「とまぁ、以上が現状で伊助の考えそうなは組メンバーの配置付けだよ。伊助、きり丸、兵太夫、団蔵、三治郎の役割は恐らく当日も変更はないだろう。なぜなら、対い組の作戦において今までこれで失敗したことはついぞないからね。それに他の五人に関しても遊撃部隊と見てほぼ間違いはないと思う。……さて、なにか質問はあるかな?」
 そう言って庄左ヱ門がにっこりと笑んだのは、い組全員が昼食を摂り終わった後の昼休みだった。
 今年こそは実践でもは組を打ち負かし、名実ともに学年一優秀な学級であるという証明を得て見せると意気込んでいたその室内。そこは最初こそ誰もが根拠のない自信で胸を張って語り合っていたものの、いざ迫り来る対抗戦に向けて具体的な案を挙げる段になれば誰もが戸惑うように目を泳がせていた。
 まさにその最中、唐突に始まった庄左ヱ門からのは組の配置予想である。
 当然のようにその出し抜けな語り口に、庄左ヱ門の癖や年々芝居がかっていく台詞回しに慣れているはずの彦四郎ですら一瞬呆気に取られて目を丸くする。しかしその内容が少なくともつい先日まで当たり前のようには組内で通用していた割り当てらしいと知るや否や、誰もが口を閉ざしてその発言に意識を集中した。
 そしてその口上が終わるとほぼ同時に、い組の教室内が色めき立つ。
「そうだよ! 今年からはは組の動きを知り尽くしている庄左ヱ門がいるんだし、それを頼りにあいつらの裏を掻いてしまえば僕らの勝利は決まったようなものじゃないか!!」
 喜色に満ち満ちた伝七の声に、そこかしこから同意の声が上がる。相手の動向が読めないのならまだしもほぼ決定しているというのなら容易いと湧き上がるその言葉の数々に、ただ一人、彦四郎だけが苦々しい表情で奥歯を食い縛った。
「なぁ、みんな簡単に庄左ヱ門の話に乗せられすぎだぞ!」
 思わず迸った大声に、それまでの興奮した雰囲気が一気にひやりとしたものへと変わる。
 まさしく熱気を孕んだ砂に冷水を撒いたかのごとく変貌したその空気の中で、彦四郎はぎろりと庄左ヱ門を睨みつけた。
「質問ならあるぞ、は組の級長。あいつらだって馬鹿じゃない。お前がこっちにいると分かってるのに、そんな今まで通りの策を練ってくるって保証がどこにある? それに頭の切れる左吉や伝七に対して、団蔵と兵太夫? 兵太夫はまだしも、団蔵をつけてなにか得があるか? 去年まで組対抗でやっていた鬼ごっこは、足腰を鍛えるためのただの鬼ごっこだった。だから誰に誰をつけようが、鬼と決められた組から逃げられれば相手は勝ち。たまたまい組が鬼だっただけで、は組は逃げただけだ。そこには策もなにもない。違うか? 今回のはただの鬼ごっこじゃない。言うなればケードロだ。相手を効率よく捕まえ、かつ逃げるためには策が必要になる。それを去年と同じ布陣でのこのこやってくるとは、僕には到底思えないけどな」
 吐き捨てられた言葉と険悪な雰囲気に、先刻まで盛り上がっていたはずのい組の面々は剣呑そうに二人を見守る。喧嘩腰で睨みつける彦四郎の剣幕にその口調の刺々しさを諌められる者もおらず、かと言ってその言葉が正鵠を射ているだけに庄左ヱ門を擁護しようとする者もいなかった。
 その不安と猜疑心の中心で、庄左ヱ門がやがて困ったように眉尻を下げ、肩を竦める。
「は組の級長じゃなくて、元は組の級長だろ? 僕らい組の級長さん。まぁまだ編入が正式に認められていない上に、唐突に決まってからまだ一日しか経ってないから疑うのも無理はないと思うけどね。だからこそ信用を得たいと思って僕の予想を伝えたのに。……まぁ、細かいことはいいか。質問はあるかと聞いたのは僕だ。今は大人しくそれに応じるよ」
