ぶつかり合う金属音を背後に聞きながら、木の枝を渡り周囲の気配を探りながら赤の本陣へと向かう。注意深く見さえすればこの宵闇の中でも気付くことの出来るカラクリ罠の作動装置や不自然な土の盛り上がりに、なぜ先程あんなにも簡単に引っ掛かってしまったのかと眉間を寄せた。
 恐らくはあの赤布が原因だろうことは分かっても、煮え切らない思いが腹の中で渦を巻く。実技ではもはや負けているつもりは微塵もないものの、やはり頭脳面ではまだあちらのほうが上かと悔しさが滲み出た。
 その上奇襲を仕掛けてきた団蔵が先に進む自分を放置しその場に留まったことから言っても、この分断すら庄左ヱ門の作戦に沿ったものなのだろうと唇を噛む。
「……ちっくしょ。やっぱり、庄左は敵に回すと油断できねぇ」
「ひどいな、それじゃ僕らは眼中に入ってないみたいじゃん?」
 言葉の終わらぬ内に、闇が頬を掠め去る。薄く切り裂かれ血の滲む感覚と風が弧を描くような音に、きり丸は僅かに肩をすくめた。
 駆ける足音が、自分よりも随分と早い。それだけでも充分相手を特定できるというのに、ご丁寧にも武器である戦輪が余計にその人物を特定させる。
 さすがにこっちはカラクリだけの出番というわけにはいかなかったかと唇を舐めた。
「俺の相手はお前かよ、三治郎」
「縄標使いに体術馬鹿はぶつけないってさ!」
「それもそうか、っとぉ!」
 足元を過ぎる戦輪を避け、腰に巻きつけていた縄標を戦輪の飛んできた方角へ投げつける。手応えのなさに縄を引き手元へ戻すと、目の前に影が立った。
「虎若から見えてないうちに、撤退を決めてもらわなきゃね。そっちのチーム、編成が偏りすぎててずるくない? 相手するの、結構ヒヤヒヤもんなんだけど」
「そっちだってえげつないのばっかの編成じゃねぇか、これじゃ乱太郎達が可哀想だぜ。……それにいくら戦輪が上達したって言っても、お前が俺に勝てると思ってんの?」
「やだなぁきり丸、別に勝つ必要はないんだよ。撤退したくなってくれればそれでいいんだからさ」
 含みのある言葉とともに満面に笑みを浮かべる三治郎に、怖気を感じじりりと足が後退する。嫌な予感しかしないんだけどと引き攣りつつ愛想笑いで返せば、表情を隠すのを得手とする見習い山伏はなお笑みを深めて見せた。
「じゃ、きりちゃん。団蔵と金吾も今頃お楽しみの真っ最中だろうし、僕らは僕らで楽しもうか」
 にっこりと笑んだままの三治郎の指が空を掻く。びんと弦の鳴るような音が聞こえた途端、頭上の葉が騒がしさを増した。
 気付き飛び退く隙もなく、ざらざらという嫌な音とともに耐え難い刺激臭が体に降り注ぎ思わず石のように体を固める。覚えのある臭いと体中を這い回られる恐怖にゆっくりと視線だけを動かせば、亀の甲羅に似た丸く小さな背が視界に入った。
 ようやくになり、怖気が震えと鳥肌へと変換されて全身を駆け上がる。
「ぎゃあぁああああああああああああああ!!」
 叫び声に、三治郎が愉快そうにひらりと手を翻す。
「あー、そんなに口開けて叫ぶと口に入っちゃうよ? カメムシって間違って食べちゃうと、ものすごく辛いんだ」
「お、お前がさせてんだろうが……!」
 今年度に入って火薬委員になるまでは三年間生物委員だっただけあって、虫類に関してはやけに耐性のある三治郎の朗らかな言葉に慌てて手についたカメムシを払い、口を覆う。かといって先程まで大量に付着していた虫のために充分臭う手の平に、吐き気すら催した。
