「これが、そのナメクジ達なんだけど」
 カエンタケ城下にある仮の住まい。その一番の広間にあたる場所で伊助の広げた手拭いを、緊急帰宅の連絡を受けて戻っていた全員が車座になって覗き込んだ。
 枯葉と共に押し込められていたナメクジ達は、突然新鮮な空気に晒されたことに警戒を示したのか触角を伸ばして辺りの匂いを嗅いでいるらしい。その気味の悪い動きに、今や見慣れて久しいとは言い難くなっている面々は少々引き攣った表情を浮かべ、次第に視線を逸らしていった。
 その中で、金吾だけが一匹一匹を凝視するかのごとく目を光らせる。
「……やっぱりまだ、喜三太ほどうまく見分けがつかないんだけど……」
 呟き、群の中で一際高く触手を伸ばしていたナメクジを摘み上げ、手の甲へと乗せる。ぬらぬらと輝く表面を指の腹で撫でるようになぞると、やがて納得した様子で大きく息を吐いた。
「お前、ナメ太で合ってたよな?」
 言葉に反応したのか、ナメクジがひょっこりと前身を起き上がらせる。まさに喜三太の仕込んでいた曲芸に相違ないその仕草に、周囲を囲んでいた全員が思わずどよめきを上げた。
「分かるの!? お前、ナメクジの違いとか分かるようになっちゃったの!?」
「なにコイツ……、もう、ホントなにコイツ……。さすがっす。いや、もうホントさすがっすよ皆本剣豪。お前もうアレだ、喜三太マスターだわ。もう次元が違う」
「昔はナメクジの動きとかで分かってるみたいだったけどねぇ。もうそこまで極めちゃったんだー」
 驚愕の声を上げた兵太夫に続き、きり丸が感慨深げに目頭を抑える。その背中を労わるように叩きながら後に続いたしんべヱの言葉に、誰もが異論のない様子で頷いた。
 生暖かいと表現するに相応しいその反応に、金吾の頬が羞恥に染まる。
「なんだよっ! 仕方ないだろ、もう十年だぞ!?」
「いやー、それがまた……。お前らはあの頃から離れないまま来てるんだなーと実感しちゃって、なんか恥ずかしいっつーか……」
 言葉通り至極照れ臭そうに団蔵が吐露すれば、やはりまた全員が頷く。まるで事前打ち合わせでもしたのかと思うほど統率の執れた級友達の反応に、金吾はわなわなと肩を震わせた。
 しかし、もはや反発したところで水掛け論になることは目に見えているのか、やがて大きく息を吐いて場を仕切り直す。
「……とにかく、ナメ太がいることで喜三太からの連絡手段が分かった。多少情報は手に入りそうなんだけど、みんなの知恵も貸してほしい」
「どういうこと?」
「解読を一人でやろうとすると、ちょっと時間がかかるんだ」
 乱太郎の疑問に簡潔に答え、懐から一枚の紙を取り出して床上に広げる。それは整然といろは順が書き込まれており、また、防水への配慮なのか薄く樹液が塗られているらしく表面はしっとりとした輝きを見せていた。
 誰もが不可思議そうな面持ちでそれを覗きこむ中、ナメクジ達がうぞうぞとその上へと移動を始める。
 次第、それぞれ文字の上で静止した姿を見止め、揃って首を捻る。
「……ろはかうくま?」
 いろは順に読み上げると文章の体裁をなさないその文字列に、思わず虎若が眉間を寄せる。
「いや。ろに二匹、くに二匹止まってる。この場合、ろろはかうくくまって読むのが正しいんじゃない?」
「どっちにしたって意味が分かんないよ!」
 伊助の指摘に三治郎が悲鳴にも似た声を上げる。それを当然のこととして苦笑で受け止め、金吾は一つ咳払った。
「そう、このままじゃ意味が分からないんだ。だから意味の通る文章に並べ替える必要がある」
 告げられた言葉に、なるほど暗号の一種かと数人が頭を抱える。元より頭を使う事案を大の苦手とする面々としては、実際の潜入忍務よりも随分と難題に感じられた。
「あー……簡単な文章? なわけ? つか、このナメクジ達が喜三太の伝えたいことをちゃんと教えてくれてるって根拠は?」
 ガシガシと頭を掻く兵太夫の姿に、あぁそれはと口を開く。
「喜三太のナメクジ達にはそれぞれ好きな匂いがあるんだ。元々ナメクジは嗅覚が鋭い生き物らしいんだけど、それを利用してこの紙のいろはには一文字ずつ、別々の匂いを染み込ませてある。だから、ナメクジがその匂いを間違って別の文字上に行くことはまずありえない」
