――― 参 【夢枕】
最初に言っとくけど、これはホントにちょっと不思議だったってだけの話だからね。僕にとっては怖い話だったけど、それがどんな日だったかとかも覚えてないぞ。
それでもいいね?
うん、ならいい。
まぁ簡単に言っちゃうと、カラクリが僕らの部屋の前に落ちてたってだけなんだ。
不思議でもなんでもない? ただの落とし物?
うん、僕も最初はそう思ってた。
でもここからなんだ。
落し物があってその持ち主が絞り込めてるなら、みんなどうする? 届けに行くよな?
僕もそうしたんだ。もちろん、は組一のカラクリ技師様の所にね。
「兵太夫ー、いるー?」
魔窟に足を踏み入れるのは極力避けたかったからね、木戸の外から声を掛けた。
は? 呼び方が酷い?
だったら他人が踏み込んでも安全な部屋にしろよ、じゃなきゃあそこはどう考えても魔窟だよ。
でさ、まぁ当然のように兵太夫が顔を出してね。
「伊助? どうしたのさ、用があるなら開けてくれればいいのに」
「この部屋の戸を? 無茶言うなよ、怖くて勇気が出ないってば。それよりこれ、兵太夫か三治郎の作ったカラクリじゃないの?」
そう言ってね、カラクリを差し出したんだ。
箱の上に女の子の人形が乗っているカラクリでね。
どうやって動かすのかも分からなかったんだけど、兵太夫は見たとたんに思い当たったみたいでさ。
「あぁ、それ! 昨日地下カラクリの点検中に見つけてさー。表面の埃を払って片付けたはずだったんだけど、……どこにあった?」
「僕らの部屋の前に落ちてたよ。三治郎が持ち出したんじゃない?」
「三治郎が? んー、可能性は低そうだけど……けどまぁ外にあったならそうなのかなぁ。届けてくれてありがとうね、伊助」
お礼を言われて手を振って、それで無事にその日は終わったんだ。
だけど次の日にね。
「……あれ?」
委員会から帰ったら、部屋の前にまたあのカラクリが落ちてた。
落ちてたって言うのもおかしいな。今度はちゃんと、置かれたみたいに真っ直ぐ部屋に向かってたんだよ。
でね。これはもしかして、兵太夫のイタズラなのかなぁと思ってさ。
「兵太夫ー!」
今度は躊躇するのも忘れて、兵太夫達の部屋の戸を開けたんだ。
そしたら三治郎も揃って、キョトンとした顔しちゃってさ。
「なに、どしたのそんな顔して」
「団蔵達の部屋がまた汚かったとかー?」
なんて言うわけ。
いつもならまたしらばっくれてんだろうなぁと思うんだろうけどさ、二人ともホントに知らないみたいなの。
で、あれーっと思ってね。
「あ……いや、えっと……。これ、また僕らの部屋の前に置かれてて……。イタズラで置いたんじゃないの?」
濡れ衣で怒ったんだとしたら申し訳ないなぁと思ってさ、こそっと差し出したんだ。
そしたら、兵太夫ってばめちゃくちゃビックリしてね。
「え? あれ、嘘!? それは昨日の内に、ちゃんと元の場所に戻しといたよ!? 三ちゃん、これ持ってった?」
「コレ、兵ちゃんが昨日話してた奴だよね。地下二階の和室に置いたんだっけ? 残念ながら僕じゃないよー」
「……ウソだぁ。なにそれ、怖くなっちゃうじゃないか」
怖いよね、正直。
だってカラクリ部屋の地下二階なんて、兵太夫と三治郎以外が内緒で行ける場所だと思う?
音もするし、きっと迷う。無理だよ到底。
でも二人には覚えがない。
なんか薄ら寒くなっちゃってさ。
「まぁ、うん。知らないならいいよ。とにかく返したからね」
押しつけるみたいにして渡してから、慌てて部屋に戻ったよ。だってなんか気味が悪いだろ?
その後はしばらく背後が気になって仕方なくってさ。
情けないって? みんなだって実際に体験したらそうなるよ!
