そこはあばら家と見紛うほど、酷く痛んだ隠し砦だった。
 随分と長く放置されていたのか、それとも一度は廃城になったものなのかは分からない。だが攫われて来た立場にあっても呆れ返るほどのその様相に、喜三太は言葉もなく口をあけた。
 床板や柱は腐っているものが多く、それを補強するために太い枯れ枝で無様な修補が目に付く。そればかりか座らされている床板の下からはちろちろと微かな水音が響き、土の中で蓄えられた地下水が流れているのだろうと推測出来た。
 土に埋まるようにして、この砦は佇んでいた。
「どうでもいいけどこのお城、ものすっごく危なっかしくないですかぁ? そこらへん腐ってるし、あの柱なんてグラグラだし。下に流れてるの、地下水ですよねー。漆喰で固めるとか、石灰を敷くとかなかったんですかぁ? 湿気を防ぐのは漆喰と石灰が一番だって、僕の先輩が言ってましたよー。それに半分くらい土の中に埋まっちゃってるじゃないですかぁ。もうすぐ崩れちゃうんじゃないかと思って、安心して捕まってられないんですけどぉ」
 狭く粗末な床間の中央に座らされた喜三太の目が、不満と不安に唇を尖らせてきょろりと室内を見回す。一応牢屋の体裁は整えられているもののその檻は腐り落ちて意味を成さず、言うなれば悪趣味な室内装飾を施された場所に放り込まれた状態だった。
 目の前には、滅紫の忍装束を身に纏った男が二人。そのうち一人は強面で喜三太のその様子を呆れたように見つつ、もう一人のやたらと気弱げな顔の男はオロオロと挙動不審に室内を歩き回っていた。
「お前なぁ、攫われたんだから泣くとか怯えるとかしろよ。こっちが拍子抜けするじゃないか。それに土に埋まってるんじゃなくて、ここはそういう風に作ってあるんだよ! 隠し砦として! ちなみに漆喰や石灰を使わなかったのは、うちの殿がものすごーくケチなお人だったからだ!」
「それより早く出してくんないかなぁ、あの密書! こんなチビ連れて帰って来たのバレたら絶対理由探られるって! あの人、変な勘はものすごく鋭いんだから!」
「お前があれを落としたのが原因だろ! ギャーギャー騒がず、静かにそこで見張ってろ!」
 攫われてきたはずの自分より遥かに混乱した様子で騒ぐ男達に首を傾ぎ、なんの話と疑問を口にする。その言葉に我が意を得たりと顔を近付けた強面の男の顔を片手で押しやり、喜三太は不愉快そうに眉間を寄せた。
 無理矢理押し戻されたまま、男は訝しげに目を瞬く。
「……この手はなんだ、チビ」
「チビじゃありません、山村喜三太です。それにこの手は、一人のときに怪しい大人が顔を近付けてきたらこうしなさいって言われたんです」
「誰に」
「僕の先輩です」
「なんでこうしなさいって言われたんだ」
「んー。よく分かんなかったけど、危ないからだそーです。十二歳くらいまでは体が出来上がってないから、そのまま頂かれたら大変って。頂くってなんですかぁ?」
 疑問に首を傾ぐ喜三太に言葉も出ず、もういい分かったと男が肩を落とす。
「とりあえずその先輩とやらに言っておけ。餓鬼を相手にする趣味はない……」
「はにゃあ、分かりました。今度そう言っておきます」
 あまり理解も出来ないまま了解し、頭を捻った体勢できょろりと目を泳がせる。なんの話だったっけと呟いた声にはたと我に返り、強面の男はまたずいと身を乗り出した。
「密書だ! おいチビ、お前がさっき拾った密書を出せ!」
「密書?」
 見に覚えのない単語に首を傾ぎ、目を泳がせて記憶を探る。
「そんなの拾ってないですよぉ」
 眉間を寄せる喜三太に、そんなわけはないともう一方の男が叫ぶ。
「お前が拾ったのを見たんだ、間違いない! なぁ、頼むよ出してくれよ。あれがないと俺達、胃がストレスで爆発しそうなんだよ」
「そんなこと言われてもぉ」
 手を合わせて懇願する気弱な姿に、心底困った表情を見せて視線を逸らす。助けを求めている人間に手を差し伸べるのはは組の習性ではあるものの、身に覚えのないものを出してくれと頼まれたところでどうすることも出来なかった。
 少なくとも文の形をしたものを拾った覚えはないと結論付け、眉尻を下げて二人を見上げる。
「うー……。でもやっぱり僕、密書なんて拾ってないですよ。拾ったのはお守りだけです」
 お守りという単語に、二人の目が輝く。