 解説に、なるほどと頷きが返る。ナメクジの習性を利用するだけならまだしも、どのナメクジの好みの匂いがどの文字に対応しているかなど、喜三太でなければ把握しきれるものではないと肩を竦めた。
「ナメ太を使うときはこの暗号方式で、しかも二単語から四単語の簡単な文章という決まりがあるんだ。ちょっと面倒な作業だけど、とりあえずここから作れる単語をそれぞれみんな考えてみてくれないか」
 申し訳なさそうに懇請する金吾に、間違いの可能性さえないのならばと全員で思索に耽る。
「あ! 馬!!」
「言うと思った!」
「うん、とりあえず団蔵は馬って言うと思った!」
 ひらめきに声を上げた団蔵に、きり丸と三治郎からからかい言葉が返る。その反応に不服そうに唇を尖らせる姿に、いやいやと擁護の手を差し伸べる。
「なにが正解かなんて分からないんだし、思いついた単語はどんどん言ってみてくれ。今の馬が仮に正解だとすると、残りは……」
「墓」
「黒が二つ」
「……うん、違うっぽい。悪い団蔵」
 さすがにこの四単語で意味のある文章とは言いがたいと項垂れ、擁護の追いつかなかった現実に謝罪の意味を含めて頭を下げる。それをケラケラと笑い飛ばしながら、アレはコレはと案を出し合う九名のその耳に、明らかにこの仮の宿の眼前で停まったものと分かる馬の嘶きが飛び込んだ。
 様々な姿を模して城下に留まる以上、通常の家屋を短期間借りるのはいかにも町人達から怪しく見える。そのため正規の土地として扱われていない河原に建てられている、主人不在のささやかな芝居小屋を利用しているのが現状だった。
 そんな場所に、馬で乗りつけるような心当たりは一件しかない。
「庄左ヱ門、与四郎さん!」
 バタバタと慌しく表へ出れば、芝居小屋の脇に誂えられている厩に手綱を結んでいた見慣れた顔が振り返る。
「お待たせ。随分遅くなったけど、それ相応の情報は仕入れてきたよ」
「風魔にもちゃーんと寄ってよ、ばっさまから指示も受けて来てっから。どーにもうざってぇモンに巻き込まれちゃったみてーだけンどよ、この件、うまくやりゃあ報奨金も夢じゃねー話だべ?」
 にやりと唇を吊り上げた与四郎の言葉に、きり丸の目が銭色に輝く。その唇から歓喜と期待の奇声が発される前に乱太郎が口を塞ぎ、また、暴れないようにとしんべヱが軽々と担ぎ上げ、二人はにこやかに庄左ヱ門達へ入室を促した。
 もはや達人技と言って支障ないその手際のよさに、策士の喉が楽しげに揺れる。
「助かるよ。不用意に人目を引けば、この先が動き辛くなるからね」
 言外に目立ってくれるなと釘を刺してみせた一言に、与四郎を除いた全員が、今後肝に銘じてと恭しく頭を下げる。その芝居がかった仕草に、これはまた随分と余裕の遣り取りだと大笑が響いた。


 ■  □  ■


 再度広間に集まった面々は、今度は車座ではなく、全員が正面を向く方式で整列していた。
 そもそも広間と言っても芝居小屋の中でのこと。そこは僅かに段のつけられた舞台が備えられ、役者と客の居場所を明確に分けるための場所である。庄左ヱ門と与四郎の二人はその舞台上の大きな演目板に相当大の紙を縫いとめた物を据え、まるで学園で使う黒板かのように設えていた。
 そして、その両脇に二人が並び立つ。
「えぇっと。団蔵から軽く現状を聞いたところ、暗号を伝える喜三太のナメクジが保護されたという以外は特に進展がないとのことだったので、先にこちらが揃えた情報を報告する。一応分かりやすいようにこの紙に書いていくけど、これは食事の準備のとき、火付け紙として燃やすつもりだ。だからこの一回で頭に叩き込んで欲しい」
 つらつらと澱みなく紡がれる言葉に、異論はない。むしろこの点に関しては一度でも紙に起こしてくれるのがありがたいと言った雰囲気で、誰もがこれから始まる情報提示に集中していた。
 その姿に頷き、与四郎が矢立ての筆を取り白紙へと向く。
「じゃあ、書記は請け負ってくださるとのことだから早速始めよう。まず僕達が協力を求めたのは言わずもがな、ドクタケ城のしぶ鬼達だ。もちろん八方斎なんかは僕の顔を見た途端に渋い顔をしてくれたけど、まぁそこはね。ちゃんと手土産も持って行ったから口うるさいことも言われなかったから心配は無用。……でだ」
 区切り、一度大きな息を吐く。
