――― 弐  【付喪神】





 怖くなくっても文句なんて言うなよ。自信ないんだから。
 ……虎若と二人で、用具倉庫の掃除当番になった日の話なんだけどさ。
 ほら、団蔵がご実家の都合で近江に帰ってた日があったろ? あの日だよ。
 掃除なんて言ってもほら、毎日当番は回ってくるわけだしさ。そんなに汚れてはいないんだよね。
 ……うん、伊助に言わせると違うんだろうけど。申し訳ないことにその、僕らはさ。当番になった場所はきちんと隅々まで綺麗にしなきゃって考えには及ばないっていうかその、とりあえず床に落ちてるものだけ掃いとけばいいかーっていうかその。
 いや、うん、その点はほら、今はね、いいじゃん。
 ごめんって。余計なこと言ったって。
 でさぁ。
 あ、えっとどうしよう。この話をしようと思ったら、伊助が怒りそうなことを言わなきゃいけない気がするんだけど。本当に言っていいの?
 本当? 諦めてるって? え、それはそれでちょっと悲しい。
 けどまぁうん、今はそれでいいや。
 それで続きなんだけどね。
 掃除もとりあえず見えるところは終わらせて、用具倉庫の中で遊んでたんだよね。
 やっぱり普段の授業ではあんまり長居することもないじゃん。僕らの授業じゃまだ使わせてもらったことのない忍具とかもあったりするしさ。
 それでまぁ変な話、プロ忍ごっことかしてたんだけどね。
 あ……土井先生達には内緒だよ?
 でね。隅っこのほうにさ、数打ちがいっぱい立てられてるのを見つけたんだ。
「ねぇ虎若、これってなにかな」
「どれー?」
「ほらコレ」
 その数打ちはさ、束になって傘立みたいな物に立てられてたんだよ。
 僕らが剣術の授業で使うのって木刀だろ?
 先輩達の授業は詳しく知らないけど、六年の先輩達は自分の得意武器で戦ったりしてるしさ。
 授業でもそうなんじゃないかと思ってるんだけど、だったらこれは? って話になるじゃん。
「埃、被ってるね。何に使うんだろう」
「みんなここだけ掃除してなかったのかな? 変なのー」
 変だね、変だねって話をしながら、一振り鞘から抜いてみたわけ。
 そしたら刃が潰されてたんだよね。
 あれ、おかしいなーと思ってもう一振り抜いてみてもやっぱり同じ。
 どうもここにあるのは斬れない……違うな。斬らないようにした刀ばっかりなんだねって話して、戻そうとしたんだ。
 そしたらさ。
「……あれ?」
「どうした?」
 離れないんだよ。刀が。手から。
「…………虎若、どうしよう。コレさ、手から離れないんだけど」
「はぁ!?」
 鞘には収まったんだけどさ。いざ元の場所に戻そうとしたら、柄を握った手が動かないの。
 パニックだよね。だってそんなのバレたら、真面目に掃除してなかったのがバレバレじゃん。
 なのに虎若はそれを冗談だと思ったみたいでさ、まだケラケラ笑ってるわけ。
「金吾、それ面白くないよー。そんなの早く片付けて、次は火縄銃見ようぜ、火縄銃!」
「ホント好きだね、虎ちゃん……って、冗談なんかじゃないんだってば! 頑張って手を開こうとしてるんだけどっ! ……ほら、開かない」
 ホントに力いっぱい頑張って開こうとしたんだけどね、指先一つ動かないんだ。
 必死にやったもんだから顔が真っ赤になったけど、それで虎若もどうやら本当らしいって信じてくれたみたいでさ。