「だからっ」
「それが密書!」
「はにゃ?」
 言葉の意味が理解出来ず首を捻る喜三太に、今度は二人同時に詰め寄る。その勢いに押され思わず後ろに引き下がった肩を掴み、男達は鬼気迫る表情で目を血走らせた。
「これだろ? これと同じ武芸上達の刺繍のしてある守り袋だろ? そのお守り袋の中に密書が入ってたんだ。なぁ、どこだ? どこに持ってる? 出してくれないかなー?」
「大事な大事な密書なんだよー。山里の子には分からんかも知れんけどな、忍者の密書っていうのはものすごーく大事なものなんだ。失くしたら大変なんだぞー? だからほら、頼むから早く」
 先刻拾ったものとそっくり同じな三つの守り袋を見せてじりじりと顔を近付けてくる二人に、身動きを封じられた喜三太の目が次第に潤む。密書が守り袋だった衝撃よりも、そしてそれを既に自分が持っていないと伝えなければと思うよりも先に、助けを求めるように動いた指がナメ壷の蓋をころりと転がしていた。
 途端、うねうねと大量のナメクジが男達の手や足をぬるりと這う。
「ヒッ!?」
「ちょ、なんでこんなにナメクジが……!」
 気持ち悪さに同様と混乱を起こした男達を尻目に、喜三太は慌てて距離を取ってナメ壷を抱え上げる。未だその表面を這っていた数匹を指先に乗せて感謝を漏らした姿に、二人はまさかと顔を青褪めさせた。
「……これ……お前の? 飼ってんの?」
「そうですっ、僕の可愛いナメクジさん達ですっ! オジサン達の顔が怖くて泣きそうになってたのを感じて、助けてくれたんですっ!!」
「それ、ただ単に蓋が外れただけじゃ……。いや、しかし怖がらせたのは悪かった。謝るからこいつらを早くそれに戻してくれ!」
 先ほどとはまた違った様子で懇願する姿に、肩を竦めてナメ 壷を下ろす。その後手馴れた様子でひょいひょいとナメクジ達を回収していく喜三太を戦々恐々と見つめた二人は、全ての回収が終わると同時に安堵感でその場に座り込んだ。
 それを見返り、呆れた顔で溜息を吐く。
「だらしないなぁ。ナメクジさんは狼や蛇みたいに噛んだりしないし、怒って襲い掛かったりもしないのに」
「そういう問題か!?」
「待て、なんだか会話が噛み合う気がしない。とりあえずチビ、さっき言っていた密書……俺達に渡してくれないか」
「……はにゃ」
 改めて密書の話に話題が戻り、既にそれが手元にないことを思い出す。
「あのぉ、それがですねー」
「どうした」
 気まずげに目を泳がせ続ける喜三太の様子に不穏なものを感じたのか、二人の表情が僅かに引き攣る。その顔に今さら事実を隠してもどうしようもないことと割り切り、壷を持ったままの姿は深く息を吸い込んだ。
「ごめんなさい! あのお守り、友達にあげちゃったんです!!」
 勢いよく頭を下げた喜三太に、二人の目が見開き、呆気に取られた様子で肩を落とす。あげた、と力無く繰り返された言葉から相当のショックだったことを察し、恐る恐ると視線を上げた。
 脱力のあまり顔が半笑いになってしまっている袖を引き、遠慮げに口を開く。
「あの……それってどんな内容だったんですか? 僕が見たとき、ボロッちくて汚い紙が入ってただけだったから、大事なものじゃないと思ったんだけど……」
「あ? ……あぁ、内容なぁ……。まぁ密書と言ってもお偉いさんには絶対見せない、内輪だけのモンだったから、お前に言ってもいいかぁ……」
 ははと力なく笑う強面の男と気弱そうな男の前に座り、申し訳なさから多少肩身を縮めて口を噤む。喜三太のその気を遣っている姿に自嘲するように笑い、実はなと強面の男が口を開いた。
「俺達はある城に勤めててな。だがまぁ、昨年落城したんだ。普通はそこで俺達ゃ御役御免となるはずだったんだが、家老に引き止められてな。忍者といえど忠義の心があるなら御家再興に力を貸せと訴えられちゃあ、こっちだって無碍にするわけにもいかん。……ただなぁ。給料がスズメの涙ほどしか出んのだ」
 がっくりと項垂れた二人に、あちゃあと同情の声を漏らす。
「お給料ですか。それは困りますねぇ」
