――― 往く逝く黄泉路の騒動記




   弐  秦広庁


 威勢のいい大声に体のバランスを崩された獄卒たちは、中有にあるまじき溌剌とした挨拶の根源を、得体の知れないものでもやってきたかのような表情でまじまじと凝視した。
 本来であれば死者こそが獄卒鬼をそういった目で見るのが常であるだけに些かおかしな話ではあるのだが、死してなお恐れも知らずに最初の裁判所の門をくぐる人間などそうそういるわけもない。
 ゆえにそれは無理からぬ話でもあったが、さらに稀なことに、旧一年は組の十一人は揃いも揃ってその鬼たちを見て目を輝かせていた。
「本物の鬼だー!!」
 第一声、十一色の声が揃う。そのあまりに隠さぬ好奇心っぷりに、鬼たちこそびくりと体を震わせた。
「すっげ、すっげー!! マジで角生えてる! あとなんか普通の人に色がついてるみたいで変な感じ!!」
「団蔵、皆さん困ってらっしゃるからもうちょっと静かにしようか。って言うか目の前に本物の鬼がいることにはビックリしないあたりお前らしいね」
「そういう庄左ヱ門は相変わらず冷静ね……」
「ビックリするより、ホントにいたんだって感動のほうがでっかいよな」
「うん。こうして考えると、やっと死んだ実感が出てくるなぁ……」
「金吾ぉ、さすがにそれって遅すぎない?」
「ねぇねぇ、三治郎は会ったことあるの?」
「んー、現世にいる鬼とこちらにいらっしゃる鬼はまた別の存在だからねー。あっちの鬼は見たことあるけど、関わっちゃいけないモノだから話したりとかしたことはないよ。こちらの人たちとはもちろん初めて―」
「鬼の生サインとかもらって現世で売ったら儲からねぇかな」
「あー、なんかご利益ありそうな感じするよねぇ」
「きり丸にしんべヱ、それ本気でやってもパチモン認定されてスルーされるだけだからやめなよ」
 わいわいとまるで観光ツアーさながらに色めき立つ姿に、面喰っていた鬼たちもやがてその正体に心当たったのかひそひそと情報を伝播させ、伝え聞いた者から腑に落ちたという表情を浮かべた。
 騒動を聞きつけたのか、バタバタと奥から走ってきた鬼が一人なにやら書類を持って駆け寄る。
「やっと、やっと来てくれました!?」
 十一人を目にするや否や安堵で泣き出しそうな顔をした鬼に、揃って首を傾ぐ。
 なにをそんなに感激することがあるのかとでも言いたげなその雰囲気に、青い肌の鬼は一転して気分を害した様子だった。
「最初に死んだソコの人が黄泉比良坂に来て何年経ったと思ってんです!? 三十年近く! あそこに! 居座ってたんですよ!?」
 その言葉に、乱太郎以外の全員が虚を突かれたように目を見開く。
「え? そんなに?」
「待って、乱太郎って何歳?」
「えぇ……っと。五十……七?」
「すげぇ! 大往生!」
 おぉとどよめきと拍手が起きた直後、三十年という言葉に真実味が増したのかそれぞれが指折り数えはじめる。
 中有にあっては時間感覚が狂ってしまうのか自身の享年から加算していっているらしい姿に、乱太郎は困り顔で、青い鬼は苦々しい顔で結論を待った。
 次々に衝撃の顔が浮かび、最後にきり丸がおぉと声を上げると、十一人全員が顔を見合わせて鬼へ向き直った。
「お待たせしてゴメンナサイ」
 これも揃って頭を下げられれば、それ以上叱る気も起きないのは鬼も同じらしい。
 とにかく出廷したからには裁判をと奥へ促す声に、やはりわいわいとはしゃいだまま足を向けた。
 法廷へと向かう道すがら、この庁の役人らしい鬼たちが興味津々で視線を向けてくる。
「よっぽど珍しいんだねぇ」
「そりゃ、普通はまっすぐ歩いていくもんだからね。僕だってまさかあんな場所でたむろってるとは思ってもなかったもん」
