剣に心が入っていないと手厳しい叱責を受けてから本日の稽古が中止になり、金吾は二重に落ち込んだ様子で体育用具倉庫の脇に座り込んでいた。
木刀とはいえ人と対峙するからには真剣と思って刃を向けろと教わり続け、既に身に付いたものと思い込んでいた自分が恥ずかしく、また、たった一人の挙動でここまで精神を左右される自分の未熟さが情けない。無論それだけ喜三太が自身の中で大きく意味のある存在であり、根底に根ざしてしまったのだろうと結論付ければ話は早いが、金吾はまだそれを認めるだけの度量も自覚も足りてはいなかった。
ただ好きなのだという感情がしっかりと胸の奥に溜まり続け、今や溢れ出さんばかりになっていることだけは知っている。だからこそその感情一つで、自分にとってかけがえのない剣術の稽古を中止にしてしまったことが情けなくて仕方がなかった。
度量と自覚が足りてさえいれば割り切って頭を切り替え、剣術に集中できた可能性があることを金吾はまだ知らない。今はまだ己の精神の幼さを悔やみ座り込んで、重々しい溜息を吐くことしか出来なかった。
くしゃりと前髪を握り締め、体を丸めるように膝へ顔を埋める。
「……あー……。頭の中がグルグルして、泣きそう……」
ぼそりと呟き、こんなことを言っているようではまた級友達にからかわれるかもしれないと自嘲に唇を歪める。しかし時が経つのと比例してどんどん深みに嵌っていく思考は、先日までの喜三太の笑顔と、そして慌てて走り去っていく後ろ姿を目蓋の裏が映し出すたびに溜息を落とさせた。
そして金吾はその変化が、自分が唇を重ねようとした翌朝から始まったことを既に認識していた。
はぁとまた重い溜息が口をつく。
「……きっと起きてたんだ。僕がしようとしてたことに気付いて、それで喜三太、あんなふうに逃げるようになっちゃったんだ。……嫌われた。絶対嫌われた……。うわー……死にたい」
ぶつぶつと独り言を呟き、堂々巡りを繰り返す。体育倉庫の影で座り込み、鬼火でも浮かべそうな雰囲気で落ち込む姿はまるで同学年のろ組生徒のようだった。
そんな金吾に気付き、飄々とした足音が遠慮もなく近付く。
「金吾、こんなところでなにしてんだ? 腹でも下した?」
なに一つ警戒することも遠慮することもなく近付き、ある意味不躾に上から降ってきた声に顔を上げる。見ればそこには声音から予想出来た通り、感情の読み辛い二学年上の次屋三之助が覗き込んでいた。
それに眉尻を下げて笑い、いいえと首を振る。
「体調不良じゃありませんから、ご心配には及びません。ちょっと考え事を」
「考え事? ……あぁ、そういや孫兵が言ってたな。喜三太との恋煩いが原因か」
さらりと吐き出された言葉に、思わず盛大に噴出す。
それをひょいと避けた三之助が危ないと眉間を寄せたのも気に留めず、動転した様子で目を白黒と変えた。
「へ、はい!?」
「いや、お前ら恋仲だろ? それがなんか一昨日くらいから様子がおかしいっつって、左門の頬を引っ張りに来た孫兵が言ってたのを思い出してさ」
「や、あのっ! 別にそんなんじゃないですから! 誤解です!!」
「そうなんか? でもお前、喜三太のことが好きなんだろ?」
慌てふためく金吾に対してまた事も無げに流れ落ちた声に、今度は噴き出すのではなく言葉に詰まる。その反応に的を射たらしいと知った三之助が満足げに笑い、どっかりと隣に腰を下ろした。
それをどこか窺うようにちらりと横目に見れば、うーんと唸り声が返る。
「好きなら真っ直ぐそう言えばいいだけだと思うんだけどなぁ。そしたら相手だってはっきり返答が出来るし、お互いモヤモヤしなくて済むと思うのに」