「え……ホントなの?」
「うん……」
 二人して顔面蒼白だよ。
 その後はとにかく頭の中がぐちゃぐちゃでさ。黙って考え込んじゃったよね。
 手をじっと見てみたって指が動いてくれる気配はないし、かといってそのままだと困るって言うか、まさかずっとこの刀を持ったまま生きてくの? なんて考えちゃって。
「……どうしよう虎若、このままこれを握って生きていくとかなったら」
「大丈夫だよ、そんなことにはなんないって」
「断言なんて出来ないだろ!」
 せっかく虎若が慰めてくれようとしたのに、それも撥ね付けちゃってね。今考えると申し訳なかったよ。ごめんね虎若。
 でもそのときは本当に余裕なんてなかったから、もう悪いことばっかり浮かんじゃうわけ。
「刃の潰れた刀が手から離れないなんて……。剣術の練習は出来るかもしれないけど、大人になったら竹光持ちより酷いとか言われそうだし、握ってるのは右手だからご飯を食べるのも……。あ、それにお風呂とかどうしたらいいんだろう。部屋の掃除も不便そうだし、寝返りとか打てるのかな……」
「ぷっ……! おいおい金吾、落ち着けって。とにかく今は余計なこと考えるなよ。どうやったら手から離れるかだけ考えよう?」
 ろくなことを考えなかったから、逆にそれがちょっと笑えたのかもしれないね。虎若に軽く背中を叩かれて、やっと少しだけ頭を落ち着けたんだ。
 だけど不安なのはやっぱり変わらなくってね。暗ーい顔をしてたんだと思う。
 そしたら虎若が、よしって呟いて刀の鞘と柄を握ってね。
「僕が刀を引っ張るから、金吾は踏ん張って。腕が外れそうになっちゃったら中止しよう」
「分かった」
 僕は用具倉庫の中に掛けられてる縄を持って、虎若に右手を差し出した。
 せーのの合図で、お互いに反対側へ力を入れたんだ。
 僕も必死に踏ん張ったし、虎若も筋トレしてるだけあって物凄い力で引っ張ってくれたんだよね。
 普通さ、力いっぱい引っ張ったらだんだん指が緩んでくるはずだろ?
 ましてやこっちは放そうとしてるし、刀の柄はそんなに細いものでもない。強い力で、持っている手の場所を挟むようにして引っ張られたら……どんなに抵抗したって取られちゃうはずなんだ。
 なのに何度挑戦しても、僕の指は頑として刀を放そうとしなかった。
 最後には二人とも疲れ切っちゃってさ、へとへとになって座り込んじゃってね。
 もういいやーって。このままこの刀と一緒に生きていくしかないんだーなんて、諦めそうだったときにね。
 用具主任の吉野先生が、掃除が終わったのを確認しにいらしたんだよ。
「そろそろ掃除の時間も終わりですが、進み具合はどうですかね? 今日の掃除当番は一年は組のはずですが……おや」
 いや、まぁバレるよね。そりゃバレるよ。
 ただの掃除をしてたにしては二人とも疲れ切ってて、へたり込んでぜーぜー言ってるしさ。
 なんてったって僕の手には、普通に掃除をしてたら持ったりしないはずの刀を持ってるんだもん。
 怒られるって思ったよ。
 は? 人生を悲観してた割には呑気だって?
 多分ね、役に立たない刀を持って生きていくことになるかもしれないこれからの悲しい人生を考えるより、掃除中に遊んでいたことを先生に怒られるほうが、その時の僕にはものすごーく怖いものだったんだよ。
 そういうもんなの!