「だろう? こっちは慈善事業じゃないんだ、働きにはそれに見合った報酬が無いとやる気も起きん。だがそれを進言すれば恩知らずだの冷血漢だの罵られて、しまいにゃ怒りのあまり卒倒される始末だ。見知らぬ仲じゃなし、流石にそれは放っておけないんで未だ制服に身を包んでるわけなんだが、どうにもこうにもストレスが酷くてなぁ。離れたところで諜報活動をやってる仲間と、せめてもと思って愚痴の文書交換をやってたってわけだ。そうかぁ、一緒にいたもう一人に渡したかぁ……。じゃあ新しく作るしかないなぁ……」
 はぁと重い息を吐く男に、喜三太の首が怪訝そうに傾ぐ。
「それが密書ですかぁ? でもそんなに嫌なら辞めちゃえばいいのに」
「大人の世界はそんなに簡単じゃないんだよ。誰かと愚痴を吐き合って、互いにその愚痴に同意しながら何とかかんとか誤魔化してやってってるんだ。お前にもそのうち分かる」
「楽しくない話をして頑張るなんて、変なの。楽しい話をしたほうが頑張れるに決まってるのに」
 納得がいかない様子で唇を尖らせる喜三太に苦笑を見せ、そういえばとなにかに思い至った様子で強面の男が手を打つ。その音に二度瞬き、なんですかと問う喜三太の顔をじっと見据えた。
 雰囲気の違うその視線に、思わずぎこちない笑みが顔に張り付く。
「そういやお前、攫われてきてからこっち全然怯えた様子も無いな。密書と言ったときにもそれがどういうものか心得ているような風でもあったし、よく考えればここいらに山里は無いはずだ。それに、先輩だぁ? まだ手に職もつけてないような子供が、なんの後輩だってんだ」
 探るような目に、慌てて後ずさる。
「いやぁ、それはもういいじゃないですかぁ! それより僕はもう帰ってもいいでしょ? 間違ってもご家老様に見られたりしないように、中に入ってた紙は僕が燃やしておきますから! 僕がここにいるのも見られたらいけないんでしょ? ほらほら、ねー?」
 ニコニコと愛想笑いを振り撒きながらも荷物を腕の中に抱えるのを見、男達の目がいっそう怪訝に細まる。どんどん危険な空気が充満していく室内に冷や汗を掻き、喜三太は忙しなく部屋の中を見回した。
 様々な場所が腐り、カビているために子供の力でも一度蹴りを入れれば容易に脱出口は開けそうではあったものの、それを許さない雰囲気が行動を躊躇わせる。
 その目の動きや怯えるわけではない姿に、強面の男がじりと距離を詰めた。
「……その慌て方がいっそう怪しいな。畿内で子供が先輩だの後輩だのと言ってるようなところを俺は一つしか知らないが、お前、もしかして忍た」
 男の言葉の終わりを待つことなく、轟音が砦を揺らす。まるで地滑りでも起きたかのようなその音と揺れに喜三太を含めた三人は平衡感覚を失い、受身も取れずその場に転がった。
 突然の事態に動転して思わず腐った柱を支えた二人の目を掻い潜り、喜三太が慌てて駆ける。
「あ、おい! 待て!」
「待てませんー!」
 制止の声を振り切り、未だ微かに揺れる砦の最下部を走る。その目が暗い階段を見つけ駆け上がろうと速度を上げたところで、目の前の天井が音を立てて崩れ落ちた。
 木の腐った臭いと土埃に思わず咽る視界に、癖の強い髪がむくりと起き上がる。
「いったたたたた……。なんだここ、そこら中腐り放題じゃないか。これなら本当に留三郎を連れて来て、修補させながら攻めるんだったな。おい、金吾! 生きてるか!」
「なんとか……ゲホッ、生きてます……。っていうか今の食満先輩が聞いてたら、また怒られちゃいますよ……」
 咳き込む合間に聞こえた困ったような声音に、喜三太の目が見開く。視界は未だ悪く、土埃も舞ったまま。けれど霞む中に見えた見慣れた着物の色に、喜三太は迷い無く飛びついた。
「金吾ぉー!!」
 はしゃいだ声音に、金吾の顔が上がる。
「喜三太ッ!」
 飛びついてくる影を慌てて受け止め、懐いてくる体温にほうと安堵の息を漏らす。抱き止めた背中を見る限り怪我や異常は見られず、声の調子から言っても酷いことをされていたわけではないらしいと胸を撫で下ろした。
 そんな二人を見下ろし、小平太がにぃと笑む。
「最短距離だったな」
「……はいっ!」
 笑う頭をくしゃりと撫でられ、立ち上がる。あとは脱出が先決かときょろりと辺りを見回せば、先達が嬉しそうに手を振っていることに気が付いた。
 見れば、慄いた様子の男が二人。
 それを不思議そうに数度見比べ、金吾はとりあえずぺこりと頭を下げて見せた。



−−−続.