金吾に対して呟かれたのか、それとも独り言なのか判別のつかない言葉に唇を噛み、少し視線を伏せる。確かにそれはその通りだとも思うし、この次屋三之助という先達は基本的に曖昧なものを好まない傾向にある。とは言ったところですぐさま自分がそれを実行出来るわけでもなく、金吾は行き詰った表情で僅かに唇を噛んだ。
意を決して一つ問い掛けようと口を開いたところで、また一つの影がこちらに向かってくるのが目に入った。
「次屋先輩、探しましたよ! あっちで富松先輩が物凄い形相で探して……って、金吾。どうしたの、お腹痛い?」
体育委員の中でも群を抜いた俊敏さを誇る一学年上の先達の登場に、また先刻と同様に苦笑を見せて首を振る。せっかく切り出そうとしていた話の流れをせき止められてしまったことよりも、むしろ自分はそんなに顔色悪く座っているのだろうかと別方向へ思考を向けた。
「腹は痛くないんだって。金吾がセーシュンしてるって話」
「なんですかそれ」
話に道筋を立てず、しかも簡潔すぎる説明をする三之助の言葉に四郎兵衛が困った顔で首を傾ぐ。それを見て、抜け出せない泥沼のようだった頭の中身を半ば無理矢理に切り替え、金吾はこうなればもはや洗いざらい相談してしまったほうが得策と考えて口火を切った。
「あのっ、少しばかりお時間を頂いてもいいでしょうかっ!! せ、先輩達に、その。少し、ご相談したい、こと、が……」
語尾に行くほど消え入るような声とそれに伴って紅潮していく頬に、なにかに気付いたらしい四郎兵衛がポンと手を打つ。その仕草に思わず二人の目が集まると、紫闇色の制服があまり似合わないふんわりとした笑顔がすくとその場に立ち上がった。
「そういう話なら、あと一人、先輩を連れてこないとね。経験談は多いほうがいいだろうし、それに僕達だけでこんな話してたなんて後で知れたら、きっと滝夜叉丸先輩、委員会のとき物凄く拗ねちゃうからさ。すぐお連れするから、少し待ってて」
言うが早いか、風のように駆ける。その一気に遠ざかった背中をどこか絶望的に見遣った三之助が、自慢話にだけはさせないようにしようなと金吾に向かって呟いた。
それに笑って同意を見せてから、僅かも経たぬ内。
好奇心に目を輝かせた現体育委員長が、なぜか酷く満足げに前髪を掻き上げて眼前に立っていた。
「いやぁー、頼られる委員長というものはなかなかに大変なものなのだなぁー! 一人で戦輪の練習をしていたところを委員会の後輩に突然呼ばれ、道すがら話を聞いてみれば、なんと驚くことにどうやら恋の悩みだというではないか! うーん、この感動をなんと表現してやればいいものだろう! なんせ喜八郎や三木ヱ門に至ってはこの私に後輩からの人望は皆無だなどと失礼極まりないことを思い込んでいる始末だったわけだしな! この事実を知ったときのあの二人の顔が目に浮かぶようじゃあないか!! まぁ無論? この才色兼備で学園中にその名を知られるこの平滝夜叉丸であればこそ、少々奥手で浮いた話の一つも聞かない可愛い後輩の初々しい相談に答えてやれるだけの経験談を持ち合わせているわけだがな! それでどうした金吾。この私を筆頭とした体育委員の面々になにを聞きたい? くノ一教室の誰かに告白でもされたか? うん? もしもその相手が意に沿わないので断り方を聞きたいというのであれば、私から言えるのはあくまでもスマートに美しく断りを入れろとしか言いようがないんだがなぁ!」
はははと快活に笑ってみせる姿に、なんでこれを連れて来たんだと三之助の肘が四郎兵衛の脇を突く。それを苦笑と軽い謝罪で受け流し、柔らかな目が金吾を見た。
促す視線に、ゆっくりと頷いて息を呑む。
「あの、先輩達にお伺いしたいのは、一つだけなんです」
一度言葉を切り、目蓋を下ろして深く息を吸う。その暗い視界の中に喜三太の笑顔と走り去る背中を映し、きつく唇を噛んだ。
「先輩方は好きな人と、どうやって今のような睦まじい関係を築けたんですか?」
