりは感謝した。
 声に、毒粉の袋を二つ開いていた喜三太が金吾へと視線を移す。
「……あにゃ、残念。付き纏いさんが気付いちゃった」
「付き纏いって言うな!」
「そう名乗ったのはそっちなのにぃー」
 さも可笑しそうに肩を揺らす姿に、そういえば間近に笑顔を見るのはひと月ぶりなのだと思い出す。その笑顔の変わらぬ柔らかさに思わず手を伸ばしかけるも、今はまだ仕事中と気付き、自身を律した。
 代わり、気を逸らそうと未だ濛々と揺れる煙へと目を向ける。
「ちなみにその粉は毒キノコかな、旅の人」
「ご名答ですねぇ、付き纏いの忍者さん。幻覚を見せるセンボンサイギョウガサと、男の人にはキッツイ痛さの、ドクササコの粉です」
「ドクササコって。……どんな作用が?」
「手足と、男の人にしかないモノが物凄く腫れ上がります。泣くほど痛いと評判だったよー」
「……お前はホントに酷い奴だ」
「今頃あの人達は、ものすごーく怖い幻覚見てるだろうねぇ。しばらくはヤラシイ事もしたくないんじゃない?」
「お前は本っ当に酷い奴だ」
「はにゃあ、二回も言われちゃった」
 反省もない様子でへにゃりと笑う喜三太に呆れた溜息を漏らし、巻き込まれなかった幸運と、今まさにそれを体験しているであろう相手の不幸にそっと合掌する。それを見る喜三太はまた嬉しげに笑みを見せ、さてとと膝の埃を払ってみせた。
「僕はお仕事があって、もうちょっと先まで行かなきゃいけないんだけどさぁ。あなたはどうする? 付き纏いの忍者さん」
「付き纏いって言うなっ! ……いや、その、自分は……」
 言い淀み、こうなった場合どうしたものかと思案する。それを面白そうに眺める喜三太の表情にまた困惑し、こうなればまた隠れて護衛するべきかと決めた。
「……自分は、別の用事が」
「まぁまぁ、そう言わずに。ご一緒にいかがですかね」
 言葉を遮るように聞こえた第三者の声音に、金吾の手が咄嗟に刀にかかる。
 声の落ちてきた木を睨みつけるように身構えると、見上げた先にある見慣れた面々に不意に力が抜けた。
 喜三太も気付き、満面に喜色を浮かべて手を振る。
「庄左ヱ門、伊助! 乱太郎にしんべヱも! うわぁ、久し振りー!!」
「本当に久し振りだね喜三太、元気そうで良かった。 そろそろここいらを通る頃だろうと思って、迎えに来たんだよ。仲間に加勢して頂いてありがとうございました、覆面の方」
 他人に対する笑顔を見せる庄左ヱ門に、金吾はバツが悪そうに視線を逸らす。この級長が自分の忍務を知らないわけがないと思いつつ、となればこれは、あくまでも他人を決め込もうという気遣いなのだろうと解釈した。
 しかし、ふと耳に入った微かな他の声音に気付き、怪訝に眉間を寄せる。
 喜三太は既に、木から降りた仲間達と久方ぶりの談笑に入っていた。
 金吾の表情に気付き、庄左ヱ門が苦笑を浮かべる。
「……声を出してないだけでも許してやってくれ」
 ぼそりと呟かれた言葉にまさかと訝しみ、ちらりと庄左ヱ門が視線を走らせた草叢を覗き込む。
 そこには痙攣を起こしたように倒れ込んでいる五つの人影があった。
「…………きり丸、団蔵、三治郎、兵太夫、虎若……」
「ぶはっっ!!」
「あっはははははははははははははははは!!」
「ダメな人だ!! ダメな人がきたよ兵ちゃんっ!!」
「まさかっ! ホントにっ! 言うなんてっっ!! ヤッバ、おま、超面白い!! 最っ高!!」
「も、ヤバ、腹、腹痛くて立て、立てない……っ!!」
 名を呼べば振り向き、金吾の顔を確認するや否や揃って噴き出す。それだけならまだしも堰を切ったように声を上げて笑いだし、あまつさえ指を差して文字通り抱腹絶倒するその姿に、羞恥と怒りが混濁した。
 もはや赤を通り越して黒ずんだ顔色で、金吾は刀を抜刀した。
「お前らそこで刀の錆になれぇええええええ!!」
「こらこらこらこらぁー!!」
「しんべヱー! この人抑えてー!!」
「はいはーい」
 咄嗟に抑えつけにかかった乱太郎と伊助がしんべヱに代わり、振り上げた刀を抑え込む。まるで獣のように唸り声を上げる金吾を尻目に、その横を擦り抜けた庄左ヱ門と伊助が、五人に拳を振り下ろした。
 頭にこぶを作り、次の瞬間には正座が並ぶ。
「父ちゃん母ちゃん、ごめんなさいでした」
「はい、もう笑っちゃダメだよ」
 声音を揃えての謝罪に、庄左ヱ門がにっこりと了承する。未だ興奮冷めやらぬ金吾はしんべヱをはじめとした三人が宥め、喜三太はその隣で面白そうに様子を眺めていた。
 それを見、庄左ヱ門が溜息を吐く。
「せっかく知らぬ存ぜぬを押し通して現状のまま行こうと思ってたのに、台無しだなぁこれじゃ」
 肩を竦める庄左ヱ門に、正座の五人が互いに視線を交わし合い、申し訳なさげに肩身を狭める。けれどそこに歩み寄って来た喜三太が、やんわりとした笑みを浮かべて級長の顔を覗き込んだ。
「なんかよく分かんないけど、あの人と僕は一切面識がないけど、他の皆はよく知ってる人なんだね。……ってことでいいのかなぁ? 庄左ヱ門」
 言葉に、庄左ヱ門の目が瞬く。見上げてくるふにゃりとした笑顔につられたように柔らかく目元を緩めると、まぁそれでもいいかと頭を掻いた。
 いいのかよと突っ込んだきり丸に、いいのいいのと手を翻す。
「じゃ、喜三太。あの覆面の付き纏いさんに、一緒に学園まで行きましょうって言ってきて」
「はーい」
 元気に手を上げて走っていく喜三太の後ろで、付き纏いの言葉に反応してしまった五人がまたこみ上げる笑いに肩を震わせる。それを拳を見せることで黙らせ、庄左ヱ門は遠くを見るような目で二人を見た。
「……あの二人のために僕らが持って行ける及第点は、きっとこれが最高値だ」
 呟かれた言葉に、そうだなと誰ともなく同意が返る。それに目を閉じ、さてでは学園にお邪魔しようかと笑みを漏らした。
 その耳に、喜三太の声が飛びこむ。
「一緒に学園まで行こうー! 金」
「言っちゃダメだ喜三太ー!!」
 昼にも差し掛かろうかという山中、幻覚に惑う幾人もの影のすぐ傍で、賑やかなツッコミが木々を揺らした。



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