僕はその日、暗い所に一人でいられないくらいに怖かったんだから。
恥ずかしい話だけど、翌日の焔硝蔵の当番だって三郎次先輩にお願いして一緒に行ってもらったくらいなんだからね。
散々冷やかされたけど、事情を話して怖い思いのお裾分けをしたからいいんだ。
夜だって庄左ヱ門に窘められるくらいだったけど、……まあそれはもういいや。
それでまぁ、次の日、先輩に一緒に行ってもらった委員会の後だよ。
「―― ヒッ……!」
そう。
またあったんだよ。
次は部屋に入ってすぐの場所に。
もうね、こうなったらもう完全にパニックだよ。躊躇する時間さえないよ。
真っ先に兵太夫達の部屋に逃げ込んだの。
「兵太夫! 兵太夫! 兵太夫!!」
「伊助。……あのカラクリのこと?」
「やめて、ホントやめて!! もしイタズラだってんならホントにやめて! 僕がなんかしたんなら謝るからホントにやめて!?」
半狂乱だよ。本当にね。
この時何を言ったのかあんまり覚えてないくらいなんだ。確かこんなことを言ってたと思うんだけど……。
へ? 入った途端に謝りまくって泣きわめいてた? そうだっけ?
……まぁほら、細かいことは気にするなってことでさ。
とにかく喚き散らす僕を、兵太夫は真剣な顔つきで慰めてくれてね。
「落ち着いて伊助。自分で作ったものだけど、怖いのは僕も一緒だよ。だから落ち着いて聞いてくれる?」
本当に真面目な顔でね、兵太夫が僕の肩を掴んで言ったんだ。
「二日連続であんなことがあったから、今日は三治郎に内緒で別の場所に片付けたんだ。普段なら地下二階の和室に置いてあるんだけどね、今回は地下四階の、買い溜めた炭を置いてある部屋に片付けたんだ。そこまで行くと、よっぽどのことがない限り僕も三治郎もなかなか入らないから。……でも、またなんだろ?」
兵太夫の神妙な口調に、僕は何度も頷いた。
だって怖くて仕方なかったんだ。なにかそういうモノに祟られるようなことをしちゃったのかと思ってビクビクしてた。
でもね、そんな僕を相手にしてコイツはなんて言ったと思う?
「だからね伊助。今日は一日、あの子を預かってやってよ」
神妙な顔で、だよ。
ものすごーく神妙な、これ以上なく真面目な顔でそう言ったんだ。
一瞬、僕は理解することも出来なくてさ。
ようやくそれが脳みそに届いた時、当たり前だけどものすごーく嫌な顔になったよ。
「は……はぁああああああああ? は? なんで? どうして? なんでそんな結論になったんだよ!」
「や、待って待って伊助、だから落ち着いて! 怖い! ガラの悪いお兄さんみたいになってる!!」
兵太夫の言葉通り、今考えるとホントにね、ゴロツキみたいに睨んじゃってたなーと思って反省の一つもしてはいるんだけど。
でもその時はさ、怖さでまだ混乱してたんだよね。だからちょっとくらいは許してほしいな。
それでね。
僕の情緒が不安定なのを宥めながら、兵太夫はバツが悪そうに説明を始めたんだ。
「あのね、これは実は僕の意見じゃなくて三治郎の意見なんだよ」
「……三治郎のぉ?」
皆も知っての通り、三治郎は山伏の子だからね。そういうモノに対する対処法もまぁ知ってはいるんだろうと、その時も思えはしたんだ。
でもだからこそ、お祓い的な手段をとらずに僕らの部屋に一晩置こうって考えが理解できなくってさ。
そりゃもう、胡散臭い顔で聞き返したんだよ。
まぁその心情も、兵太夫は何となく分かってたみたいなんだけどね。
困った顔して笑ってさ、言葉に詰まるみたいにして頭を掻いたんだ。
「そう言いたくなる気持ちも分かるよ。もしこれが僕の身の上に起こった話ならって考えたら、やっぱり気味が悪いだろうしさ。けど三治郎が言うには、こいつから悪いものはなんにも感じないから、もし今日もまた同じことがあったなら一日様子を見るのがいいんじゃないかって。委員会中に伊助が来たらそう言ってくれって言付かってたんだ」
「……悪いものは感じないって……じゃあなんで僕の所に来るのさぁ……」
三治郎が言うならそうなんだろうとは思っててもさ、こっちとしては半泣きだよ。だって唯一どうにかできる可能性がある奴に突き放されたようなもんだしさ。
それをやっぱりまた困ったような顔で慰めてね、兵太夫は僕を部屋まで送ってくるわけ。
「その理由が僕らじゃ分からないから、伊助の所に預けるんだよ。庄左ヱ門もそろそろ帰ってくる頃だろ? あの子のこと、そう邪険にしてやらないでよ。なにかあったら呼んでくれればすぐに行くから」
「ホントぉ?」
「ホントホント。だから頼むね」
ちょっとばっかり無責任っぽい言い方が気になったりはしたんだけど、ちょうど廊下の端に庄左ヱ門も見えたし、これ以上食い下がるのもどうかと思ってね。仕方ないから引き受けたよ。
でも庄左ヱ門と一緒に木戸を開けてさ、やっぱり泣きそうになった。
だってね。
「……勘弁しろよ。なんでさっきは部屋の中を向いてたのに、今度はこっちを向いて待ってんのさ」
そう。
その人形のついたカラクリは、僕らを待っているようにぐるっと反転して置かれていた。
「これ、伊助が昨日話してたカラクリ? 兵太夫に返したって言ってなかったっけ」
「え。あ……今日一日、ちょっと預かってくれって言われてさ」
「ふーん? また変なイタズラとか考えてなきゃいいけどね」
庄左ヱ門はそうやってケラケラ笑ってたけどさ、こっちとしては気が気じゃないよね。
だってずっとそこに置いとくわけにもいかないでしょ? つまり持たなきゃいけないでしょ?
