場所は再び牢屋へと戻る。
 喜三太は庇うように手を繋いだ金吾の隣に、その金吾の隣には小平太が腰を下ろし、それに向き合うような形で二人の男が座っていた。
 その目が所在無さげに動き回る様子に、金吾の眉間が怪訝に寄せられる。見上げた小平太はやはり機嫌良さげな笑みを絶やすことはなく、それが不可解さに拍車を掛けていた。
 やがて、勢いよく膝を打った小平太の動きに男達の肩がびくりと震える。
「なぜこんなところに隠し砦があるのかは分からんが、うちの後輩が世話になったな! まぁ大丈夫だろうとは思っていたんだが、良くぞなにもしないでいてくれた! 礼を言う!!」
 輝かんばかりの笑顔で溌剌と話しかける小平太に引き攣った苦笑を漏らし、あぁまぁと歯切れの悪い返事が返る。返答しながらもやはり所在の定まらない視線で場を濁そうとする男達に些か機嫌を損ねたのか、なんだと拗ねたような声音が漏れた。
「どうした。久し振りに会ったというのに、やけに余所余所しいな」
「……いや、お前……」
 思わず呆れたような顔を見せた男達に、小平太よりも金吾が内心を察して苦笑を浮かべる。自分達の頭の上では今や忙しなく足音が聞こえ、切羽詰った声音が響き渡る。もちろんこれが侵入した自分達を探してのものならこうして落ち着いているわけにも行かないが、この砦にとって、事態ははそれよりも遥かに切迫していた。
 突然起こった原因不明の地滑りとそれによる腐食部分の倒壊で、この砦はいつ全壊してもおかしくない状況にある。
 しかもそれが目の前にいる人外じみた体力の持ち主を起因としていることは、少なからず縁を結んだ人間にとって察するに余りあった。
「……とりあえずお前の後輩だとは思わなかった。見ての通り苛めてもいなけりゃ怪我もさせてない。だからとっとと帰ってくれ」
「落城した後はお前らに目を付けられないようにってこんな山奥に立て篭もってたのに……! なんで来ちゃうんだよ!」
「んー、そんなこと私に言われてもなぁ」
 理不尽な要求にガシガシと頭を掻き、不服を漏らす小平太を苦笑で見上げる。知らなかったこととは言えどこちらの身内を攫っておきながら見つけてくれるなという相手は確かに身勝手だが、その気持ちも分からないわけではなかった。
 そうやってやがて旧知の話が終わる頃、おずおずと金吾の隣から手が挙がる。
「あのぉ、ちょっといいですかぁ?」
 遠慮げな声に、その場の視線が一斉に集まる。その言いようの無い威圧感に慌てて金吾の影に隠れるも、困ったように笑んだ手がそろりと触れたことでまた顔を覗かせた。
 それを上から覗き、笑みを見せる小平太に喜三太の目が上目遣いに上がる。
「この人たち、ホントはもうこのお仕事を辞めたいらしいんです。えっと、ご家老様が御家の再興を目指してるらしいんですけど、お給料がちょっとしか貰えないらしくってですね。お給料上げてって言ったら怒られるらしいんです。でも可哀想だから離れられないって。どうにかしてあげられませんかぁ?」
 言葉に、話を聞いた小平太ばかりか当事者の男達も目を丸くする。
「でも喜三太、お守り袋の中に入ってたあの密書は? どこかと密約を結んだりしてて、それを知られないように嘘を言われたとかはない?」
「あ、あれねぇ。ご家老様に言えない愚痴をお仲間で文通してたんだって。オジサン達ホントに疲れた顔して言ってたから、嘘じゃないと思うよ。でも金吾、あのグチャグチャが密書だってよく分かったねぇ!」
 心底感心したように華やいだ喜三太の表情に、金吾の目が泳ぐ。自分が密書と見破ったわけではなくそれは先輩の功績だと訂正しようとするも、大きな手が軽く背を叩く感覚に慌てて振り返った。
 黙っていろとばかり片目を瞑ってみせる先達に、思わず恥じ入って頬を赤らめる。その間にも隣からはすごいすごいと手放しにはしゃいだ声が聞こえ、金吾は照れと羞恥で脳が沸騰するかと錯覚した。
「……あのっ! 七松先輩はどう思われますか!?」