 でね、吉野先生はちょっと困った顔をなさってさ。
「金吾くん、この刀を抜いたでしょう。ちょっと目につかない場所に置いたつもりでいたんですがねぇ……やはり、もう少し考えるべきでしょうか」
 なんてさ、怒られると思ってビビってる僕らのことなんて気にもしないで、なんか考え始めちゃって。
 僕らとしてはワケ分かんないじゃん。だからさ、怒られるのを覚悟して聞いてみたわけ。
「あの……吉野先生。この刀、なんなんですか?」
「まさか呪いの刀とか……?」
 今まで口には出さなかったけど、虎若も僕と同じこと思ってたんだなって思ったよ。
 だってそうとしか思えないだろ? 手から離れなくなる刀なんてさ。
 でも吉野先生はにっこり笑って、ゆっくり首を振ってね。
「いいえ、そんな怖いものではないんですよ。そんなものがあったら、さすがにこんな場所には置いておけませんしねぇ。……あぁ。食堂のおばちゃんの所にある、包丁の極楽丸は別ですね」
 ホントにニコニコしてそう仰るから、じゃあ怖いものではないんだろうなぁって思ったんだけどね。
 でも、だったらこれはどういうこと? ってなるじゃん。
 二人で顔を見合わせてさ、考え込んだわけ。
 そしたら吉野先生がね。
「この刀達はね、少しばかり寂しがり屋さんなんです。君達一年生から三年生は、剣術の授業で木刀を使うんですがね、これは四年生から六年生の剣術の授業で使う刀なんです。でも知っての通り、四年生になるとみんな自分の得意なものが出来てきます。だから、なかなか使われる機会が少なくなってしまいましてねぇ」
 ちょっと寂しそうな、可哀想なものを見る目だったよ。
 って言っても暗い倉庫の中のことだし、吉野先生は目が細いからよく分かんなかったんだけどね。
 でも僕も虎若も、あんまり意味が分かんなくってさ。
「それで寂しがり屋さん、ですか?」
「……ごめんなさい。よく分からないです」
 首を傾げて言ったら、吉野先生はもう一振り取ってね。虎若に渡したんだ。
「君達も出番を待ってワクワクしていたのに、別の誰かに役をとられてしまったら寂しくないですか? それと同じです。誰かに使ってもらいたいんですよ、この刀達は。だから使われずに戻されそうになると、使ってほしいんだと主張して離れなくなるんです。手入れをしていた小松田君がよく被害に遭って困っているんですよ」
 そう言って虎若に刀を抜くよう指示なさった。
 もちろん、そこまで言って頂けたら僕らにも理解できたよ。
 つまり剣術の練習をしたら、刀は手から離れてくれるってことだもんね。
「虎若」
「うん」
 頷いて、倉庫の裏に回ってね。二人で一通り剣術練習だよ。
 まぁ練習って言っても、僕は本気だったけどね! そんで勝ったけどね!
 ……笑わなくてもいいじゃん。
 まぁ、時間にしたらほんのちょっとだよ。掃除時間ももうすぐ終わるから、四半刻もやるわけにはいかないしね。
 なのに虎若ってばヘロヘロになっててさ。
「っはー、疲れたー! 金吾本気なんだもん! 受けるので精一杯だよー」
「剣術じゃあ負けるわけにはいかないしねー。でも、掃除の時間にやることになるとは思わなかったー」
 笑って地面に転がってさ、上がっちゃった呼吸を整えてたの。
 そしたら。
「……あ、取れた」
 いつの間にか、手から刀が転がり落ちててね。
 最初はポカンとしたけど、だんだん解放感が湧いてきてさ。
「や……やったぁー!!」
「良かったー!」
 二人で歓声上げて抱き合ったよ。
 これでご飯がちゃんと食べられるって言ったら笑われたけど、でもホントに嬉しかったんだ。
 その後、刀を片付けて、手を合わせて拝んだんだ。僕らが使うのはまだまだ先だけどさ、寂しがらずに待っててほしいなぁと思って。
 それを見て、とても吉野先生は嬉しそうになさってね。
「いずれ君達にも得意な忍具や武器が見つかるでしょう。しかしその日が来ても、どうかこの刀達を忘れないでやってください。そうしたらきっと、今日のようなことも減っていくかもしれませんから」
 そこでね、ちょうど掃除時間終了の鐘が鳴ったんだ。