ともすれば泣いてしまいそうな鼻の奥の痛みを感じながら、それを押し込めようと小さく鼻を啜る。頭の中には先程から消えることのない表情と背中がぐるぐると廻り、もしかしたら自分には訪れることのないかもしれない幸せな日常を手にした先達に真摯な視線を送った。
ただし話を振られた滝夜叉丸は予想外の質問に引き攣ったような顔で顔を紅潮させ、三之助はえぇとと首を傾ぎ、四郎兵衛は話してもいいものだろうかと目を泳がせていた。
そのそれぞれの反応に、言い辛いのは分かりますと慌てて付け足す。
「えっと、その。恥ずかしいのは自分にも分かりますし、しかもそんな経験談を強要している自分の不躾さはよく理解しているつもりです。でも、……すみません。せめて片鱗だけでも、参考にさせて頂きたくて」
しゅんと眉尻を下げた金吾の表情に、滝夜叉丸の目が戸惑いにその場を泳ぐ。それを傍目に歩み寄った三之助が、悲しげに落とされた肩に気安く手を置いた。
「まぁそんなに落ち込むな。なにがあったかはちゃんと聞いてやるし、滝夜叉丸先輩もちゃんと一から十まで経験談を話してくれるそうだ。聞きたかったら閨事まで聞いてやれ」
「適当なことを言うな三之助ぇえええ!!」
「聞きませんよそんなことっ!!」
顔を真紅に染めての二人の声に、へらりと笑った三之助が四郎兵衛の背後に隠れる。それを忌々しげに睨み付け、滝夜叉丸はわざとらしく二度咳き込んだ。
「あー……まぁ、うん。これがお前の、その。成長の一端の参考になるというのなら、話してやるのもやぶさかではないわけだが。……でも本当に聞きたいのか?」
窺うように金吾を見る視線に、あくまで真摯な顔つきで頷く。それが本気で悩んでのことなのだと察すると、諦めたような溜息を吐き、滝夜叉丸も体育倉庫の冷たい壁に背中を預けた。
「……とは言っても、話してやれることなんて少ないんだがなぁ。なんせ私の場合、七松先輩からの執拗過ぎるアピールが年々積み重なって、今のこの状態が出来上がったといっても過言ではない。先輩は一目見て私に興味を持ったらしく、しかもなにが面白いのか、私のこの口上を聞けば笑い飛ばしてくる始末でな。私としては自慢の数々を笑い飛ばされるわけだからまぁ不快で不快で仕方なかったわけだが、まぁあの人だろう。そんなことはお構いなしに、ことあるごとに突撃してくるわけだ。実習中に見かけては大声で呼び、時には砲弾の如きバレーボールを全力で投げつけてくる。それを毎度毎度相手していたわけなんだが……。まぁ、なんだ。そんな遣り取りの中で、私もあの人に惹かれて……うん、惹かれていたんだなぁ。それでちょうど金吾、お前が入ってきた年だったかな。突然になってあの人が、至極真面目な顔をして私の部屋に来た。で、いきなりその場で胡坐を掻いて、こう言った」
頬を朱に染めた滝夜叉丸が、ほんの少し息を吸う。
「私はお前のことが好きだ。始めて見たとき興味を持って、委員会でお前を知ってどんどん好きになった。顔が綺麗なところも自信家なところも、口が些か達者すぎるところも丸ごと含めてお前が好きだ。でも四年間我慢したがもう無理そうだ。だから滝夜叉丸。私に大人しく抱かれるか、それでなければ今すぐ殺せ」
声色を使い分けているわけでもない滝夜叉丸の声が、まるであの当時の七松小平太の声のように聞こえ、金吾を初めとした三人が思わず戦慄する。錯覚だとは知りつつも、その言葉を言った二年前の体育委員長が一体どんな顔で、どんな気迫を以って言ったのか容易に想像出来、それぞれがこくりと唾液を飲み下した。
それを笑って見遣り、現体育委員長ははぁと息を吐く。