「あ、それ僕も思った!」
 死んだばかりで未だ実感も薄い乱太郎の言葉に、山岳信仰に縁の深い喜三太と三治郎がケラケラと笑い飛ばす。
 それをやはりどこか他人事のような心持ちで聞きながら歩みを進めていると、やがて大仰な造りの扉の前へ至った。
「えー本来なら一人ずつ裁判にかけられるところですが、待望の、待っ望の出廷ということで! 特別に十一人まとめての裁判となります。まぁ裁判とは言っても秦広王様は生前の行いをご覧になって大まかな行先を教えてくださるだけなので、あまり怯えなくても大丈夫です。さ、では法廷へ」
 恭しく頭を垂れ、扉を引き開く。
 すると巨大な体躯をした厳めしい裁判官が、これでもかというほど苦々しい顔で入廷した十一人を睨み据えていた。
「ようやく来たか、問題児たち」
 呆れたようなその声色と言葉に、申し訳なさや恐ろしさよりも先に懐かしさが去来する。
 同じ釜の飯を食らっていた頃嫌というほど言われ続けていたその言葉に、十一人は思わず目を輝かせて顔を見合わせた。
「今のセリフ」
「うん。ねぇ」
「先生達みたい」
 ふふと笑い合うその顔に、反省の色など浮かぶはずもない。
 それを些か疲れた溜め息を吐き出すことで受け流し、秦広王と呼ばれる冥府の最初の王は手元の書類へ視線を落とした。
「細かいことは言うまい。摂津のきり丸、前へ」
「へーい」
 悪びれも緊張もしない気楽な返事に、王の脇に控える獄卒たちが目を見開く。
 まるきり不敬と言わざるを得ないその発言の反応を窺うように恐る恐る見上げる視線に、秦広王は面白くなさそうに肩を落とした。
「裁かれるに至って恐れもないとは、なんとも困った人間よ。まぁそうでなくては、あんな大それたことを考えはせんか」
 親指で顎を掻き、改めて書類を一瞥する。
「幼少時から戦場で遺品回収や物売り、傭兵仕事か。長じてからは諜報活動で生計を立てているな。金に汚い面もあるがそれだけでもない。死んだのは……ほう」
 思わず漏れた感嘆の声に、きり丸を含め十一人がパチパチと目を瞬く。
「雇われていた城の兵に撃たれたか」
「へっ!?」
 思いがけない言葉に、きり丸を除く十人から驚嘆の声が漏れる。
 しかし当人は至って平然とした様子でどこか照れたように頭を掻いてみせた。
「あー、やっぱそうっすかぁー。まぁそうじゃないかとは思ってたんすよねー」
 ひひと笑って見せるその顔に、しかし仲間たちは笑って看過できるわけもない。
 今が法廷の真っ最中だということすら忘れたのか、前に進み出ているきり丸の腕を強引に引き寄せ、我先にと詰め寄り問い質しにかかっていた。
「やっぱりってどういうこと!? 雇われてた城に裏切られたの!?」
「僕ら、きり丸が戦場で死んだってことしか知らないんだけど!?」
「最期に雇われてたのってどこだっけ!? 悪い城!?」
「なんでそんなことになったのきり丸!!」
 喚き立てられる言葉の渦を、きり丸はしばし耳を塞いでやり過ごす。
 やがて興奮が収まった頃合いを見計らって耳栓を外したきり丸は、やはりひひっと笑って手を翻した。
「いやー、普段はそうでもなかったんだけど、その城の上の連中がまぁ結構性根が悪い人間だったらしくてさ。負けた時のことを先に忍隊に命令してきてたんだよ。敗走になったらその道々にある村は焼け、家財は奪え、女は攫え、井戸に毒を投げろってな」
 ぺろりと舌を出しての告白に、あぁと納得した表情が並ぶ。
 戦国の世ではよくある敗走策だ。けれどそれを聞いて、きり丸が易々と従うとは思えない。
「つまりきり丸は、それを先んじて村々に知らせたんだね?」
