ゆっくりと芯を燃やし揺らめく蝋燭の炎が、囲んだ半紙に反射し本来放つ光よりもなお明るく室内を照らし出す。土間を上がる陣屋、それを木戸で以って二部屋へと分けられる間取りに自陣と同じだと思考を廻らせ、とはいえ演習用の出城など同じ設計図で作られていても当然かと溜息を吐き、虎若は困憊した様子で天井を仰いだ。
 現在置かれている場所は土間に続く一の間、室内には四人の人間。自分の正面に大将然とした笑みを浮かべて腰を下ろす伊助に、右側には薬箱を携えた乱太郎。自分の傍らにはへらへらと笑うしんべヱの姿。
 そしてその中にあり自分はと言えば、褌一枚にまで剥かれ、縄で縛り上げられた哀れな状態。
「……忠告をされてたにも拘らずとっ捕まった挙句、こんなカッコにされてるなんてきり丸に知られたらどやされるじゃすまないんだけどなぁ……」
 小さく反省を口にすれば、お疲れ様と三者三様に苦笑が返る。優しげな笑顔の中、それでも演習中という緊張の中で警戒を消さない伊助、そして現在は敵同士ということで割り切ったように見せる乱太郎に対し、しんべヱだけがまったく普段と変わらず振舞っていた。
 ほんわりと漂う空気に、がっくりと頭を垂れる。
「この害のない空気が、見事に現在の状況を忘れさせてくれちゃうんだよな……。でなきゃさすがに、こんなに簡単に捕まったりしないってば……」
「あはは、ごめんねぇ」
「しんべヱのは天性のものだからね、虎ちゃんが引っ掛かっても仕方ないよ。きりちゃんに怒られたらさ、先にかかったのはそっちだよって言っちゃえ」
「言えるか! 大体、俺が油断した時に霞扇の術を仕掛けたのは乱太郎だろ!?」
 その反論をした場合に返ってくるだろう反応を想像し、ぶるりと身を震わせる。寒いのと見当違いな気遣いを見せる三人に思わず前のめりに倒れ、受身も取れず鼻の頭を床板で擦り剥いた。
 気遣い者と保健委員と天然ボケの集団には通じないのかと冷や汗を掻きなんとか身を起こせば、薬箱を抱えた乱太郎がすばやく絆創膏を貼り付けてきた。
「きりちゃんはね、ちょっと我侭なだけだからちゃんと諭したり叱ってあげれば分かる子なんだよ。みんながちょっと甘やかしすぎなだけ。あ、そうだ。それとね虎若。霞扇の件は誤解だよ。私はしんべヱに薬袋を渡して、話しかける直前に袋を開けて風上に座ってねって言っただけ」
「乱太郎と伊助はね、ずーッとここにいてもらったの。薬で寝てもらって担いで帰るだけなら、いくら僕でも一人で出来るからねー」
「虎若のいそうな場所は、地形を見れば大体見当がつくからね。火器使いになって良かったよ」
 にっこりと笑む伊助の言葉に、悔しげに唇を噛む。伊達でこの三年間を参謀補佐として支えてきたわけではないことを再確認し、少し兵力を甘く見積もりすぎていたようだと視線を泳がせた。
 その心情すら見透かしたように、瞳を伏せ、伊助が一度音を立てて膝を叩く。
「……さて、じゃあ本題だ。私達の場合敵に捕まるなんて慣れっこみたいなもんだし、混乱もなく現状の把握は出来てるよね? 虎は今うちの捕虜。もちろん知りたい情報は一つだけ」
「旗の隠し場所?」
「その通り。話が早くて助かるよ」
 機嫌よさげな笑顔を浮かべる伊助から視線を逸らし、愛想笑いのよさは商売人の特権かと口の中で毒づいた。
「広い陣屋じゃないんだ、自力で探せば?」
「見ての通りの編成なんでね、自衛のためにもあまり人数も時間も割きたくないんだ。狭いからこそみんな隠し場所には趣向を凝らしてるはずだし、そう長い間目を盗めるとも思えない。理由説明は以上でいい?」
「……可愛くないぞ、伊助」
「敵に対してなに言ってんの」
 拗ねた口調に対してもさらりとかわされる冷静さに、これも同室者からの影響かと感傷に浸る。とはいえ挑戦者たる自分の同室者は、その本来の冷静沈着者に毎日この程度ではすまないスルースキルを発揮されているのだと思い返し、気合を入れ直すべく拳を握り締めた。
 萎れていた犬の耳が再びぴんと立ち上がるような雰囲気の差に、伊助の目が大きく瞬く。
「言っとくけど、俺はなんにも吐かないからな」
「……さっきちょっとショック受けてたように見えたけど。まぁいいか。いいよ虎若、強気でいたって。でも、言いたくなるようにしてあげる」
「どうやって。拷問は禁止のはずだ」
「本格的なやつはね」
「……なにする気だ」
「さぁ、なんでしょう。そうだ、いいこと教えてあげるよ虎若。庄ちゃんからの受け売りなんだけどさ、ルールの抜け穴を探して、そ知らぬ顔で実行することも忍者には必要な素養らしいよ? 鉢屋先輩の大事な教えだって。……乱太郎。あとで使うかもしれないから、言ってた薬の準備を。しんべヱ、外の警戒をお願い」
「ちょ、おい!! なんの薬だ、なんの!!」
 薬という単語に以前からのトラウマが刺激され、顔面から血が下がるのを感じたまらず叫び声を上げる。けれどそれに明確な答えは返らず、代わり、曖昧な笑顔を浮かべて隣室へと姿を消し木戸を閉めきった乱太郎に、ますます虎若はガクガクと身を震わせた。