「酷い脅迫だろう。元よりあんな怪物みたいな人間を殺せるわけがあるか? かと言って、はいそうですか、私もお慕いしておりましたよと言って大人しくそのまま抱かれるのも癪だろう。だから言った。せめて七日の間、口を吸ったり口印をつけるだけの初々しい期間をくださいとな。なにせその時、ちょうど色の授業で岡場所の女の肌を知ったばかりだった。少しくらい人と同じような、普通の恋愛過程を経ておかないと、……なんだか自分が汚れた人間になるような気がしてな。素直にそう吐露したら、あの人もあっけらかんと了承してくれた。最初の気迫はどこへ行ったのかとこちらが拍子抜けするほどアッサリとな。それが、私と七松先輩の馴れ初めだ」
ほんの少し懐かしそうに目を細めつつ、それでも気恥ずかしそうに頬を染めた滝夜叉丸に、ほぅと惚けた吐息が返る。その微かな声音に照れて笑い出した委員長に、三之助がふぅんと頬を掻いた。
ひくりと滝夜叉丸の片眉が上がり、引き攣った笑みで詰め寄る。
「なーにが、ふぅんなんだ三之助ぇ? 随分退屈そうに聞いていたようだなーぁ?」
「いや、退屈じゃなかったですよ。七松先輩も滝夜叉丸先輩も、結構面倒なこと考えてたりしたんだなって思っただけです。で、先輩は七松先輩の告白セリフがよっぽど嬉しかったんだろうなーって。よくも一言一句忘れずに覚えてるもんですね」
「っ、うるさい! 私の記憶の良すぎる頭脳が忘れさせてくれんだけだ! お前は忘れろ!!」
「安心してください。俺、他人の惚気を覚えてられるほど賢くないです」
ひらひらと手を翻す三之助に、金吾が慌てて袖を引いた。
「じゃあ次屋先輩はまったく違う告白をなさったんですか?」
言葉に、うんと満面の笑みが返る。
「でも俺の話のほうが滝夜叉丸先輩のそれより短いし簡単だぞ。三年の冬、確か孫兵も作兵衛も、左門も数馬もいる前でだったと思う。好きって言うより先に、藤内に付き合わないかって聞いたんだ」
さも当たり前のように口に出された言葉に、三人の顔が驚愕に引き攣る。それでうまくいったんですかと思わず零れ落ちた金吾の問いに、いったとまた呆気なく頷いた。
「付き合わない? って聞いたら、二回だけ瞬いて、いいよって。それが今日まで続いてる」
あまりの呆気なさに、金吾だけでなく四郎兵衛や滝夜叉丸までも肩を落とす。それで済ませる三之助も凄いがさらっと受け取ってしまった藤内も随分な器だと実感した。
ただその様子を見て、三之助があぁと改めて口を開く。
「でもそのあと、作兵衛からはなんか知らん怒られて、藤内は数馬からもうちょっと考えろとかなんとか怒られてたな。孫兵は孫兵で虫の求愛行動のロマンチックさを語り始めて、左門だけが祝ってくれた。本人達がいいならそれでいいと思うんだけど、回りからは変に見えたんだな」
難しいことは極力考えたくないだけなのにと溜息を吐いた三之助に、それとこれとは少し話の軸が違う気がしますと四郎兵衛が笑う。それに苦笑とともに同意し、金吾はその四郎兵衛へと目を向けた。
「あの。……時友先輩は、どうだったんですか?」
問い掛けに、四郎兵衛の目が大きく瞬く。やっぱり知りたいのと聞く声に、金吾は無言のまま力強く頷いた。
それに苦笑を返す顔をあとの二人も興味津々の様子で覗いているのに気付き、四郎兵衛の眉尻が困ったように下がる。けれど覚悟を決めた様子で息を吐くと、微かな笑みさえ浮かべた表情が歌うように口を開いた。
「久作はね、金吾と少し似てるんだよ。金吾は好きな相手を大事にしすぎて、色んなことを先回りして考えて思い悩んじゃうタイプだよね? ……久作もそれと一緒でね。告白してこなかったんだよ。一年の時から好いてくれてるのはなんとなく分かってて、僕もそれとなく伝えてたから実際には告白の随分前から両思いだったんだけど。でもホント、ちゃんと思いが通じたのって実は今年に入ってからなんだ。しかも言ったのは僕のほうから。なんか曖昧な関係でいることに痺れを切らしちゃってさ。初めての潜入忍務の前に久作に抱きついて、思いっきり大きな声で好きって言ったんだよ。……お互い真っ赤になってね。帰ってきたら返事を聞かせてって言って、そのまま忍務に出た。後から聞いたら僕が忍務に出てる間、無事に帰ってくるのか泣きそうな顔で心配してたって聞いて嬉しかったけどね。結局、帰った直後の長屋に久作が走ってきて、木戸を開けるや否や、俺も好き! って。本人に言っちゃ駄目だよ。のた打ち回って恥ずかしがるから」