「大丈夫大丈夫、ただのカメムシだから。害はないよ」
「嘘つけ! 精神面で害ありまくりじゃねぇか!!」
「あっはっは、帰りたくなった? 水ででもいいから体の丸洗いしたいでしょ」
「お前ってほんっとえげつねぇ!!」
 体についたカメムシを払い、忍刀を抜き放って勢い任せに斬りかかる。それを咄嗟に苦無で受け、三治郎は行儀悪く小さな口笛を吹いた。
「めっずらし、きり丸が刀なんて」
「るっせぇ! この臭いの、お前にもなすりつけてやる!!」
「やだよきりちゃん。移り香なんて、僕が兵ちゃんに叱られちゃう」
「ただでさえ! 男くさい! うちの組が! さらに臭くなる仕返しだ!!」
 左下方から迫る刃に対し、三治郎は上部にある枝を掴み体を浮かせて身軽にかわす。どうやら必要以上に怒らせてしまったようだと察して視線を泳がせるも、その間も斬撃は止まらない。
 金吾ほどの腕ではないと言っても、実技での成績がトップクラスのきり丸の動きにこっそりと冷や汗をかいた。
「男臭いのばっかりじゃないじゃない! ほら! ちょっと滑ってるけど喜三太いるし!! 癒し系! お花!!」
「あれは金吾専用! 毒虫とナメクジ触ってる状態の喜三太で癒されるか!」
「じゃ、きりちゃんは土井先生専用だ!」
「あぁそうだなぁなりてぇなぁっ!!」
「お、っわ、あっ!」
 刀の間合いから退いた瞬間襲いかかった縄標に思いがけず体勢を崩される。枝から転落していく体を一度左手で支え、その後足場の安定した地面へと降り、急ぎ近くの木蔭へと避難した。
 身を隠したのとほぼ時を同じくして、木に手裏剣が突き刺さる。
「俺の初恋の人はっ! まだっ! そういう目でっ! 見てくれねぇのっ!!」
「……保護者を買って出てくれた年上に惚れた悲しさだね」
 切ないったらありゃしないと口の中で呟き、そろりと腰へと左手を伸ばす。右手に持っていた苦無をくるりと指先で回転させ、三治郎は両手を上げてきり丸へ身を晒した。
「切なくって胸が痛くなっちゃった。この演習が終わったら、ただで愚痴聞いてあげる」
「マジで? タダで!?」
「はい、隙ありっ!」
 きり丸が普段の食いつきを見せた途端、三治郎は思い切りよく左手を振りかぶる。恐らく手の甲についていたと思しきそれが勢いに乗じ飛び上がると、わずか滑る感触が頬に貼りついた。
 げこりと鳴いた声に、きり丸は再度引き攣り声を上げる。
「ぎゃー!!」
「痺れるような毒はないけど、その子に触ると痒くなるから後で乱太郎か喜三太に薬もらってねー。ちなみに愚痴聞きはホントだから、明日は思いっきり僕の胸を借りなさーい!」
「っとに、うちのクラスはみんな揃いも揃ってイイ性格しやがって……っ!」
「実技できりちゃんと正面からやり合ったって負けるだけだもん、大目に見てよ!」
 眼前に迫る縄標を落ちていた木枝で叩き落とし、懐にしまっていた戦輪で牽制する。夕凪の風にともすれば押し戻されるかと懸念し眉間を細めるも、それよりも風に乗って漂った刺激臭にうんざりとした表情を浮かべた。
「ちょっときり丸! マジ臭い!」
「お前のせいだろうが自業自得だ! こちとら鼻が馬鹿になった上に顔と手も痒くて仕方ねぇんだよ!」
 距離がありすぎても埒が明かないと判断したのか、きり丸も枝から飛び降り互いに得物を構え対峙する。凪ぐ風の音とそれに便乗し騒ぐ葉音に仕掛けるタイミングを伺う二人の殺気に、足元の土がか細く悲鳴を上げた。