 頬の赤さと恥じらいを誤魔化すつもりで投げた問い掛けが、思いがけず張り上げられたことに驚き口を塞ぐ。けれど当の小平太はそんなことを気にも留めず、投げられた疑問にただ首を捻っていた。
「んー、とりあえずアレだな。トラブルに巻き込まれやすい体質や、自らそこに飛び込んでいく性質というのは乱太郎達だけかと思っていたんだが。どうやらお前達は学級全員がその傾向にあるみたいだな」
「あ……」
 責めるような口調ではなかったものの、常日頃から学級担当教諭二人に言われ続けている言葉に青褪める。微かに冷えた手の温度に、触れていた喜三太が心配げに顔を覗いた。
 その不安を煽らぬようにと、懸命に唇を開く。
「す、すみません……」
「うん? あぁ、勘違いしたかも知れんが責めたわけじゃないからな! さっきのは気にするな、ちょっと羨ましかっただけだ!」
 くしゃりと頭を撫でる手に、それでもやはり恐る恐ると視線を上げる。とは言ったところでこの先達に裏表など見たことが無く、見上げた先には誇るような笑みだけが金吾を見下ろしていた。
 それにほうと安堵の息を吐き、静かに言葉の続きを待つ。
「まぁしかし、せっかく落城してくれた敵対勢力が再興を目指しているというのは学園としても由々しき事態だな。ちなみに誰を当主に戴くかとか、そこらへんは決まってるのか? 私の知る限り、そっちの城の殿様に子や兄弟はいなかったと思うんだが」
「あぁ、いやぁそれがなぁ……。ご家老が後見人となって、どこかの武家の子を養子として祀り上げようかって話しみたいで……」
「なに!? それはいかんだろうっ!」
 強面の男の端切れの悪い言葉に、ガタリと小平太が立ち上がる。それを驚いて見上げ、金吾と喜三太は顔を見合わせた。
 それを見下ろし、小平太は唇を噛んだ。
「当主に腰を据えるということは、敵から一番の標的、手柄首として狙われるということと同意義だ! 血縁があれば諦めも出来るだろう。それでなくても、野心溢れる者ならそれも含めて受け入れられるだろう! だが縁も所縁も無いものを誑かし、祀り上げるというのは気に食わん!! それはつまりこの二人とて、もしかしたらその的にされたかも知れんという事だろう!」
 憤る小平太の言葉にようやく、二人は自分の家系のことを振り返る。金吾は疑いようもなく武家の出で、喜三太は忍者として勉学を積んではいるものの父親は武家の人間だった。委員会を同じくする金吾のことはともかくも、まさか喜三太は自分のことまで含まれているとは思ってもおらず、ただただ驚愕した面持ちで小平太を見上げる。
 未だ憤慨に呼気を荒げた先達は、一度深く息を吐く。
「よし、決めた! 喜三太、お前の願い通りこいつらをどうにかしてやろう。だからお前達二人、少し私を手伝え。この砦を壊しに掛かるぞ」
 自信に満ちた投げ掛けに、まずは二人とも威勢よく返答する。けれど言葉の最後に付随された些か物騒な物言いにしばし沈黙し、やがて仰天した声音で返した。
「はい!?」
「壊しちゃうんですかぁ!?」
「当たり前だ、なにを驚くことがある! それが一番手っ取り早いだろう!」
 金吾と喜三太ばかりでなく、突然の暴論に引き攣った男達までもを見下ろし、肩を竦めて再度身を屈める。
「よく考えてみろ、なぜこいつらがこんなところで再興話を進めていると思う? 城は既に落ち、持っていたはずの領土は奪われたままだ。だが、領土から離れたここには砦がある。人目に付かないように山中に埋まるようにして築城されたこの隠し砦がな。いいか、人とは愚かなもので、金が無くても見栄で立っていられる。それが権威を象徴する砦を手にしたとなれば尚更だ。こいつらがここから移動もせず根城にしているのは、ここが文字通り、オオシロカラカサタケ城の最後の砦だからに他ならん。ならここを壊してしまえば、見栄は失われ、後に残るのは心折れた老人と、それに同情して集まっていただけの烏合の衆だ。直接手を出さずとも、いずれ散り散りになる」