「そゆこと。ぶっちゃけ勝てるとは思ってなかったしなー。おかげで戦を前にしてそこいらの村はもぬけの殻。情報源がバレりゃあ殺されるだろうなーとは思ってたんだ」
 命令を受けた途端、自身の生い立ちを重ねたのは想像に難くない。
 こともなげに語られるそれに、同窓の十人は責めることもできずただただ黙ってきり丸の頭を撫でにかかる。
 それをくすぐったげに遠慮しながらも誇らしげに頬を赤らめる姿に、秦広王はそれ以上聞くこともないのか呼び戻すことはしなかった。
 続き、書類を一枚めくる。
「佐武義虎、前へ」
 聞き慣れない名前に、思わず数人が首を傾ぐ。
 けれどその姓の通り虎若が前へ進み出ると、あぁと思い出したように手が打たれた。
「あ、元服名!」
「そうそう。忘れるなよー」
 元服してからはなかなか会う機会も得られなかったので仕方がないとは言えど、ここまで綺麗に忘れられていると少々物悲しくは感じるらしい。
 太い眉毛を八の字に下げつつ唇を尖らせると、きり丸よりも少し緊張した様子でさらに一歩踏み出した。
「火縄銃を用いた傭兵部隊の長の一族。家業がこれゆえに、人を多く傷つけてはいるな。が……ふむ、殺めはしていない。足や肩、手を主に狙って戦線離脱させる戦法を好んだか。家長が処刑されてからは落ち延びて染物屋として身を隠していたが、のちに残党狩りに遭って死亡。時代と家系が道を決めていたか」
 いっそ哀れだと言いたげなその声色に、虎若は気にした素振りもなく笑って頭を掻く。
 けれど伊助がただ一人拳を握り締めて歯を食い縛っているのを、他の仲間たちがそろりと肩に手を添えて宥めていた。
 それを横目に、王は早々と次の書類をめくる。
「次に山村喜三太、前へ」
「はぁーい」
 虎若と手を打ち交わし、ひょいひょいと踊るような足取りで前へ出る。
 恐れ知らずなその態度も先のきり丸のそれで薄れてしまったのか、他の獄卒たちも隠れた溜め息をつくばかりでそれ以上なにも呟こうとはしていなかった。
 ニコニコと機嫌良さそうに揺れる猫毛に、王は大きく肩を落とす。
「五代目風魔忍軍の頭領。体制崩壊後は近辺の山に潜み、盗賊に身をやつし最期は大衆の面前で処刑。……毒を用いて自由を奪い、富裕層を狙っての犯行か。しかし部下が犯した殺人の罪をかぶってのことと。なるほどな」
「下の罪は上の責任ですからねぇ。そんなもんですよぉ」
 ケラケラと笑って見せる喜三太を面白くもなさそうに鼻を鳴らし、追い払う仕草で手の甲を振る。
 そして次の名が呼ばれる前に、王の眼前には金吾が立っていた。
「皆本金吾、参りました」
「っ、……うむ」
 不遜でもなく、けれど緊張するでもない名乗りにさしもの冥府の王も少々面食らった様子で言葉を詰まらせる。
 しかしその背後では、級友たちがおかしそうにクスクスと忍び笑いに肩を震わせていた。
「喜三太のあとなの分かりきってるから、心の準備できてたんだよな」
「同時に来たんだろ? あいつら」
「風魔の最期を看取った自負もあるだろうしさぁ、恥じるところは何もない! とでも言いたげだよねぇ」
「でもカッコつけすぎじゃない? 逆に緊張してんの誤魔化せてないと思うんだけど」
 やがて忍び笑いも忘れ、はっきりと声を上げ始めた級友達の言葉の数々に、金吾の耳が見る間に真紅に染まっていく。
 それを可哀想なものを見る目で乱太郎と伊助が見遣った時、我慢の限界に達したらしい瞳が涙を浮かべて振り返った。
「なんだよ、いいだろ別に! なんでお前らはいっつもいっつも僕に対してだけそう弄ってくるんだ!!」
 死してなお納得がいかないと憤慨した金吾に、悪びれることなく級友達は舌を出しつつ軽薄に手を合わせて見せる。