ホントね、逃げたかったよ。持つどころか、出来るなら触りたくないもの。
でもあんまり弱音を言うのもさ、ね? カッコ悪いからさ。
触ったよ。持ったよ。それで僕の机の上に置いたよ。
分かる? カラクリの視線がさ、僕を真っ直ぐに見てくるんだよ。真っ直ぐに。
「ヒッ……! ぐ、ぅぐ……! こ、怖くない怖くない……、大丈夫だ……!」
必死に言い聞かせて、それからは出来るだけ見ないように、考えないようにしてたんだ。
それでも視線って感じるよね。特に必死な、なにかを訴えるような目ってのは。
ようやく就寝時間になった頃には、もう神経使い過ぎてヘトヘトなわけ。
ありがたいことにそれまで変わったことはなかったから、危ないわけではなさそうだと思えててね。ちょっと安心してたのか、布団に入ったらもう、すぐに目を開けていられなくなっちゃって。
庄左ヱ門におやすみを言った直後かな、ぐっすり眠りこんじゃったんだ。
そしたらね。
長い黒髪の、橙色の着物を着た女の子がうずくまって泣いてる夢を見たんだ。
ぐすんぐすんって、背中を向けて泣いてるんだけどね。でも何度も顔を擦ってるから、あぁ、大泣きしちゃってるんだなと思ってさ。
女の子が泣いてるのを放ってもおけないし、そろっと声を掛けたんだ。
「どうしたの? なにかあった?」
驚かさないように、本当に気を使って声を掛けたんだ、夢の中なのに変だよね。
でもその子は、泣きながら僕を振り返ってね。
「あのね、きれいにお掃除してほしいの。髪の毛やお顔だけは綺麗にしてもらったんだけどね、それじゃ私、動けなくってね」
「掃除? お風呂や髪結いじゃなくって?」
「うん、お掃除。私の中をね、お掃除してほしいの」
……言ってて今さらちょっと怖くなってきちゃった。
中を掃除してほしいなんて、どう考えても人間の言うことじゃないもんね。
だけど夢の中って不思議なもんで、そういう不自然なことも全部、そういうモノだと思い込んじゃってるところがあってさ。
まさにその時もそんな感じで、そっかーなんてフツーに受け止めちゃって。
「そうだなぁ。掃除なら得意だから、僕でよければしてあげたいんだけど……でも女の子の体の中なんて恥ずかしくってできないや」
誓って言うけど、別にいやらしい気持ちとかはなかったからね! 本当に!
むしろ遠回しに申し訳なさを伝えたつもりだったんだよ、僕は。
なのにその子はものすごく嬉しそうな顔をしてね。
「本当に!? 嬉しい! あなたにお掃除してもらいたかったの! だってあなた、とってもとってもお掃除が上手なんだって聞いたもの!」
って言うんだよ。極上の笑顔でね。
そんな顔されて断れると思う? 僕はね、かなり親しい友達にだって断れる自信はないよ。
だから思わず、思わずなんだけどね。
目を泳がせて、かなり困った顔をしていたとは思うんだけど……いいよって言っちゃったんだ。
そしたらその子は凄くいい笑顔でね、ありがとうって笑ってさ。じゃあ待ってるって言って消えちゃったんだ。
僕はその直後に飛び起きてね。
「……君、だよね? さっきの」
みんなもう分かってるよね。
そう、兵太夫から預かってるカラクリについてる女の子の人形は、長い黒髪で橙色の着物だった。
すぐに起き出して、彼女を持って兵太夫達の部屋に行ってね。寝ていた兵太夫を叩き起こしたんだ。
「兵太夫! 兵太夫ってば、起きろよ!!」
「……ん……んー? 伊助ぇ? なぁにこんな時間に……」
「寝ぼけてないでちゃんと起きて! この子、中を開けてバラしてくれよ! 掃除するから!!」
「掃除ぃい?」
でっかい欠伸しながら、なにもこんな時間にまで掃除なんてとかブツブツ言いながらね、寝ぼけ眼を擦ってカラクリを開いてくれたよ。
「ふぁ……。これでいーい?」
「うん、充分。ありがとうね」
そのまま布団に倒れて寝ちゃった兵太夫を起こさないように部屋を出てね、廊下で灯りをつけて掃除を始めたんだ。
カラクリ自体はよく分からなかったんだけどさ、目を凝らしたり、紙縒(こよ)りを突っ込んだりして、まぁ何とかなったよ。
そしたらパッと見には分からなかったんだけどね、歯車に大きな綿埃が引っ掛かってたんだ。
「うわ! こんなもんが挟まってたのかぁ……。コレ、朝になったら本格的にバラして歯車ごとに磨いたほうが良さそうだなぁ。じゃあ他に、出来そうな部分はっと……」
なんだか眠気も吹っ飛んじゃってねー、結局朝までカラクリの掃除を続けてたんだ。
最初に起きてきた金吾にはものすごくビックリされたけど、兵太夫が起きた後は手伝ってもらってね。
朝ご飯を食べる頃には、中も外もピッカピカだよ!
