――― 誓





 学園長を狙う刺客が園内に這入り込んだという報せが舞い込んでたった半日も経たない内に、事実は疾風のごとく解決し、突如現れた伝子が件の刺客を追い掛け回したというあまりにも哀れみを誘う衝撃だけを残して忘れ去られようとしていた。
 それよりも興味を誘い、授業後の教室内では組全体が話題に上げたのは相模から来ていたらしいというまだ見ぬ他流忍者の存在。喜三太が以前在籍していた風魔流忍術学園の先輩が来ていた話を一件の終了後耳に入れ、授業の最中からそわそわと落ち着きなくこっそりと噂話に花を咲かせる面々に土井も口頭では軽く叱責を繰り返しつつも、仕方ないとばかり苦笑の元に許容して一日がすぎた。
 その放課後、通常であれば各々教室外へと飛び出し球技などに親しむはずのは組は全員が教室内に残り、喜三太と兵太夫の机を囲むようにして顔を寄せ合う。
「そういえば喜三太って、風魔でこっちとは違う授業とか受けたことあるの?」
 与四郎個人への質問や空想話から一転し授業内容へと転向した話題に、口火を切った庄左ヱ門を始めとした九対の視線が好奇心に輝きを増す。それまでも随分と慌しく質問に応答を返してきた喜三太はその視線を受けて数度目を瞬かせ、はにゃと首を傾いで見せた。
「こっちと違う授業?」
「うん、忍術学園でやったことないような授業とか」
「あー、風魔の術の授業かぁ。でも特に変わったことはしてないと思うけど」
 なにかあったかなぁと反対側へ首を傾ぐ喜三太をやはり期待の眼差しで見守る視線に、思わず困ったように眉尻が下がる。けれどあぁと呟き手を打つ仕草に反応し、数名が腰を浮かせて前へと詰め寄った。
「あのね、風繰りの術のすっごく初級とかやってたよ」
「なにそれ!」
「うちわや扇で茂みとかを煽いで、自分が隠れてる場所と違う方向に注意を向けさせてる間に忍び込むの」
 にっこりと笑んだ喜三太に対し、周囲の十人ががたりとバランスを崩す。うちわに扇と引き攣りながら苦笑する級友達に喜三太は、一年のうちはそんなもんだよとひらひらと掌を翻した。
「まぁ、そりゃそうだよな……そんなカッコいい忍術があるわけないもんなぁ」
「こっちの忍術だって、普通の人が考えてるみたいにドロンと消えたりドカンと出てきたりもしないもんな」
「庄ちゃん、団蔵の国語能力って向上しないもんかな。擬音使って話すってヤバいよ」
「無理だよ兵太夫。国語能力の低さは、団蔵の個性みたいなもんだもん」
「だからお前ら、本人に聞こえるように言うなよ!」
 きり丸に続けた言葉に対する兵太夫と庄左ヱ門のあまりのやり取りに、たまらず団蔵が声をあげる。それに対し朗らかな笑いを漏らし、今度は三治郎が喜三太に視線を向けた。
「じゃあさ、幻術は? 幻術用のカエル、お世話してたんでしょ?」
「はにゃ? んーとね、これもすっごく簡単な手妻だけ……かなぁ。出来るとしても、ちょっとクラクラさせるくらいしか出来ないよー」
「そっかぁ」
「あ、でもねでもね。三年生くらいになったら、ちゃんと幻術の勉強も始めたいなとは思ってるんだよ」
 思いがけない一言に、全員がぴたりと表情を固める。自他共に教科成績の悪さを認めるは組所属の、しかも庄左ヱ門以外から発された勉学への欲求に、恐る恐るとぎこちない動きで全員が喜三太へと顔を向けた。
「喜三太が? 勉強?」
「……熱ないか? 頭痛くないか?」
「なんか変なもの食べた?」
「喜三太、医務室に入って誰もいなかったからって、その辺の瓶の中の薬飲んだとかじゃないよね?」
「んー……僕が勉強するーって言ったら、そんなに変かなぁ」
 畳み掛けてくる質問攻めに対し苦笑を返す喜三太に、そんなことはないけどと乱太郎が頭を掻く。それに反し、肯定の意味を込めて頷こうとしていたきり丸に三治郎が軽く後頭部を叩くことで沈黙を促した。
