まずは経緯を説明しろと求めた小平太の言葉に従い、学園を出てから現在までの流れを端的に解説しようと口を開きかける。けれど辺りは鬱蒼と木々が生い茂り、見晴らしも悪く気配も読み辛い。もちろん未だ気配を読むことを不得手とする自分と違い、どこか動物的な直感すら持ち合わせた小平太なら安心かとも思ったが、どちらにしろこの事態を引き起こした切欠は一つしか思い付かなかった。
 先ほど地に手を着いて助力を願ったことで、汚れた守り袋の砂を一度払い、小平太へ差し出す。
「喜三太がこれを拾ったんです」
「……守り袋だな」
 差し出されたものを摘み上げ、丸い瞳がしげしげと観察する。武芸上達と刺繍されたそれを興味深そうに眺めながら縛られた袋口を解くその指に、金吾は無言で頷いた。
「これを拾った後、喜三太が……一緒に相模へ向かっていた友達が何者かに攫われました。それまでに変わったことはありませんでしたし、たぶんこれが原因じゃないかと思っているんです。思ってはいるんですけど、……相手が誰なのか、喜三太がどこに連れて行かれたのかも、僕一人では予想も出来なくて」
「なるほどなぁ」
 唇を噛む姿を尻目に、小平太は気楽げにそう言って守り袋の中身を取り出す。ところどころ墨に汚れた皺だらけの紙。それを広げる手元を覗き込み、金吾は不安げに先達を見上げた。
「他にはなにも入ってませんか? 重要そうなものとか、相手が分かるようなものとか」
「うん? なんだ、金吾はよほどその子が気掛かりなのか。そうだなー、引っ繰り返しても覗いて見ても、無論重さから言っても、残念ながら他にはなにも入ってないみたいだ」
 袋の中を広げて見せる小平太に、金吾の眉尻が残念そうに下がる。それを見遣った目がにんまりと笑みに歪み、落ち込んだ様子の頭を大きな手がぐしゃりと撫でた。
「私は他にはなにも入っていないようだとは言ったが、手掛かりがなかったとは言ってないはずだぞ、金吾」
 自慢げに胸を張る小平太の言葉に、金吾の瞳が勢いよく上がる。それを満足そうに見下ろし、先ほど取り出した皺だらけの紙を膝上で広げて見せた。
 しばらく観察し、金吾の首が傾ぐ。
「……これが手掛かり、ですか?」
「そうだ。この墨のつき方に不自然さを感じないか? 四方に多めについて、中のほうはまるで他の紙から滲んできたようなつき方だ。しかも四方についた墨は同じ形の染みではなく、文章が切り取られているようにも見える。おそらく大きさの違う紙を何枚か重ねて一通の密書を書き、運ぶ際にそれを一枚ずつにして運んでいたんだろう。真ん中付近の染みは、上に重ねていた紙から滲んだものだ。密書かどうかは分からんが、相手にとっては見られて困るものだったことは間違いない」
 どこか楽しげな説明に何度も頷き、なるほどと納得する。
「ならこれがなければ文章としての形を成さず、相手はとても困るというわけですね」
「そうだ! 落としても不審がられないよう守り袋をわざわざ作ったんだろうが、まさかそれが仇になるとは思わなかったんだろうなぁ。拾ったのはどの辺りだ? 道か?」
「あ……いえ、山林の中だと思います」
「そうか。ならもう取りにくる奴がいないと思われて、持ち帰られても仕方がないなぁ」
 豪快に笑い、さてと呟いて腰を上げる小平太に首を傾ぐ。それを不思議そうに見下ろし、行かないのかと問い掛けられた言葉に金吾は慌てて立ち上がった。
「喜三太がどこに連れて行かれたか、お分かりになったんですか!?」
「そんなもんは分からん!」
 きっぱりと言い放たれた言葉に思わずこける。
「じゃあどこに行くんですか!」
「まぁそう慌てるな! 連れ去られた場所までは特定することは出来んが、どこの城の奴が攫ったかは分かった!」
「っ、本当ですか!?」
「私は嘘が嫌いだ!」
 笑ったまま鼻を鳴らした小平太に、期待に輝く目を向ける。それをにぃと見下ろし、大きな手は持っていた守り袋を手渡した。
「袋の中を見てみろ。袋の表に見える生地とはまったく異なった生地が見えるだろう」
「中……。はい、確かに違う色の生地です。表地は綺麗な鴇色なのに、裏は滅紫色……ですか」
「なにかに似ている、もしくは同じとは思わないか?」
 問い掛けにしばし考え、難しそうに眉間を寄せる。それを黙って見下ろし、小平太は機嫌良さげな表情のままで軽く口笛を吹いた。