 その空気をぶち壊す派手な悲鳴に、思わず二人してその方角、そして月明かりの下で空を飛んでいく二つの影を見送る。
「……なんだぁ、アレ」
「あはは、金吾と団蔵はこの作戦リタイヤー」
「はぁ!?」
「二人とも熱くなりすぎてカラクリゾーンに戻っちゃったみたい。踏んだら吹っ飛ぶ地面に踏み込んだね、ありゃあ」
 こともなげに笑いながら棒手裏剣、四方手裏剣、それに紛れ戦輪を投げる三治郎に舌打ちし、地に伏せて足元ぎりぎりを縄標で狙う。僅か角度を付けて飛ばした標は三治郎の足首に掛かり、そのまま遠心力で速度を上げながら数度巻きついた。
 気付いた時には遅く、縄を引かれ、その場に仰向けに倒れこむ。
「……ッつ!」
 打ちつけた後頭部のために火花が散ったような目を開けると、眼球から数寸の位置には苦無が突きつけられていた。
「王手だな、三治郎。無駄口多くして気を逸らそうと頑張ってたけど、やっぱ俺にはかなわねぇよ」
 清かに笑い、馬乗りになって突きつけていた苦無を喉元へと移動させるきり丸に、降参を示し両手を上げる。既に仕込んでいる虫も武器もないことを確認させると、諦めたように地面に力なく体を横たえた。
「あーあ……。いい線いってると思ったんだけどなぁ」
「おう、いい線はいったさ。おかげで俺はボロボロだ。でもお前に負けてちゃ、滅多に出来ない庄左ヱ門とのガチ対戦が出来ないんでよ。……ほら、布渡せ」
「はいはい、抵抗なんてしませんよー」
 言葉では従順に従いながらも頬を膨らませ不満を表す三治郎に笑い、解かれた赤布を手に取る。とりあえずこれで手柄一つと呟いたきり丸の視界に、赤く燃える松明が見えた。
 苦無を構え直し視線を走らせると、大量の縄を引いた兵太夫がきり丸に手裏剣を投げつけたところだった。
 軽い動きで交わせばそれ以上の追撃はなく、兵太夫は足早に三治郎へ駆け寄る。
「ごめん、三ちゃん! 遅かった!」
「それはいいよ。それより兵ちゃん、松明なんて持ってきたら虎若に……!」
「庄左から許可が出たんだ。出城から一番遠い松明に火をつけても、一発も発砲がなかったから」
「…………なん、だって?」
 兵太夫の言葉に、三治郎ではなくきり丸が動揺を見せる。
 金吾は先程確認した通り戦線離脱、喜三太は自陣の護り、自分は敵領地内に入り込んでいる現状。松明が点き次第、視界を奪うためにそれを撃つよう指示していた虎若からの援護がないとすると、多少どころでない不利にあることになると奥歯を噛みしめる。
 青と赤が交戦中の今、そんな余裕があるのは黄しかない。その上で黄には、先刻自分を掌の上で踊らせたクラス最強の天然順忍が在籍する。
 忌々しげに舌を打つも、これ以上はどうしようもないかと被りを振った。
「あんにゃろ、だからしんべヱには気を付けろって言ったのに……!」
 悪態を吐くきり丸に、兵太夫は縄を握りにぃと唇を吊り上げる。
「さて、じゃあきり丸どうする? このまま僕とも一戦交えてくれるかい?」
「分かり切ったこと聞くなよ、兵太夫。……どケチは、損なドンパチはしねぇんだ!」
 言うが早いか、懐に隠していた砂袋を地面に投げつける。闇夜の視界の悪い中、さらに砂埃で視界をくらまし逃亡したきり丸に兵太夫はそっと胸を撫で下ろした。



【夢前三治郎 失格】



−−−続.