 忌々しげな視線を正面から受けてなおにこやかに返答する庄左ヱ門の表情に、僅かながらも室内の空気が和らぐ。やがて安堵したような、それでもどこか窺うようなひそやかな囁きが聞こえる頃、満面の笑みが彦四郎を見た。
「とりあえず彦四郎は、は組を高く高く買ってくれてたんだね」
 心底嬉しそうな声音に、思わずぽかんと口を開ける。
「……は?」
「え、だってそうじゃないか。アホのは組と言いながら、今お前は自分でなんて言った? あいつらだって馬鹿じゃないって言ったんだよ。それって普段から高く買ってくれてる奴じゃないと言えない台詞だと思うんだよね。それに以前から他のみんなには、庄左ヱ門がいないとなにも出来ないくせにとかなんとか言いながら、僕がいなくてもなんとか出来ると思ってる。それって言い換えれば、裏腹な信頼感だよ」
 にっこりと笑んだ庄左ヱ門の言葉に、彦四郎の顔が瞬時に赤く染まる。それとほぼ同時に後ろにいた左吉と伝七の顔も同じく朱に燃えた事実に、一平だけが可笑しそうに肩を揺らしていた。
 金魚のようにパクパクと口を開閉し、羞恥のあまり声も出ない彦四郎に対してさらに庄左ヱ門は言い募る。
「まぁ彦四郎がそういう性質だってことは分かってはいたけど、さすがに嬉しくなっちゃったよ。いくら今はここに在籍してると言っても、友達を褒めてもらえると単純に嬉しいからね。疑い深いと言ってしまえばそれまでだけど、彦四郎の相手を高く評価して警戒する癖、好きだな」
 恥ずかしげもなくさらりと口にされた好意にさらに顔が赤くなるのを感じ、咄嗟に唇を噛んで顔を背ける。それをにこにこと見つめてくる庄左ヱ門に対し、彦四郎は頬を赤らめたまま睨みつけた。
「は……話を逸らそうったって無駄だからな……! ちゃんと僕の質問に答えるまで、僕はお前を信用なんてしないぞ……!」
「うん、別にそんなつもりはないよ。ただ単に友達として好きなところを伝えただけなのに、なんでそんなことになるのさ」
 精一杯の反論に対してまたしてもこともなさげに返された言葉に、考え方の噛み合わなさを感じてもどかしさのあまり頭を掻き毟る。しかし庄左ヱ門が本来天然に属する人間だということを思い返したのか、どうにか呼吸を落ち着け、改めて見返した。
「……それで、ちゃんと答えはあるんだろうな」
「あるよ。例え僕の行動に他意があったとしても、理由もなくい組を陽動出来るとは思わないだろうね」
 可笑しそうに目元を綻ばせて一度咳払う庄左ヱ門に、それでも疑わしげに片眉を上げる。その視線をもはや無理に信頼させようとは思っていないのか、目を閉じて受け止め、静かに唇を開く。
「まず最初の質問の答えからだね。なぜ今までの作戦を練ってくると思ったのかって答えは至極簡単だ。それは今まで策を練ってたのが僕で、今回策を練るであろう参謀役が伊助だからだよ」
 当たり前のように断言された言葉に、理解が及ばず眉間が寄る。そしてそんな彦四郎の反応すらも予想範囲とばかりに、庄左ヱ門は続けて説明を口にした。
「伊助は僕の補佐役をずっと買って出てくれていた。そして僕も、仮に僕が不在のときには組全員が面倒に巻き込まれても大丈夫なように、考え方や策の組み立て方を色々と考えて伊助に相談していた。例え他の誰かが策士に名乗りを上げても、伊助が適任だという声のほうが多いだろう。だからこそ読める。……伊助は僕がいない穴を埋めようと、今までの策を踏襲したものを考える。い組にあわせて確率論で語るなら、恐らく九割以上の確率だと断言できるよ。それが最初の答えだ」
 唇を吊り上げ、挑戦的な上目遣いを見せる庄左ヱ門の視線に、思わずなるほどと納得して唇を引き結ぶ。確かには組の中で自ら進んで庄左ヱ門と同じ立場になろうという人間は少ない。その上今回の騒動の発端であるはずの団蔵は、事前策の立案に関してはあまり能力を発揮出来るタイプではない。