 やがて、思い至った金吾の表情が華やぐ。
「変わり衣! 忍者の衣装と同じですね!」
「そうだ、よく気付いた!」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくる手の平の感触にくすぐったげに笑い、照れて頬を掻く。その金後に小平太は目の前で袋を返して見せ、その色を陽の元に晒した。
「たぶん適当な生地がなかったんだろうな。それともこの程度の偽装に新しく生地を買う必要などないと思ったのか、一番手近にあった余り布か、着物の裾を少し切って使ったんだろう。わざわざ中の色を見るような人間はそういないからな。でも、ちょっと迂闊だ」
 にんまりと笑んだその顔に得体の知れない自信を感じ、金吾の首がまた傾ぐ。
 その視線に気付き、小平太はくしゃりと顔を綻ばせた。
「お前も知っての通り、プロの忍者と言っても結局は雇われているに過ぎん。そのため忍装束は今の私達と同じく支給されているものが多い。例えばドクタケなら臙脂、ドクササコなら紅掛花、タソガレドキなら黒橡だな。で、この滅紫なんだが。……困ったことに、私はこの色の忍装束に覚えがあってなぁ」
 心底困った様子で頭を掻きつつ目を泳がせる小平太に、金吾の眉間がそろりと寄せられる。なにか因縁がと恐る恐る言葉を落とせば、いやいやと手が翻った。
「因縁というほどのものでもない。実は昨年落城したオオシロカラカサタケ城というでな、それまで事あるごとにうちの学年にちょっかいを出してきていた城なんだ。まぁお前達で言うところのドクタケのような存在か」
「……面白カサカサタケ?」
「オオシロカラカサだ。言っとくが、ボケられても私はうまくツッコめんぞ! なんせ私もどちかと言えば、体を張ったボケを担当することが多いからな!」
 自慢げに胸を張る姿に返答に窮し、とりあえず苦笑を浮かべておく。些か失礼な対処かとも思いはしたが、それを気にした様子もなくどこか懐かしげに目を細めた小平太を静かに見上げた。
「昔はなにかと捕まったり軽い戦闘になったりもしたが、お菓子をくれたりおいしい飯を食わせてくれたり、町でばったり出くわした時には団子を食いながら話したこともあったんだがなー。落城してからはトンと姿を見なくなっていたんだが、ここいらにいたのかと思ってな。ドジさなんかもドクタケとどっこいだからな、喜三太も無事だとは思うんだが」
「それ、充分因縁って言うと思いますけど……」
「細かいことは気にするな!」
 いつもどおり理由の見えない自信満々さに満ち溢れた姿に、苦笑にも似た表情で僅かに肩を落とす。その金吾の足元が不意に浮き上がり、慌てて藻掻いたものの抵抗は空しく、気付けば小平太の小脇に軽々と抱えられていた。
 何事かと見上げた先で、獣のような犬歯の覗く口元が笑みに歪む。
「いかに落城した城の忍軍、それもドクタケと同じドジっ子忍軍と言っても私一人では些か心許ない。なので今から私は長次達を呼び集めに行くから、お前は私の家で待っていろ。心配することはない、喜三太はきちんと私達が」
「ま、待ってくださいっ!!」
 言葉に慌て、ばたばたと手足を暴れさせる。常であればその程度の衝撃など意にも介さない小平太だが、金吾の必死な形相に二度ほど目を瞬き、大人しくその場に下ろしてみせた。
 地に足のついた安堵感に位置を呼吸を整え、幼いながらも凛とした視線で真っ直ぐに見据える。
「留守番など御免です! 確かに僕が行ってもお邪魔になるだけかもしれませんが、喜三太は僕の級友で、それにえっと、一緒に相模に帰る途中なんです! ここからまた引き返しては帰るのも遅くなってしまいますし、それに、あのっ! 僕も」
「うん、分かった。それ以上言わなくていいぞ!」
 身振り手振りを加えながら必死に食い下がろうとする金吾の目の前に、制止するように手がかざされる。その手に思わず口を噤み、怒らせてしまっただろうかと青褪めたその顔を笑った表情が見返した。
「喜三太が大好きなんだな、金吾」
 歯を見せて笑った小平太の言葉に、金吾の顔色が沸騰したように赤に染まる。それをまた豪快に笑って受け流し、なにも恥ずかしがることはないだろうと笑った声がくらくらと頭の中を駆け巡った。
 力いっぱい叩かれた背中からの衝撃に、思わず二歩ほどよろめいて数度咳き込む。