 やはり弄られていると唇を尖らせ改めて向き直れば、秦広王は何事もなかったように書類へ目を落とした。
「自刃か」
 短い言葉に、やはり短く頷く。
「はい」
 特に確認する罪も多くはないのか、それ以上金吾は質問事項もなく元の場所へと戻される。
 そしてそれ以降は、比較的短い確認だけの審議が続いた。
「加藤団蔵。兵糧、武器などの輸送仕事中に襲われ、奮闘するも死亡」
「はい!」
「黒木庄左ヱ門。忍術学園の密偵として動いていた情報が漏れ、暗殺」
「相違ありません」
「笹山兵太夫。忍術学園が襲われた際、教え子を逃がすため殿(しんがり)を務めて死亡」
「まぁ、僕だけじゃなかったですけどねー」
「福富しんべヱ。食事に毒を盛られての服毒死」
「はぁーい!」
 にこやかに答えるその言葉に、全員がそうかそうかと納得しかけ、そして次の名前が呼ばれかけた時だった。
 にこにこと照れ笑いを見せるしんべヱ以外がその違和感にふと動きを止め、次の瞬間揃って素っ頓狂な声を上げた。
「はいぃいいいいい!?」
 その大音声に、滞りない進行を図っていた秦広王、そして意表をつかれた獄卒たちが驚きの表情で顔を上げる。
「服毒死!? え、待って、しんべヱが!? どうやって!?」
「お前、飯に紛れてる毒の匂いも分からないほど耄碌してたのか!?」
「それともなに、よっぽどうまく隠されてたの!?」
「そうだよ! お前がまさか……!」
 畳みかけ、やがて全員が一斉に息を飲み、声を揃える。
「お前が食い物関係で死ぬなんて、ありえないだろ!?」
 その話題の中心で、やはりニコニコと主張を聞いていたしんべヱがわずかに困った様子で眉尻を下げる。
 えぇとと言葉を選んでいる姿を凝視して説明を待つ十人に、超嗅覚をもつ御曹司はこてりと小首を傾いでみせた。
「あのねぇ、食事に毒が盛られてたのは知ってたんだぁ」
「は……っ!?」
 回答に、再度声を上げそうになった面々を庄左ヱ門の手が制す。
 未だ続きがある口振りを察して翳されたその手から放たれる、有無を問わない威圧感に誰もが口を噤んだ。
 続けてと静かに呟かれた声に、ありがとうと人好きのする笑顔が返る。
「食事を運んできた子、戦の巻き添えになって村が焼かれちゃった子だったんだよね。だけどその戦に使われた武器、うちが卸したものだったんだよ。……ほら、佐武の時にみんなとも散々揉めたじゃない。安く南蛮武器を提供すれば佐武の立場を潰すだけでなく、きっといろいろな村で悪いことが起こるって。あの時はいろいろ考えたけど結局家を取っちゃったけどさ、それでも後悔――しなかったわけじゃないんだぁ」
 くしゃりと歪みながら、しんべヱはあくまでも笑みを絶やさず頬を掻く。
「だから毒が盛られてるのは分かってたんだけどねぇ。食事を運んできた子の手、物凄く震えててね。だけど目だけはギラギラしてたんだ。だからあの子は、ずっと僕が憎くて仕方なかったろうなぁって思ってさぁ。それだけのことをしたんだって自覚はしてたから、自分で毒を飲んだんだよ」
 驚かせてごめんねとぺこりと下げられた大きな頭に、詰る声などあるはずもない。
 つまりは自殺なのだと言ってのけたしんべヱの当時の心情を鑑みれば、言葉もなく背を叩くしか出来なかった。
 学園卒業と時を同じくして各地での戦がさらに激化し、天下を取ったと思われた黄昏甚兵衛が討たれ、やがて大間賀時曲時が朝廷から叙任された。
 時代がうねり、それまで認識していた世界がひっくり返るのを目の当たりにした世代だ。