 その沈黙をつき、庄左ヱ門が改めて口を開く。
「幻術、覚えたいんだ?」
「うん。あのねぇ、幻術って、慣れてない人にはよく効くって言うでしょ? 乱太郎やしんべヱ、きり丸は前に悪い幻術使いに困らされたーって言ってたし。だからさ、実戦実習が増えたら、きっと役に立つなぁって。そしたら庄左ヱ門も、もっといろんな作戦立てられるでしょ?」
 あとはナメさん達含めた虫獣遁かなぁと続けられた言葉は無視し、なるほどと全員が思案のために一時口を噤む。現在の実戦実習は補習のためであって言ってみれば学年として必要なものではなく、実際の実戦実習が始まるのは三年になってからだと各委員会の三年生から耳に入っていた。その頃になればどうやら組対抗戦なども活発にあり、各自が己の役割を的確に全うすることで評価が下るという情報も既に聞き及んでいる。
 それを視野に入れると、確かに他組や他学年にも通じる特殊技能を身につけることは将来的にも決してマイナスにはならない。
「三年生では諜報や取り次ぎなんかが多いって話だけど、僕らは組はきっとこれからもこうだろうしね。その頃には園田村みたいなことにももっと多く巻き込まれてるような気もするし、……うん。これからも僕がは組の参謀を務めるにしてもほかの誰かに任せるとしても、悪いことはなにもない」
「喜三太が幻術と虫獣遁なら、兵太夫と三治郎はカラクリ、金吾は刀で虎若は火縄銃、団蔵は馬術だもんな。これだけでもほかの組よりは随分突き抜けてると思うぜ?」
「そう言うきり丸はぁ?」
「俺? 俺は縄標だよ。今のうちに中在家先輩に教えてもらっとかなきゃな」
「……それってきりちゃん、お得だから?」
「あったぼーよぉ! だって縄を引けば、何度でも使えるもんな!」
 目を銭のように煌かせて恍惚と笑うきり丸に、しんべヱと乱太郎が顔を見合わせて僅かに苦笑交じりの笑みを漏らす。それにつられたように笑う面々の中、三治郎が遠慮げにそろりと手を上げた。
「あの、さ。きり丸じゃないけど……実は僕、使えるようになりたい忍具があるんだよね」
「三ちゃん?」
「え、なに。カラクリ特化じゃないの?」
 兵太夫に続き、虎若が目を見開く。それに対し照れ臭そうに頬を掻き、三治郎は恥じらうように視線を伏せた。
「うん。……戦輪」
「ゲッ!」
「ちょっと! なにさその反応!」
「いや、だって、戦輪って言ったら……」
「滝夜叉丸じゃん……」
「そうだけど! 戦輪、純粋にカッコいいんだもの。暗器の中でも小さいしさ」
「……この流れだと非常に言い辛いんだけどさ。滝夜叉丸先輩、自慢を除きさえすればすごくいい先輩なんだぞお前ら……」
「金吾、そこが問題なんだそこが」
 戦輪という名称が出ただけで反応を呼ぶ委員会の先輩にフォローを入れるも、団蔵からあえなく却下を提示され項垂れる。それにまぁまぁと手を翻し、庄左ヱ門はさして気にも留めない様子で全員を見渡した。
「ほかに、なにか特殊技能を身につけたい人っている? どうせなら、みんなぶっちゃければいいと思うんだけど」
 そのほうがこれからそのつもりで作戦を作ることも出来るしと笑みを見せる顔に、名の挙がっていない乱太郎、しんべヱ、伊助が視線を交わす。その中でいち早く乱太郎が目元を綻ばせ、手を挙げた。
「じゃあ私から。私はやっぱり足の速さや似顔絵を生かして諜報や斥候を重点的にしたい。あと善法寺先輩みたいになりたいから、医療忍者になりたいかな。で、使うとしたら霞扇や眠り火、もっぱんなんかで、諜報終了後の撹乱役」
 武器を使うと自分が痛い目にあう可能性が高いからと締め括られた言葉に、さすが不運小僧と笑いが起こる。もうなんとでも言ってくれとばかり反論も返さない乱太郎に、伊助が笑いながら手を伸ばして軽く頭を撫でた。