楽しげに笑った四郎兵衛の言葉に、ほうほうと三之助が興味深げに何度も頷く。それに不穏なものを感じたのか力を入れて押さえつけている滝夜叉丸を笑って見遣り、金吾は少しだけ視線を泳がせたあと、縋るような目を四郎兵衛へと向けた。
「もし告白前に、しかも寝ているときに、もし、その。口を吸われたり……いえ、吸われそうになってたら……時友先輩は能勢先輩を嫌いになったりしましたか?」
意を決したような声音と思いがけない言葉に、四郎兵衛の笑顔が一瞬固まる。まさかそんなことしちゃったのと呟いた声に、金吾は首までも赤くして俯いた。
その姿に、三人がそれぞれに視線を見交わす。
けれど互いに掛ける言葉は同じなのか、どこか仕方なさそうな柔らかな笑みを浮かべて代表するように四郎兵衛がその肩にそろりと触れた。
「金吾」
出来るだけ優しく声を掛けると、触れた肩がびくりと震える。その反応だけでどれほど不安を感じているのか察し、次いで三之助が奥から手を伸ばして頭を撫でた。
馬鹿だなと笑う声は、最奥の滝夜叉丸から発される。
「そういうことを好きな人にされるとね、金吾。嫌いになる原因になるんじゃなくて、もっと好きになる切っ掛けになるんだよ」
「むしろして欲しい。で、したい。いいなぁお前。部屋どころか組も委員会も違うから、俺なんてそんな機会もないんだぞ」
「どうせお前の悩みの相手とやらは山村喜三太だろう? そんなことで悩むほうがどうかしている。アレは誰がどこからどう見ても、お前のことが好きで仕方がない様子じゃないか」
茶化すような口調でありながらも肯定だけを差し出す言葉に、そうでしょうかと戸惑い気味に返す。存外に信用がないと笑えば、滝夜叉丸がふむと頭を掻いた。
「私達の後押しを聞いてなお不安なら、お前たちの級長にも話を聞いてみればいい。庄左ヱ門はこの私から見てもいい相談役を担っているように思うぞ。なんせ、私とペアを組んでオリエンテーリングに望んだこともある逸材だからな」
自慢げに鼻を鳴らす滝夜叉丸をはいはいと適当にあしらい、そういえばと次屋が顔を上げる。
「なぁ、四郎兵衛。お前さっき、作兵衛がどうとかって言ってなかったっけ」
「へ? あ、あぁああああ!! 忘れてた! 富松先輩が次屋先輩を探してて、僕も一緒に捜索を頼まれてたんだ! 怒られる! 先輩早く! こっち来てください早くー!!」
慌てふためいて三之助の腕を引く四郎兵衛を、金吾と滝夜叉丸が苦笑で見送る。大事な時間を頂いてしまいましたと眉尻を下げた金吾に、気にすることはないと溜息が落ちた。
「アレはあの二人が好き好んでお前の相談に乗ってやった結果だ、お前が気負う必要はない。それよりお前は早く普段の調子に戻ることに専念しろ。腑抜けていても、委員会では容赦しないからな。次の戦輪教室は同じ的に三度命中させるまで帰さん」
「はい」
些か乱暴に頭を撫でたあと飄々と歩き去る背中に頭を下げ、ふぅと溜息を吐く。自分一人で思い悩んでいた時間よりも随分と胸の奥の重みが少なくなったと上衣の袷を掴み、小さく笑んだ。
あとは優しい先達の言葉に従い、一度級長にも相談を持ちかけてみるべきかと呟いて背筋を伸ばす。参考になるのかならないのか、それでも様々な経験談を聞けたことで自分は自分と割り切れた内心によしと気合を入れ、金吾は庄左ヱ門がいるだろう長屋へ向かって走り出した。
−−−続.
|