「カエンタケ城は本来ドクタケと似た、戦好きで有名な城だったらしい。だけど城主が高齢でね。ここしばらくは自分の領地を守ること、また、隣接領地の城主と平和的な会談を行うに留めているんだそうだ。とてもじゃないけど、風魔に持ちかけたような強行姿勢をとるような状況とは思えないとしぶ鬼達も不審がっていた」
「表向きは穏便に、裏では悪どく動いてるってこともないのか?」
「もちろん、それもないとは言えないけどね。まぁ他の城からも情報は貰ってきてるんだ。まずは最後まで聞いてくれ」
 気を急いたような金吾の質問に、庄左ヱ門が苦笑を以ってさらりとかわす。その返答に、どうやらこれ以降の情報開示部分に回答が秘められているらしいと察し、大人しく口を噤んだ。
 どこか焦れる思いで握られた膝上の拳に、心配なのは分かってるよと、誰かからの小さな慰めが肩を叩く。
「そして次に向かったキクラゲ城でも、ほぼ同じような回答を貰ったよ。ただ少し違ったのは、楽呂須さん達の見解では、この半年ほどの間に会談に応じていたのは恐らく城主の影武者だろうという話だ。姿形は本当によく似てるらしいんだけど、重要な決断を迫ると必ず一度持ち帰って考えさせて欲しいと言ってくるんだそうだよ。そこで食い下がってその場での返答を求めると、今度は傍についている家老が城主の代わりに決断する。……まぁ、間違いなく影武者だろうね。そして、どうやら家老が執政を行っているんだろうことが推測できる」
 庄左ヱ門の言葉が終わる頃には、与四郎が黙々と筆を走らせていた紙には城主が高齢な件と、何らかの理由で権力の場から退いているらしいこと、そして家老が代わりに実権を握っているらしいことが書き込まれていた。
 この時点で、どうやら風魔を取り込もうとしていたのも城主ではなく、恐らく家老なのだろうとそれぞれに推察を立てる。
「……うん。庄左ヱ門、カエンタケの内情はこれで随分と分かったと思うけど、でもまだ喜三太を人質にしてまで風魔に協力を要請する背景が見えないよ。なんの情報も得られなかった私達がこう言うのもなんだけど、そこら辺はどうなってる?」
 挙手をした乱太郎が僅かに身を乗り出せば、倣ったかのように他の八名も前のめりになって返答に意識を向ける。至極真面目なその体勢とは裏腹に、どこか学園の教室内を彷彿とさせるその姿に、思わず見返った与四郎が噴出した。
 突然の反応に何事かと目を見張った面々に、すまんと謝罪する。
「悪ぃ、別におもしれーこたぁねーンだけどもよ。おめーらのその姿勢見てっと、どーにもうちのクラスのガキんちょ共を思い出しちまって。気にしねーで続けてくれ」
 喉の調子を整えるかのごとく些かわざとらしい仕草で咳き込んだ与四郎に、自身の姿を省みたのか兵太夫が居た堪れない様子で紅潮して俯き、肩を震わせる。それを同じ学園勤務の身の上だからこそ理解出来る羞恥心なのだろうと理解して、三治郎が笑って背中を擦った。
 耐え切れず縋るように寄り添う二人のことはもはや今は見えない振りを決め込もうと、庄左ヱ門がちらりと視線を泳がせる。
「えーっ……と。あぁ、カエンタケが風魔に協力を請う理由ってところだよね。もちろんこれに関しても、繋がりそうな話を聞いてきた。もっとも、この情報を手に入れるのが少し大変だったんだけどね。なんせここの部分を手に入れてたのはタソガレドキ城とドクササコ城の二つだけだった。正直、乱太郎か伏木蔵でも伴えば良かったと後悔したよ。雑渡さんも凄腕さんも、無茶ではないけどかなり痛い手土産を要求するもんだから」
 僅かに愚痴を溢す口振りに、確かにあの二つの忍者隊であれば交換する手土産というのは思うより面倒そうだと苦笑が貼りつく。しかしその苦々しい回想を振り払い、策士が再度口を開く。
「ここからは雑渡さんと凄腕さんの話を統合するけど、軸になる部分のはずだからよく聞いてくれ。さっき話したところまででみんなも理解してくれたと思うけど、実権を握っているのは家老だ。それだけならまだいいんだけど、この人、随分な野心家なんだそうだよ。本来なら家老が野心を持っていたとしてもどこかで圧力弁が機能するんだけど、カエンタケご城主には直系の若君がおいでにならない。若君として育てられている方は他城に嫁がれた姫の息子さんで、ご城主にとってはお孫さんに当たるし、なんとまだ七つの幼子らしいんだ。つまり、政局から退いている城主に成り代わって権力を振るう家老に、誰も口出しが出来ない状況が出来上がってる」