 一年後どころか明日の情勢さえ見えない状況で、自家を守り抜くことに成功したしんべヱは充分に時代を見通す目が備わっていたと考えられる。
 当時はそれぞれの思いをぶつけあい反発し合った時期もあったが、今となってはそれは過ぎた話だった。
「おシゲちゃん、泣いただろうに」
「えへへ、大丈夫だよー。シゲにはちゃんと食べる直前に、毒を飲むからみんなには内緒にしてねって教えてあったし。店の者に犯人探しはさせないこと、目の前で毒死の瞬間を見ちゃう子たちにはお金を渡して暇を出してあげてとも全部お願いしてたんだ。すっごく久し振りに矢羽音を使ったからうまく伝わってたかは分かんないんだけど」
 てへりと舌を出してみせたしんべヱに、葬儀に出席した三治郎、伊助、乱太郎は納得しながらも呆れた顔を見せる。
 死因はちょっとした事故だったと話した旧知の奥方は、どこか口籠ったような歯切れの悪さを見せながら、努めてにこやかに葬儀を取り仕切っていたのを思い出した。
「可哀想なことするねぇ」
「大店に嫁いでもらったからには、どうしてもね。他の店もこんなことはよくあるだろうし、きっとシゲも覚悟の上だったよ」
 店の中で諍いがあったという情報が万一にでも他店に漏れれば、せっかく守り抜いた店の乗っ取りも起こりかねない。
 だからこその措置でもあったのだと笑うしんべヱに、そうかと頷かないわけにはいかなかった。
「次、夢前三治郎。前へ」
 労いの空気もしばし落ち着いた頃、待ちかねたように秦広王の声が響く。
 そういえば審議の最中だったのだと思い出した面々は慌てて居住まいを正したが、呼ばれた本人ははるかに気安い様子でにこやかに手を挙げてみせた。
「はいはーい! よろしくお願いしまーっす!」
 むしろはしゃいだ雰囲気で前へ出やその姿に、王はやれやれと溜め息を吐く。
 しかしその様子はこれまでと違い、見知った人間に対する愛着なようなものがはっきりと見て取れた。
「相変わらず軽薄を装っているようだな」
「えへへー、笑う門には福来るですよー。こちらのお顔を見るのは初めてですけど、やっぱりお不動さんの雰囲気はそのままなんですねー」
 ゆるんだ目元でじっと観察する三治郎の視線を振り払うように、巨大な手がひらひらと翻る。
 秦広王の本来の姿である不動明王は山伏と密接な関係にある。
 だからこそ馴染み深さを見せる三治郎だが、秦広王としてはここでその話題に長く触れたくはないのかあからさまに目を背けてみせた。
「霊山からの滑落。……修行が足らなんだな」
「仲間がどんどん死んでっちゃうのを見てたからねー。つい考え事をしてたら、足が滑っちゃって」
 お恥ずかしい限りでと笑う声に、返笑はない。
 それを用済みの合図と取って引き下がった三治郎を見届け、王は書類へ目を落とした。
 呼ぶ声が響くより先に、伊助が眼前に進み出る。
「二郭伊助、泉州を中心に流行った病にかかっての衰弱死です!」
「……あぁ、そのようだな。自己宣告はせんでもいい」
 声を張り上げた伊助に思わず目を見開きつつ、申告に虚偽がないのを確認すると分かった分かったと手を翳した。
 そして最後、肩を強張らせた乱太郎が恐る恐ると足を踏み出す。
「最後は私なんですが……。えっと、さっきから読んでいらっしゃるそういう書類……届いてますか……?」
 めがねの奥の瞳がチラチラと見上げる視線に、王は無慈悲にも否と首を振る。
 先んじて三治郎と喜三太が予想していた通りの展開に、乱太郎はがっくりと大きな溜め息を吐く。
 ということは生前の行いの善悪を判断してもらえないのではないかという不安に背を丸めた姿に、背後から慌てふためいた様子の声が奔流した。
「乱太郎はホンットいい奴で!」