 それは二年間委員会を共にしていた左吉から、常日頃から聞かされている話を考えれば簡単に想像できた。
 納得出来てしまった自分に少々悔しい気持ちを隠さず、僅かに頬を膨らませて庄左ヱ門を見る。
「策の件に関しては納得した。……じゃあ二つ目の質問の答えを言ってみろよ。左吉と伝七に、なんで団蔵と兵太夫をつける理由がある」
「それも難しい答えじゃない。なにより、お前は去年までの対抗戦を少し勘違いしているよ」
 ここに至って、初めて庄左ヱ門の眉間が渓谷を生む。その不満げな表情に一瞬気圧され、彦四郎が一寸ほど身を引いた。
「……勘違いってなんだよ」
「鬼ごっこは足腰を鍛えるだけじゃない。みんな知らず知らずの内にそれをやっているというだけで、遁術を実践するための大事な訓練だよ。それを僕らは一年のときに山田先生と土井先生から耳にタコが出来るほど言われた。そこに順序立てた策を加えると、成功率はより高くなるだろ? ……通りで去年、い組が楽に策に掛かって右往左往してくれると思った。僕らを侮って、ろくに作戦も考えずにやってたのか。安藤先生ならまだしも、厚着先生にはなにも言われなかった?」
 呆れた口調になにも言い返せず、目を泳がせる。確かに実技担任である厚着にはきちんと策を練るべきだと言われた覚えはあるが、それこそただの鬼ごっこだと思い込んでいた自分達は、必要ないと高を括ってそのまま当日に臨んだのだった。
 結果、惨敗したのは苦々しい記憶として脳裏に刻まれている。
 そのままなにも言えなくなってしまった彦四郎を尻目に、庄左ヱ門が重々しい溜め息を吐く。
「まぁ、その間違いは今年から正していけばいいんだけどさ。同学年で仲がいいとは言っても、実践授業中は敵対者なんだから。不測の事態になると必要以上に相手を評価して警戒心を持つくせに、授業となると安心して侮っちゃう癖、よくないよ」
「……うん、それは、うん。これから気をつける……」
 正論という名の苦言に項垂れ、恥じ入った顔を見られまいと顔を隠す。それを知ってか知らずかまた一つ小さく溜め息を吐いた庄左ヱ門は、やがて仕切り直したように声を明るいものへと切り替えた。
「さて、で、二つ目の質問の答えだよね。左吉と伝七を相手にするのに、なんであの二人を起用するのか。それはあの二人が恐らく、は組の中では一番二人の癖や性格を把握しているからだよ。勿論逆もまた然りで、左吉と伝七もまた、い組の中で言えば団蔵と兵太夫の癖と性格を一番把握していると思う。違うかな」
 にこやかな声音が、今度は話に上がった二人へと向けられる。それまで彦四郎と庄左ヱ門の討論を静かに傍聴していただけの存在から突然話の中心に引っ張り出された二人は、戸惑うように辺りを見回したあと、どこか遠慮げに頷いた。
「まぁ、そうだと思う。団蔵とは徹夜で委員会をすることも多かったし、集中力が切れかけてきたときの癖や、なにを言ったら怒るのかとかは……うん。このクラスでは俺が一番知ってる」
「僕もだ。とは言っても左吉みたいな理由じゃなくて、僕の場合はあいつの癖を把握しておかないといつ罠に掛けられるか分からないからだけど……。だからこそ、あいつが罠を確認するときの癖とか、あと仕掛けるときの癖は分かってるつもりだ」
 その返答に、満足そうに庄左ヱ門の表情が綻ぶ。聞いての通りだと芝居掛かって肩を竦めたその仕草に、彦四郎は忌々しげに舌打った。
「だったら、どっちが捕まっても五分五分ってことか? それはいくらなんでも乱暴な理論だと思うけどな」