 助けを求めるようにしんべヱを探すも既に土間から外へと出たのか姿はなく、その場には指示を出した伊助だけが慰めるように肩を叩く。
「大丈夫だって、副作用はないらしいから」
「だからなんなんだよその不穏な言葉は!? あと保健委員の薬はちょっと信用できないものがあってさ!?」
「コラコラ、なんてこと言うの。保健委員の薬はうちの学園の要の一つだよ? なにも伏木蔵ブレンドを飲ませようってわけじゃないんだから」
「乱ちゃんマークも大概だぞ!?」
「わーかった分かった。まったく、虎若はガタイに似合わず結構心配性なんだから。……それより虎若。先のことより、今からのことを心配したほうがいいんじゃないの?」
 するりと身を寄せてくる伊助に気圧され、思わず体を引いてなすがまま床に背をつける。想定外の行動に鼓動の早まる心臓をなんとか落ち着かせようと息を飲むも、それを見止めた伊助の瞳が挑発的な笑みに歪み、晒された腕をするりと指でなぞられればあえなく意味をなくした。
「な、なに、伊助。どしたの」
「虎はさ、今縛られてる上に道具の検査をされてほぼ裸も同然なんだよ? もうちょっと緊張感持ったほうがいいんじゃないのかな」
「緊張感って、おま……。……いや、落ち着け、伊助。ここ、外から丸見えなんだけど」
「それがなに?」
「なにって、あの。それ結果的に伊助が困っちゃうだけだと思う、ん、だけ、ど。あと、どう頑張っても拷問じゃなくない? いや、俺はむしろ大歓迎だしいつでもバッチ来いなんだけど。……ほら、俺は今こうして縛られてるわけだし、伊助が自分で動くしかないって言うか」
「…………はぁ?」
 しどろもどろと紅潮し視線を逸らしつつに紡がれる言葉の羅列に、意味も分からず眉間を寄せる。一応は拷問の一種だと告げたばかりというのにおかしな反応を見せる虎若に、一体なにを言っているのかと問い返そうとした矢先、不意にその言葉の意図に気付き、伊助の顔が燃え上がるように赤く染まった。
 罵倒の言葉より早く、思いの丈を込めた拳が虎若に叩きつけられる。
「バッカじゃないの!? 違うよしねぇよなに考えてんだこの馬鹿大夫!! 実習中だぞ先生と六年の先輩見てんだぞ!? なんでそんな風に考えが繋がるんだよ!!」
「だぁって他にないじゃんこの状況!!」
「他にないと思っちゃう時点でアウトだろ!? それともなにか、私はくノ一の術でしかお前に白状させられないような可哀想な技量の忍たまだと思われてるのか!? 教科と授業実技はさっぱりでも実戦は物凄いは組で!?」
「いや、違うけどさぁ! 期待しちゃうって言うか!」
「すんなよ! 見られて悦ぶ趣味なんてないよ!!」
 ギャンギャンと捲くし立てる伊助を落ち着けようと宥めつつ、思考に正直に発言してしまった自分のお粗末さ加減に反省ばかりが頭を過ぎる。よく考えればこのやり取りが外にいるしんべヱはともかく、隣の部屋にいる乱太郎には余すことなく筒抜けだということを思い至り、またちょっとした不運を味あわせてしまったと冷や汗を掻いた。
 そして一通り騒ぎ終え息をついた伊助が、羞恥のためか涙目で睨みつける。
「……もう、絶対容赦なんてしてやんない」
 息も荒くそう呟いた声に、鬼気迫ったものを感じ頬が引き攣る。どうやら羞恥も全て怒りに変換されたらしいと見て取り、虎若はじりと床を後退した。
「だから……なに、すんの?」
「どうするもこうするも……こうだぁああああ!」
「ひっ……っ!?」
 体を拘束するように絡みついた腕から抜け出すことも出来ず、思わず身を強張らせ引き攣った声を上げる。脇腹を掠めるように素早く這い回る指先の感触に、虎若の表情が堪えきれず歪んだ。
 それ以降、黄の陣営に馬鹿笑いが響き渡る。
「ぎゃはははははははははははははは!! ちょ、や、やめ、だぁははははははははははははははっ!!」
「笑い死ねぇえええええええ!」
「無理! し、マジで! 死ぬ! あっはははははははははははははは!!」
「やめて欲しけりゃ旗の場所吐け! ほら!!」
「だ、誰が、言、ぶぁっははははははははははははははははは!!」
 宵の口に響く遠慮のない笑い声を背景に、酒漬にしていたナツグミを静かに挽いていた乱太郎がゆっくりと息を吐き薬研から手を放す。恋人達のいちゃつきを図らずもずっと聞いてしまっている自分の立ち位置にいっそ達観した表情で目を細め、もはやそれについてはなにも考えないことに決めて格子窓から空を見上げた。
「…………アレやられると辛い上に、予想以上に体力削られるんだよねぇ……」
 だからこそこうして疲労回復の果実酒に一手間加えているんだけれどと息を吐き、再び薬研を取り力を込める。雲の隙間から顔を覗かせ始めた月の明かりに、そろそろ誰もが焦り始める頃かと視線を伏せた。



−−−続.