「なっ、な、なんでいきなりそんな話になるんですかっ!?」
「なんだどうした、なにを動揺することがある? この時代に、しかも男女別棟のあの校風だ。そういう奴だって少なくはないだろう? それともお前達の学年ではまだ早いか?」
 あくまで揶揄するような雰囲気でなく紡ぎ出される言葉に、金吾の目が気恥ずかしさに泳ぐ。けれどそれを気にも留めず笑った小平太が、ぐっと背筋を逸らした後、細い肩を叩いた。
「さぁて、じゃあ金吾! 喜三太の無事を祈りながらここら一帯を探し回るぞ! そうだな、二里四方をくまなく走り回れば、見つかる気がするな!」
 走れることが嬉しいのか、それとも相手をすべき対象がいることが嬉しいのか。委員会中とはまた違った気合を込める小平太に引き攣りつつ、金吾は言葉の違和感に気付いて一瞬眉間を寄せた。
「えっと、他の先輩方を呼びに行くというのは……?」
「うん? あぁ、いいんだ。よく考えたら仙蔵は確か喜三太を苦手がっていたような気もするし、留三郎は委員会の後輩にちょっとベタ甘だったような気もする。メチャクチャ怒って暴れられてもなぁ。で、その二人を呼ばないとなるとなんだか不公平だろう! だからいいんだ」
「でも、さっき先輩は一人じゃ心許ないって……!」
 困惑する金吾の言葉に、小平太が怪訝に首を傾ぐ。
「なにを言ってる。一人じゃないだろう? お前がいるじゃないか」
 当たり前のように言い放たれた言葉に目を見開き、思わず確認のために自身を指差す。その仕草に嬉しそうな笑顔を見せて頷いた小平太に、金吾はさっと顔色を白くして後ずさった。
「無、無理ですっ! 先輩達がいらっしゃるならきっと大丈夫ですけど、僕と七松先輩と二人でなんて!きっとものすごく足手纏いに……!」
「そうか? お前は剣の腕も立つし、実戦経験も一年にしてはかなり豊富だ。そんなお前を信頼して、二人で充分だと思っているんだがな。私の買い被りすぎか?」
 にぃと唇を吊り上げる表情に、言葉が喉で詰まる。
 剣の腕を買われたこと、そして実戦経験の豊富さを買われたことは素直に喜ばしいと思えるものの、かといって自分が見知りもしない城の忍軍にたった二人で乗り込んでいけるような自信は到底持てなかった。
 押し黙り返答に迷う金吾の顔を覗き込み、肩に置かれた小平太の手がゆっくりと力を入れる。
「あのな金吾。私はうちの委員会に、弱い奴など一人もいないと思っている。なぜか分かるか」
「……いえ」
 ふるりと振られた首に、失望した風でもなく小平太が腰を落とす。視線を合わせるようにしゃがんだ体が親が子にするように小さな肩を抱き寄せ、あくまでも笑みを絶やさないまま口を開いた。
「それは私の知る限り、六年間同じ委員でい続けるようなしぶとさを持った奴ばかりだからだ。私だって低学年の頃は、何度この委員を辞めてやろうと思ったか知れない。だが肉体と共に精神までも鍛え上げる活動に魅せられ、結局居座った。花形という言葉に釣られて入った滝夜叉丸だって、毎年音を上げそうになりながらもこの委員会を続けている。三之助、四郎兵衛も同様だ。だから私は、この委員会の長であることを誇っている。ほぼ毎日死にそうな目に遭っても挫けず、後ろをついてきているお前達を心から信頼していると言ってもいい」
 不安に戸惑う目に自信に満ちた視線で見返され、金吾が静かに唇を噛む。
「好きな子を助けるのに、あまり大人数では無粋だろう?」
 からかい言葉に顔を紅潮させながらも照れて笑い、はいと小さく肯定する。その微かな返答によしと笑い、小平太は改めて立ち上がって山を見回した。
 陽がまだ高いことを確認し、金吾の手が握られる。
「二里四方をくまなくとなると、かなり急ぐな。手を握っててやるから絶対に離すんじゃないぞ! それから刀と守り袋も落とさんようにな!」
「へ? はい、もちろ」
「いけいけどんどーん!!」
 金吾の言葉の終わりを待つことなく、小平太の足が土を蹴る。その瞬間にかかる風圧と衝撃に思わず顔を歪ませながら、金吾は繋いだ手と、守り袋を持つ手の平に力を込めた。
 まるで台風の中で振り回されているような感覚に酔いそうになりながら、多少勢いに任せすぎた自身の行動を後悔する。けれどこれが最良の選択だったのだと信じ、絶え間なく呼吸を圧迫する風圧に息を殺した。



−−−続.