「今のことは内緒にしておいてあげますから、早く戻りなさい。今度からはちゃんと真面目に掃除してくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
「失礼します!!」
 二人でお礼を言って、そのまま教室に戻った。
 その後に知ったんだけどね、どうも先輩方も何人か、同じ目に遭ったことがあるらしいよ。
 七松先輩が仰るには、食満先輩と潮江先輩が持ち出して、手から離れないからもういっそ好都合だってケンカに使ったことがあるんだって。
 吉野先生に大目玉を食らったらしいんだけど、なんかそれも可哀想な話だよね。
 あと池田先輩がやっぱり遊び半分に手に取って、大変だったって時友先輩が言ってた。
 きっと知らされてないだけで、結構な人数があの刀の寂しん坊に付き合ったことがあるんだろうね。
 だからね、こっそり決めたんだ。
 僕、来年になったら戸部先生との稽古に、あの刀を日替わりで使わせてもらおうって。
 そうしたらきっと、少なくとも僕がこの学園に在学している間くらいは誰かが寂しん坊に巻き込まれる被害は減ってくれるんじゃないかって思うんだ。
 僕にとっても、刃は潰れてるとはいっても本物の刀で練習できるんだし、一石二鳥じゃない。
 あの刀の不思議な力が、俗にいう付喪神の仕業だったりするのかは分からないけどさ。少なくとも意志を持ってるものは大事に扱ってやりたいよね。
 ……っていうお話でした。おしまい。


   ■  □  ■


 話し終わり、金吾は深く溜め息を吐く。
 周囲を見ると、怖がっている様子は見受けられない。むしろ興味深い話を聞いたとばかりに目を輝かせる級友達に、やはり自分はこのテの話の語り部には向いていないのだと居心地悪く首元を掻いた。
 しかしそんなことなど気にも留めない様子で、は組の面々は思い思いの盛り上がりを見せる。
「そんなのあるなんて知らなかった! 用具倉庫の隅のほう? だっけ? 僕も一回触ってみたいなー!」
「ダメだよ兵太夫、興味本位で触ったりしたら。金吾と虎若の体験を考えれば、やっぱり意志を持ってるんだと思うもの。接するときは慎重にならないと、もし大変なことになったりしたらどうするのさ」
「おぉー」
「相変わらず」
「庄ちゃんったら冷静ね!」
 諌める庄左ヱ門の言葉を、しんべヱ、喜三太、三治郎が冷やかす。それを少し困った顔をして受け止めた学級委員長の隣で、伊助が考え込んだ様子で小さく、低く唸っていた。
 目聡く見咎め、乱太郎が首を傾ぐ。
「伊助? どうしたの?」
「あぁごめん。いや、ちょっと思い出したことがあってね。実は先月さぁ」
「ちょっと待ったぁ!」
 言いかけた言葉を遮り、きり丸が声を張り上げる。
「おいおい伊助、せっかく怪談は怪談らしく披露してきてんだぜ? さも世間話ですってな具合に乱太郎にだけ話してどうすんだよ。どうせならちゃーんと、みんなが静かに聞ける状態で話してもらいたいんだけどなぁ?」
 チッチッチと人差し指を振り、片目を閉じて言ってのける。
 金吾の話がさして恐怖を煽らなかったように、この話も怪談とは言えないと考えていたのか、伊助はどこかバツが悪そうに目を泳がせた。
 というよりもむしろ、脳内にある話を果たして怪談と定義づけていいのだろうかと考えあぐねた様子で言葉を渋る。
 しかし周囲はここぞとばかりに目を輝かせ、僅かながら身を乗り出していた。
「あー……兵太夫。あれだよ、あれ。あの話」
「あれ? って……あー! うん、いいんじゃない? 不思議な話には違いないし、みんな恐怖を求めてるってよりは面白い話を聞いて暇潰ししたいだけなんだしさ」
 伊助の言葉になにか心当たりがあったのか、兵太夫は訳知り顔で数度頷く。ただその返答は伊助の期待とは真逆に位置し、止めるどころか適当にへらりと笑って手を翻した。
 その言い様と言葉に納得する部分があったのか、はぁと大きな溜め息が漏れる。
「よし、わかった! そこまで言うなら話してやろうじゃないのさ! でも別に怖い話じゃなくて、不思議な話なだけだからね!」
 胸を張り、鼻息を吐いて開き直る。それでもいいと頷いた級友達に、伊助は自信満々に唇を開いた。



      →参  【夢枕】