「乱太郎はそのほうが似合うよ、やっぱ優しいもん。刀や手裏剣はなんとなく似合わないや。……僕はね、虎若には言ったことあるんだけど。……石火矢手に、なれたらいいなって。あー、もちろん田村先輩みたいに偏愛的な石火矢手にはなりたくないけど!」
 多方面から突っ込みを受ける前にと慌てて付け加えられた言葉に、分かってる分かってるとまた笑いが咲く。その中、周りに押し出されるように促されたしんべヱが、えっとねぇとのんびりと宙を仰いだ。
「んー、僕はねぇ……。あ、おんじょー忍と、順忍と、あと体術!」
「体術!? 音声忍と順忍は分かるけど、しんべヱが体術!?」
「あ、はい、はい!! 僕も! 僕も体術!!」
「……団蔵はともかく、しんべヱが体術……」
「…………なんかさっきから僕にばっかり棘のある返答が返ってるの、気のせい?」
「愛すべき弄られ役ってことだろ?」
 愛されてるねぇ馬鹿旦那と茶化すきり丸の言葉に、また馬鹿って言ったと団蔵が憤慨する。ともすれば乱闘に発展しかねず、相も変わらず逐一停滞しようとする話題に庄左ヱ門が深く溜息を吐き、無言で高らかに手を打ち鳴らした。
 言外に静粛を促す級長の意図を汲み取り水を打ったように静まる室内で、しんべヱだけがキョロキョロと辺りを見渡す。その様子に、伊助が苦笑を漏らしつつ手をひらひらと泳がせた。
「いやいやしんべヱ、庄ちゃんが理由を教えてって」
「あ、そうなの? なんか蚊でも飛んでたのかと思ったぁ。あのねぇ、僕ほら、足遅いでしょ? 忍術も上手に出来ないし。でも体術なら今からでも頑張ったらなんとかなるかもしれないし、それにパパの仕事を継ぐ時にもいいかなぁって」
 へらりと笑う顔に、喜三太のときと同様全員がなるほどと数度頷く。
 現在出揃った各自の目標取得技能を振り返り、庄左ヱ門が満足げに笑みを浮かべた。
「ふぅん。幻術、虫獣、カラクリ刀火縄銃に馬術、戦輪、医療に霞扇、石火矢、音声順忍体術、か。……僕の目標を含めてもしこれらを全部取得できたら、六年になった頃にはものすごいことが出来るかも知れないね」
「庄ちゃんも? 参謀役以外になにかあるの?」
「うん? あぁ、うん。一応ね。せっかく名人が身近にいる間に、音声の技術と変姿の技術を伝授してもらいたいなと思ってる」
「……悪い癖まで伝授されないでね、庄左ヱ門」
「さぁ、それは明言できないけど」
 にっこりと言葉を濁す様子に、どうやらその素質は既に伝授されつつあるらしいと理解し数人が顔を引き攣らせる。けれどあえてそれを無視し、言葉に出したからには達成するのがは組のいいところだと断言した庄左ヱ門の声に、きり丸と兵太夫がニィと唇を吊り上げた。
「もちろん。なんてったって、自分が興味あることにはとことん向き合うは組だぜ?」
「頭でっかちのい組に、いつまでも馬鹿にされるのは癪だしね。六年生になる頃には、泣いて後悔させてやろうよ。たっのしみぃ」
「……兵太夫、怖いよ」
「兵ちゃん。喜三太怖がってるから、その必要以上に悪どい顔やめたげてくれない?」
「わーん乱太郎ー」
「……でも出来るかな。とことん向き合うのがは組のいいところでも、そうは言ったところで僕らだよ?」
「大丈夫だよ金吾。なんたって、僕らは補習三昧で実戦三昧、トラブルを巻き込む達人だよ?今だって実戦経験なら三年生並だ。本当にやりたいことなら、嫌でも腕を磨かなきゃならない事態に僕らが自分を追い込んでるんだ。これから五年間、それを出来ないわけがない」
「庄左ヱ門が言うと、説得力が違うねぇ」
 三治郎の言葉に同意を見せ、全員が不意に沈黙し、弾かれたように笑い合う。そうと決まればこれから先もは組はは組らしく腕を磨いていくだけだと、まるで宣誓のように上擦って張り上げられた誰かの声に、誰もが鬨の声をあげた。



−−−了.