――― 山中にて (#43巻ネタ)





 夜の静けさは、慣れない人間にとってはとにかく恐ろしいものでしかないと思う。それが生活範疇から外れた山中となればなおさらのことで、金吾は閉じた瞼に力を込め、そろりと手を握り締めた。
 乱太郎のおかげで勝ち得た学園内最長の夏休みを利用し、喜三太と共に相模へ向け学園をあとにしてから五日目。ようやく尾張に入ろうかというところで運悪く荒れ寺すらも見当たらない山中で野宿をすることになってしまったことに唇を噛む。
 冬のような身を切る寒さはないといっても、夏の野宿はそれはそれで不快だった。纏わりつく湿気とべたつく汗、それに耳元を遠慮なく飛び交う虫の羽音。茂みの中に身を隠した上で辺りに警戒線を張って眠りにつく準備は整えても、いつ野党が表れるかもしれない恐怖と先述の不快感が邪魔をして睡魔も手を伸ばしてはこなかった。ちらりと隣を見ると、平和な寝顔が安心しきって寝息を立てる。
 この状況で当たり前のように睡眠につける大胆さに羨む気持ちを煽られ、金吾はムキになるようにまた瞼をきつく閉じた。
 それからさして時を置かず金吾のすぐ脇の葉ががさりと音を立て、幼い体は緊張で跳ねる様に飛び起きる。
 慌てて刀を探すも、そういえば今回は帯刀してこなかったのだと思い至り眉間を寄せる。けれどせめてなにか武器になるものはないかと手元を漁った時、また同じ場所でがさりと葉が動いた。
 見れば巨大なガマガエルが頬を膨らませての食事の最中。
「……なんだよ、カエルか……」
 取り越し苦労と知り、安堵の溜息を漏らす。ビックリさせるなよと小さく愚痴り再び体を寝転ばせると、喜三太の体がむずがるように身じろいだ。
「んー……。……きんご?」
「あ……ごめん。起こしちゃった?」
「んーん……」
 ごしごしと目を擦る喜三太の頭を撫で、ごめんと小さく謝罪する。
「まだ夜中だから、寝て」
「んー……きんごは?」
「僕も寝る」
 まだ睡魔のすの字も襲ってこないが、眠くないと言ってしまうと喜三太まで無理を押して起きていそうだと溜息を吐ききつく目を瞑る。鳥の鳴き声や小さな虫が葉を踏んだらしい音が聴覚に滑り込むたびにぴくりと肩を揺らした。
 別に怖いわけではないと、今更ながらに自分の中で虚勢を張る。
「……きんご」
 眠気の晴れない滑舌の悪い言葉が自分の名前を紡ぐ。その声になぁにと小さく返すと、やけに暖かな手が背中に廻り、正面からしがみつくように力を入れられた。
 突然至近距離に迫った柔らかな前髪が頬をくすぐる感触に、思わず閉じていた目を見開き慌てる。
「ちょ、喜三太!?」
「あのね、なんにも、こわくないよ」
「……え」
 虚勢を張った内心を見透かされたようで肩を揺らす金吾の背を、柔らかな手がゆっくりと二度叩く。まるで伊助の仕草のようだと考える間もなく、文字に表記するならば恐らく崩れ落ちそうな声音で喜三太が口を開いた。
「ぼくもね、前のガッコでこんなふうに野宿しなきゃいけなかったとき、こわかったんだぁ。でも、よしろーせんぱいがずーっとこうやっててくれたから、こわくなくなって、寝られたんだよ」
「……一晩中?」
「うん、ひとばんじゅう」
「……なんか、ヤダ」
「なんで?」
 目を瞑ったままで眉間を寄せ難解そうに首を傾ぐ喜三太に、なんでもないと膨れ面を隠して返答する。納得はいかないのかくぐもった唸り声にもう一度なんでもないと返し、金吾は結われたままの頭を撫でた。
 その手の柔らかさに安堵したのか、背中に回された手に再び力が入る。
「だからね、きんごが怖いときは、ぼくがこうやって寝てあげるからね」
「……うん」
 了承の言葉にふにゃりと笑い、そのままトロトロと睡魔の誘いに乗って意識を手放す。その寝顔に緊張の糸もいつの間にか切れ、金吾は抱き締めてくる暖かな体温と微かに伝わる心臓の音に耳を澄ませて目を閉じた。





−−−了.