……まぁその辺りになって、急に眠気がきたんだけどね。
なんにせよ綺麗になったのを見届けてから、しょぼしょぼの目でそのカラクリ人形の頭を撫でてさ。
「おつかれさまー……きみもねむいよねぇ。ぼくもねむいんだけど、そうじ、これでいいかなぁ……」
呂律は回ってなかったと思うから、他の人がちゃんと聞き取れてたのか謎なんだけどね。
とにかくそう言ったら、人形がぱたんとお辞儀したんだ。
「あ、動いた動いた! この子はねー、頭の後ろを押すとお辞儀するカラクリなんだー。結構いい出来でしょー?」
兵太夫は嬉しそうにそう言ってたけどね、僕には掃除のお礼にしか見えなかった。
それ以来、あのカラクリが僕の部屋の前に来ることはなくなったよ。むしろ、たまにぼくが見に行ってるくらい。
さっきの金吾の話に出てきた刀ほどの力はないんだろうけど、中に埃が溜まってるのよっぽど嫌で僕に助けを求めてきたんだと思う。
だからやっぱり掃除って大事だなと思った一件でした。
おしまい。
■ □ ■
話が終わった後、兵太夫は深々と溜め息を吐いた。
「そのあと、伊助ってば僕らのカラクリをぜーんぶ、ぜぇええええええんぶ! 引っ張り出してさぁ。片っ端からバラさせて掃除させたんだよ。あれは僕らにとっても悪夢だったね。ねぇ三治郎?」
「うんうん! でも伊助からしたら当然だと思うよー。だって、兵太夫が手入れをサボったせいでちょっと怖い目に遭っちゃったんだもん」
「だってそんな理由とは思わないじゃないかー」
軽快に笑い飛ばしながらも伊助に理解を示した三治郎の言葉に、兵太夫はほんの少し不貞腐れた様子で唇を尖らせる。
しかしそんな話になにか思い当たる節でもあったのか、兵太夫達以外のは組全員がどこか居心地悪そうに目を泳がせて肩身を狭めていた。
「……それってさぁ」
「伊助が一部屋につき三日間かけて掃除指導したあの事件と……関係あったりする……?」
恐る恐る口を開いたのは、きり丸と虎若だった。
二人ともことさら気まずそうに目を逸らし、しどろもどろと言葉を紡ぐ。
無論伊助はその理由を理解しきっているらしく、鼻を鳴らして返答した。
「そうだね、ちょうど最初の部屋……乱太郎達の部屋に押し掛けた前の日の話。みんながきちんと掃除しないからって理由で僕が怖い思いするのなんて、どう考えたっておかしいだろ? だから事前策ってやつ」
言いながら庄左ヱ門以外の全員をくまなく見据えていく伊助は、それぞれの部屋によほど何か思うところがあったらしい。
そしてその目線を向けられた面々も、やはり相当に後ろ暗いことがあったのかだらだらと冷や汗を流し続けていた。
しかしそれを笑い飛ばし、庄左ヱ門は手を翻す。
「まぁまぁ。それはそれとして、別の話をしようよ。なんなら今度は僕が話すから」
「ホント!?」
困り眉で切り出された言葉に、何人もが渡りに船とばかりに歓喜の声を上げる。気まずい話題を逸らす目的もあるのだろうその喜び様に庄左ヱ門も嬉しそうに目を細め、じゃあねと一度咳を払った。
→四 【鬼蛭】
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