 力強く言い切られた言葉に、あぁと納得の声が漏れる。
「それに加え、野心家の家老はどうやら、もう一つ良からぬことも企んでいるみたいなんだ。カエンタケの若様には、腹違いの兄上がいるんだけど」
「っあ、それ! それ知ってる!! もしかしたらその兄ちゃんが狙われてるかもってことだろ!?」
「あれ、全部すっ飛ばしてそこだけ判明してたの?」
 突然勢い込んで立ち上がったきり丸に、庄左ヱ門の目が大きく瞬く。その意外そうな言葉に照れ臭そうに頭を掻き、まぁ少しはと言葉を濁した。
 なんにせよその一言で現在の情報開示の全てが終了したのか、庄左ヱ門と与四郎が壇上から降りる。すると自然に車座に組み変わった議席で、眉間を寄せたまま話を噛み砕いていた金吾が重々しい溜め息を吐いた。
「……でもまぁ、これでおおよその筋書きが読めたよ。つまり立場を利用して自城の領地を好きに統治しようとしてる家老が、それだけじゃ飽き足らずに同盟城の若君を人質にとって、そっちの支配までも得ようとしてるってことか。そしておそらくその汚れ役に、風魔を使おうとしてる。反吐が出る話だ。リリーさんが憤死しかねない」
「ばっさまン話じゃ、どことねくそんな気はしてたってこったけどよ。胸糞はわりー話だべ。いざとなりゃあ、オラ達ゃあ全部ひっ被せられて使い捨てだ。頭もろとも下克上のてつでーを働いたとなりゃあ、里ごと焼かれてもおかしかねぇ」
 静かな怒りに奥歯を噛み締める金吾、そして嘲笑する調子で肩を竦める与四郎の反応も無理からぬものとして、誰も平静を強いることも出来ないままに沈黙が落ちる。里を焼かれるという言葉に反応を示したのか、きり丸までが顔色を変えて拳を握り締めていた。
 決していい兆候とは言えない寂然さ。その静寂をちらりと見回し、やがてしんべヱがにこやかに手を打つ。
「でもご城主がやったことじゃないなら、やりようはありそうだよね。だって若様だってまだ小さいんでしょ? その家老さんだけどうにかしちゃえば、全部まるーく治まりそうな気がするよねぇ」
 ふわふわとした笑顔で首を傾いだ丸い姿に、思わず全員が数度瞬いて、先程とまた違った沈黙に思考を停止させる。ただ重苦しさのないその静けさは、自然、誰となく噴出した声で打ち破られた。
 破られると同時に、つられた笑い声が場に満ちる。
「そりゃそうだ!」
「城主が相手じゃいくらそれなりに離れてるって言っても、風魔も俺達も危ないもんなー」
「確かに、それを考えたら随分気は楽になるよねー」
 口々に同意と安堵をかわす級友に、今まで険しい表情を見せていた金吾、そして沈痛な思いに駆られていたきり丸の様子も一転して和らいだものへと変わる。たった一言で打破された悲壮感に、与四郎は僅かに驚いた表情を見せたあと、微笑ましげに目を細めた。
 近くに座する剣豪の肩を軽く拳で小突き、目を伏せたまま小さく呟く。
「えー仲間だ。おめぇら、ホントにうれーましーべ」
「はい。本当に、僕にはもったいない仲間です」
 誇らしげに輝いた表情に、言ってくれるとまた一つ小突く。二人が兄弟がじゃれあうような遣り取りをかわす中、すっかり緊張も怒りもなりを潜めたと見た庄左ヱ門が高らかに柏手を打った。
 途端、和やかな騒がしさは水を打ったように鎮まり、その結果に策士が満足げに頷く。
「さて、それじゃあみんなの精神面もいい方向に安定したことだし、そろそろ本格的に今回の作戦を打ち合わせようか。実のところ、幼い子を利用して悪事を働く人間ってのは個人的に大嫌いでね。若君が七歳、そして人質にされるかもという兄君も十歳だ。うちの弟より年下の子達をそんなことに巻き込む前に、家老には少々手痛い目に遭ってもらう」
「具体的には?」
 団蔵の疑問に、大きな瞳がきらりと煌く。
「幼い子だからと言って、いつまでも善悪の判別がつかないと思ったら大間違いってことを教えてやるんだ。その裏で、風魔勢には頭領の奪還作戦に動いてもらうってのはどうかな」
 ようするに自分達で入れ知恵をしていこうと笑顔を見せる庄左ヱ門に、平和的解決最高と歓声が起こる。少なくとも幼い若君の周囲で刃傷沙汰に及ばないようにと配慮されているらしいことに安堵しつつ、その分の騒動は喜三太の奪還班に割り振られるのだろうと予見し、金吾と与四郎はちらりと視線を見交わし、それも仕方がないかと楽しげに笑った。



−−−続.