「違うよ彦四郎。この理論で行くなら、確実に捕まるのは左吉達だ。だっては組は実践となると急に各自の持ってる能力を十二分に発揮するようになる稀有な忍たまだからね。それに団蔵はあれでも現場指揮担当だ。隙を突くのが巧いんだよ。兵太夫もそれと同じ。相手をカラクリに掛けようとしているときの兵太夫の抜け目なさは知ってるだろ? いくら理詰めで攻めても、あの二人には通用しないよ。だからこその布陣だ。それについでだから言っておくと、一平に三治郎をつけるだろうというのも同じ理論だよ。こう言ってはなんだけど、一平は足が速いほうじゃないし、それに特別遁術に長けているというわけでもない。虎若は今年から用具委員に変わったけど、三治郎は今年も一緒だろ? 癖を知ってて、尚且つ圧倒的に足の速い三治郎にとっては、一平は格好の獲物と言ってもいいだろうね」
 さらさらと紡がれる言葉に、最終的に一平が怯えた顔で引き攣っていく。それを見ながらまるで脅すかのように唇を吊り上げる庄左ヱ門に、悪ふざけはするなよと間に割り入った。
 後ろで上衣を掴んでくる一平の手の感触にドギマギとしながら、悪びれた風でもない委員会仲間に牙を剥く。
 それを口笛でも吹くかのように受け流し、庄左ヱ門が悪戯な笑みを見せた。
「一平を怖がらせちゃったのは謝るよ。だけど僕が言ったのは事実だと思うよ? ……で、ここまでが僕の読みだ。この予想が正しいかどうかを見極めて、尚且つどう裏を掻くか考えるのは彦四郎を初めとしたみんなに任せたほうがいいだろ? まだい組としての信頼を得ているとは言えないし、僕が入ることで無意味な論争が起こるのも避けたい。あとは僕は求められたときに助言を差し出す程度にして、発言を控えさせてもらうよ」
 両手を挙げて投降する際の姿を見せる庄左ヱ門に、全員が目を見交わす。いかについ先日まで敵対組に属していたとは言っても、学年で数少ない策士をそんな扱いにしてもいいものだろうかと惑う目に、やがて彦四郎が大きく息を吐いた。
 その音に、決断を委ねたい組の視線が集まる。
「お前の立ち位置はそれで問題ない。それと、とりあえず今までの話は全て信用してやる。あとは僕を中心にして策を考えてみるから、口を出さなくていい。……言っておくけど、お前がは組の間者かもしれないってことを、僕は疑わないわけにはいかないからな。僕の目の届かないところで作戦を横流しされたんじゃたまったもんじゃないんだ。だから、対抗戦が終わるまで僕と行動を共にしろ。いいな」
 あくまで警戒心を解いてはいないものの、今までの情報を無碍にするには惜しいと考えたのか、受け入れを決めた級長に安堵の溜め息が室内に溢れ返る。それに心底嬉しそうに表情を緩め、情報だけでも信用してもらえてよかったよと笑った庄左ヱ門に、彦四郎は拗ねたようにそっぽを向いた。
「怪しい動きがあったら、即は組に帰ってもらうからな。ただでさえ左吉と伝七に目立つところを取られがちなのに、この上お前にまで盗られるなんて冗談じゃない」
「なに馬鹿なこと言ってるんだか。今の流れを見てるだけでも、立派に級長の役目を任されてるじゃないか」
 気安く肩を叩く庄左ヱ門の言葉とほぼ時を同じくして、昼休み終了の鐘の音が響く。その音に慌てず騒がず自席に戻る級友達を尻目に、彦四郎はもう既に馴染んでしまったように隣に座った委員会仲間を盗み見た。
 立派に級長を果たしているという言葉に、思いがけず喜んでしまった内心を恥じて唇を噛む。
 少なくともまだ油断できる状態ではないと口の中で繰り返し、揺らぎかけていた意思を叱責して奮い立たせる。巧みな話術を利用して人心に取り入るこの友人に、せめて自分だけは惑わされまいと拳を握った。



−−−続.