「農家をしながら近隣の人を診るお医者さんもしてたんです!!」
「かなり不運でいろんな騒動に巻き込まれたりはしたと思いますけど!」
「人を傷つけたり殺したりとか、そんなことをできる奴じゃないんで!」
「倒れてるお年寄りなんかを見つけると助けずにはいられなくって、それでいろいろ不運な目に遭ってた奴だし!」
「乱太郎の善人性については僕たちが請け負います。もし間違いがあったなら、その責も負いましょう」
「忍術学園の遠足で乱太郎の家の近くに行くと、いつも生徒たちがお世話になってたんです!」
「それに乱太郎の作るお野菜、とぉーっても美味しいんですよぉー」
「足だって速くて、誰かが困ってたら全速力で駆けつけるし!」
「絶対悪人なんかじゃないですから! 絶対大丈夫ですから!」
 怒涛の勢いで弁護を始めた十人に、秦広王は元より獄卒たち、さらには当の乱太郎までもが気圧されて数歩引き下がる。
 しかし爛々と輝き次の裁判所への審議を望む十対の瞳に、最初の裁判官はふむと小さく唸りを漏らした。
 やがてカンと甲高い木槌の音が響き、裁きが下る。
「書類不備があるものの、全員初江庁での再審に引き継ぐものとする」
 声高な宣言に、おぉと思わずの歓声が上がる。
 とはいえ大雑把な善悪だけを見極めるこの裁判で地獄に落ちる人間はそうそういないのだと笑った三治郎に、それでも一安心だと全員が笑みを見せた。
「各々随分と裁判を遅れさせたんだ。たとえ生前の罪が軽くとも、いずれかの庁でその罪が加味されることを忘れるなよ」
「はーい!」
 最後の忠告を軽く受け入れ、十一人は入廷時と同じはしゃいだ様子で退廷していく。
 案内役を務める獄卒はもはやいっそ尊敬の念すら抱くといった面持ちで秦広庁の出口まで見送り、先に続く道を指さした。
「これから皆さんはに、この道をまっすぐ突っ切って頂きます。ここまで裁判が遅れていますから初江庁までお送りしたいのは山々ですが、途中に三途の川があるためそうもいきません。賽の河原まではそこの馬を使って行ってください」
 示された先に繋がれていた馬は現世では見たこともない巨大な体躯をしており、一頭で十一人を背負えるほど広い背中が見える。
 梯子がなければ跨れないほど高い背は、ともすれば踏み潰されそうな威圧感さえ覚えた。
 しかし当然、馬となればものともせずに目を輝かせる人間は存在する。
「馬だ! でっかい!! え、なぁなぁこいつも普通の馬と一緒!? 手綱とかある!?」
 きゃいきゃいと一層はしゃいで足下に駆け寄り、懸命に手を伸ばす団蔵に獄卒を含め全員が思わずヒィと声を上げる。
 歯を剥き出しにして威嚇行動を見せた馬は今にも団蔵の頭を噛み砕くかに見え、冥府にも拘らず全員の血の気が引いた。
 けれど団蔵はそれを見てなお恐れもなく、その鼻面をよしよしと叩いてみせる。
「初めての奴らをこんなに乗せるんだし、不機嫌で当然だよなー。でもごめんな、ちょっとだけ乗せてくれると助かるんだ」
 美人ないい馬だと笑えば、馬の目が大きく瞬く。
 威嚇行動は即座になりを潜め、興味を示したように臭いを嗅ぎにかかった。
 その落差に、飛び出して守ろうかと足に力を籠めていたはずの十人が呆然と立ち尽くす。
「……手懐けた」
「っていうかアイツ今、馬を口説かなかったか」
「どんだけ無意識ナンパ男なんだよあの野郎」
 特に馬が相手となれば全力で落としにかかるその手腕にそれ以上の言葉もない。
 どちらにせよ不愉快極まりない表情を見せていた馬が従順になってくれたことを有難く思いつつ、仲間たちは言葉にしきれない複雑な感情を胸に、団蔵の背中を見つめて三途の川へと向かった。


−−−続.