 淡々と紡がれる説明に惚けたように尊敬の眼差しを向ける後輩に気付き、はたと気付いた小平太が照れて頭を掻く。頭を遣うのは慣れていないんだがと笑う声に金吾は反射的に首を振り、そんなことはないですと身を乗り出した。
「七松先輩は、僕達の至らないところにまで考えを廻らせてくれるすごい先輩です!」
 勢い込んだ言葉ときらきらと輝く瞳に些か気圧され、そうかと照れ笑う。それに嬉しげに頷いて見せた金吾が喜三太を見返り、ねぇと同意を求めて見せた。
 それに楽しげに肩を揺らし、うんうんと何度も頷く。
「金吾は七松先輩、大好きだもんねぇ」
「だって、ホントにすごい先輩なんだもん」
 微笑ましい会話に、眺める先達の顔が思わず綻ぶ。けれど先ほどまでよりも一層強く揺れた砦に、小平太は舌打ちして天井を睨み上げた。
「自然に崩れたんでは建て直す気力を残す。早く打って出たほうがよさそうだな。金吾!」
「は、はいっ!」
「露払いは私がやる。お前は横槍を入れてくる奴を片っ端から叩き伏せろ。峰でも刃でも構わん。さっきみたいに惑っている時間は無いぞ。それと喜三太!」
「はいぃ!」
 先ほどまで馴染んでいたとはいえ、基本的には委員会も違えばさほど接点を持たない年長者の大声に、思わず背筋が伸びる。
「お前、確か風魔の出身だったな?」
「……はい。そうです」
「風魔は幻術、つまり人を惑わすことに長けていると聞く。いいか、お前はこの砦の中をオロオロと走り回れ。誰かにお前は誰だと聞かれたら、世継ぎの候補としてここに攫われたが、自分は忍術学園に所属する者で、仲間が助けに来たと吹聴しろ。それと、故郷の風魔の連中が大挙して迎えに来ているらしいとな。そこの二人は早速今から大騒ぎして、とにかく仲間を外に逃がしてくれ。出来るだけ怪我人や死者は出したくない」
 てきぱきと指示を出すと、戸惑い気味の男達を急かして追い立てる。急かされるまま慌しく出て行く背中を満足げに見送る小平太に、金吾は不安げな目を向けた。
「喜三太は一人で置いておくんですか」
「そうだ。心配だろうが、あいにく私の頭ではこんな作戦しか思いつかん。もちろんある程度壊したら、後は私に任せてお前は喜三太の傍に行ってやれ。……心配せずともこの程度の状況、お前達は潜り抜けられるだろう。だな、喜三太」
 にぃと笑んだ笑みに、喜三太は戸惑いながらも頷きを返す。それにさらに笑みを返し、小平太は二人の背を叩いて立ち上がった。
「それじゃ、ささっと片付けるぞ! 少し準備運動をするが、許せ金吾!」
 ぱちりと片目を瞑ってみせる小平太の仕草に、言外に膳立てをされたことを悟りまた頬を赤らめる。けれど知って尚その好意を無碍にするのも失礼かと溜息を吐き、金吾はそろりと喜三太の手を握った。
 きょとりと自分を見る目に、こくりと唾液を飲み下す。
「すぐ迎えに行くから。だから、ちょっとだけ待ってて」
 まるで別の場面の台詞のようだと思いながら、それでももう滑り落ちてしまった言葉は消せるはずも無いと赤面する。例えるならば茹で上げられたタコのような顔色になった金吾に、喜三太は一度首を捻り、その後ふにゃりと笑んで見せた。
「うん! 大丈夫、金吾が来てくれるの待ってるよー。だって金吾、今だってそうやって迎えに来てくれたもんねぇ」
 にこにこと機嫌良さげに紡がれた信頼に、赤面したままの金吾の目が僅かに滲む。嬉しさと恥ずかしさでひりつく喉でどうにか頷きだけを返し、金吾は準備運動を続けていた小平太の隣に走った。
「ん。なんだ、もういいのか?」
「あの、はい。も、十分、です。ありがとうございました」
「そうか。初々しくていいなぁ!」
 からかうでもなく心底からそう言っているらしい声音にまた赤面し、早く行きましょうと袖を引く。それを小平太は昔を懐かしむような視線で見下ろし、それじゃあ行くぞと床板を蹴りつけた。
 それだけで一瞬、世界が震える。相変わらずついて行くだけで精一杯な速度。その中で金吾はちらりと後ろを見返り、廊下に出て自分に手を振る喜三太に、ほんの小さくだけ笑みを返した。



−−−続.