かくして作戦決行からおよそ一週間が経過し、ついにテスト返却が始まった。
 各教科の教師陣は誰もが困り顔で三組に入室し、まったくこのクラスはと苦笑を見せるところからしてまったく同じだった。
 長文の回答を要する問題のみ記述が違うものの、全員が全教科を満点でクリアしているために、もはやカンニングを行ったことは教師達の間にも知られた話である。しかも前回の試験が凄惨たる結果だったことからも、巻き返しで勉強を頑張ったのだろうという声すら聞こえなかった。
 さすがに数学担当の安藤などには遠回しな嫌味も言われはしたが、その手法や経緯を知られてさえいなければ諜報の実技に則する行動として黙認されている行為だけに、手厳しい罰則などが与えられることはない。
 中でも担任の土井が担当する火薬のテスト返却は苦々しくも誇らしげな、なんとも言い難い表情で始まりを告げる。
 揃いも揃って満面の笑顔で迎えた三年三組を見回し、土井は短く息を吐いた。
「……やってくれたな、お前達」
「なんのことですかー」
 声を揃えてわざとらしくしらばっくれる本質的にはよい子な十一人に、言うと思ったと額を押さえた。
「問八、強い光を発するよう調合された爆発物を使用するのに有効な場面と、その理由を答えよ。――回答文こそ違うものの、ここを含めて全員が満点だ。テスト問題を盗んだのは分かってる。風鬼が忍び込んできた日にどさくさに紛れたか? それにしたって試験のときはテスト以外のものを見る様子はなかったし、まったくどうやったんだか」
 遊びがかかると教師をも出し抜くかと呆れる口調に、またも揃って照れ笑いが返る。
 実際、カンニング法が一番の難関ではあった。なにせ誰か一人でも見つかってしまえば、テスト問題を入手したとしてもそれまでの苦労は水の泡だ。必要なのは絶対に観察官には気付かれない、見えない方法。そのためには、問題用紙と解答用紙だけを見ながらカンニングできるのが最良のやり方だった。
 結果、十一人が採択したのはモスキート音によるカンニング法である。
「苦労したもんね、アレ」
「だねー」
 ひそひそと三治郎と伊助が囁き合うのを、残る九人も感慨深い表情で耳に留める。
 モスキート音、つまり大人には聞こえないという高周波数の音によるモールス信号でのカンニングを決めてから、どの周波数ならすべての教師に気付かれないのかという実験を授業中に繰り返していたのだった。
 特に一番若い土井に気付かれない周波数を探すため、何度蚊の飛ぶ音に似た実験音を我慢したかしれない。
「やっぱり今の時代、パソコンに強い奴が一人いるとだいぶ違うよな」
「ジャンクパーツを探すのは俺達が苦労したけどな」
 炎天下、ブルートゥースの受信装置とイヤホンを求めてジャンクショップを走り回っては値切り交渉に明け暮れた記憶を辿り、団蔵と虎若がホロリと涙を流す。
 もちろん値切りは同行したきり丸が行ったわけだが、一円でも安くを旨とする信条上、クーラーもない店の中で長々と交渉を待っていなければいけなかったのが辛かったと目を細める。
 ――モスキート音は、教室中央の席である金吾の鞄の中にある、教材用タブレットから発された。
 試験開始直前に、事前にインストールしてある音楽再生ソフトを起動し、該当テストの回答をエンドレスで流し続ける。
 しかしいかにモスキート音とはいえど大音量で流せば他の生徒にカンニングの手法が知られてしまう。そのためタブレットにはブルートゥースの発信装置を接続し、小型スピーカーを通して全員がその音を聞けるようにしていた。
 その小型スピーカーは、配線が途中で切れてしまったイヤホンなどを制服のボタンに偽装して再利用し、シャツの一番上へ堂々とつけて歩く。
 さすがに受信装置は少々目立ってしまうものの、試験直前にイヤホンに接続してシャツの内側に隠してしまえば、テストに向き合う間は必然的に前傾姿勢となるため、不自然さを感じさせるほどの存在感は見せなかった。
 作戦開始時から積み重ねた結果をわいわいと労い合う十一人に褒めて良いやら悪いやらとうなだれ、土井はやがて思い直したように笑みを浮かべた。
「まぁなんにせよ、実技の実力だけは他の先生方も舌を巻くほどだと証明できた。その点では間違いなく、学校創立以来のレベルだと認めてやろう。それはいいが、今後はガラスを防弾仕様に変えたり、オンラインセキュリティレベルを最上位に変えなきゃならんかな。それとも試験前から庄左ヱ門だけ別の場所に隔離しておくか」
 不満のブーイングが上がることを期待してか、意地悪く歪んだ目元が教え子達を流し見る。しかしその期待は淡く崩れ、生徒達は左右の友人達と顔を見合わせると同時に楽しげに頬を緩ませた。
 やがて、やはり笑いを禁じえない様子で乱太郎が手を挙げる。
「お言葉ですが土井先生。仮にそうしたとしても私達なら今度は庄左ヱ門の奪還策に躍起になるだけで、やっぱり勉強はしないと思います」
「俺もそう思いまーす」
「僕もー!」
 さらに便乗し、きり丸としんべヱまでが勢いよく同意を示す。すると当然のように我も我もと同調の声が続き、土井は長い息を吐いて教卓に身を預けた。
「そうくるだろうとは思ってたけどな……。まぁ、それでこそお前達か」
 肩を竦め、ぐしゃぐしゃと頭を掻く。
「全員が全教科で満点を取るなんて、久々知や尾浜のいたクラスが中二の時にカンニングをやらかして以来だ。とにかく条件だった点数は満たしたことだし、約束通り、夏休みはそれぞれ好きに楽しんでよし! その代わり、宿題はちゃんとやってくるんだぞ。終業式でもう一度、山田先生からも釘を刺してもらうからな!」
「はーいっ!!」
 最後の言葉など完全に聞き流しているのか、これで夏休みを満喫できると遠慮のない歓声が上がる。
 ただしこの時点で三組の誰も気付いてはいなかった。いや、この時点どころか、夏休みの中頃になるまで庄左ヱ門すら気付いてはいなかった。
 試験で一度ピークに引き上げられているべき学力が保持されなかったために、各教科から相応の量を出される宿題で苦戦を強いられることに。
 そして夏休み中は全員が実家に帰るため、得意科目同士を見せ合うことが困難であることに。
 また基本的には真面目で、且つそれぞれが少しずつ抜けている十一人は、宿題をスキャナーで取り込み、ネットを介して宿題を写し合うという手段を思いつきもしないことに。
 かくして――
 楽しい夏休みが幕を開ける。しかしその先にはまた別の地獄が待っていることを知る由もなく、大川諜報学園中等部三年三組の十一人は、幸せな夏の獲得と策の完全な成功を祝う。
 終業式の日。輪に並んだ十一対の手は高く掲げて隣同士打ち合わされ、初秋の再会を約束して夏へと駆けだした。



−−−了.