随分と殺風景なもてなしだと、喜三太は面白くもなさそうに溜め息を吐いた。
 畳敷き、およそ二十畳ほどの部屋。その室内にいるのは自分一人で、いったいどこに隔離されているのか、周囲からは微かな物音さえも聞こえては来ない。部屋の隅には畳まれた寝具の類があるだけで、読み物一つ置かれているわけでもなかった。
 城に入った途端に褌一枚に至るまで身包みを剥がされた結果、手元には意地でも離すものかと捲くし立てたナメ壷以外に自前のものはなにもない。しかも客人と言えども忍に城内を見られるわけにはいかないと目隠しをされて、ここへ通されたため、城内のどの辺りにいるかすら見当がつかない状態だった。
 部屋は四方を襖に囲まれてはいるものの、三方向は頑として開かない仕様になっている。その上樫の木に襖紙だけ貼って誂えたのか、穴を開けようとしても紙が破れるばかりでその先の木材は固くそれを拒んでいた。
 そして残されたもう一方の襖は、牢の木組を隠すためだけのものらしかった。
 ここはいわゆる座敷牢なのだと理解した上で、喜三太はつまらなそうに声を上げて畳に転がる。恐らくどんな城の牢よりも豪奢な作りではあるものの、その余りの簡素さに台無し感が否めない。最初に申し出た通り出される食事は充分美味ではあるものの、米を干して忍具代わりにすることを危惧してか米の類はおおよそ粥のような状態で持って来られていたし、また、魚などに関しても骨は綺麗に抜き取られていた。
 徹底した警戒振りに、こうなれば出来ることも思いつかないと不貞腐れて天井を睨む。
 四六時中感じる視線は、ナメ壷の中に忍具を隠していると考えてのことだろうと鼻を鳴らした。
「ねえ、なんか面白い本とかないのー。もう十日ほどもこんなところに閉じ込められてるもんでね、退屈で仕方ないんだけど。お日様も浴びたいなー、体も鈍っちゃいそうで気分悪い。この部屋の中だけでもいいからさー、誰か体術の練習相手とかなってくれないんですかー」
 天井裏に潜んでいるだろう監視者に向けて、聞こえよがしに愚痴る。それは静か過ぎる室内に反響して木霊するかのようにも思えたが、やがて牢を閉ざしていた錠が外される音が鼓膜を揺らし、襖の滑る音と共に一人の男が頭を下げて入室した。
「ご不便をお掛けして申し訳ない。これも城主の命令ですので、山村殿に外へ出て頂くことも、また、本をお渡しすることも許されてはおりません。今しばらく、ご辛抱を」
 申し訳なさそうに聞こえるその言葉を、喜三太は不服そうに横目で睨みつける。
「辛抱辛抱って言っても、僕にだって限界がありますよ。それに僕が解放されるとしたら、リリーばあちゃんから色好い返事とやらが来てからってことになるんでしょ? 何度も言ってますけど、ばあちゃんも僕も、カエンタケさんのやり方は正直苦手なんです。とてもじゃないけど、考えてらっしゃるような返事が来るとは思えないんですよねぇ。そうしたら僕は殺されるかなんかでしょ? ご飯は美味しいけど、こんなに退屈なまま死ぬのは嫌なんですよね」
 ぬけぬけと悪態をつけば、反論も出来ないのか男はただただ申し訳なさそうに頭を下げる。その姿に上からの命令を忠実にこなしているだけの気苦労が透けて見えたのか、喜三太はそれまでの不貞腐れた様子を一変し、哀れむような目でそろりと膝を寄せた。
「別に僕だって、言いたくてこんな嫌味を言ってるわけじゃないんですよ。でもお兄さんだって、ねぇ。こーんな面白みもないところに閉じ込められて、多分このまま殺されるんだろうなんて、自分に置き換えて考えてみてくださいよ。ぞっとしません? ちょっとくらい八つ当たりもしたくなりますよぉ。……ねぇ、どうせ僕はここから出られないんです。少しくらい事情を話してもらうことって出来ないんですかねぇ? 監視の人もいるし、八方塞のこの部屋じゃ脱出だって出来ません。それに殺されるなら、ちょっとでも自分を納得させておきたいじゃないですか。もしこちらのお城が僕達の考えているようなお城ではないと分かれば、僕だってカエンタケに協力しようって気になって、風魔に説得の文を送るかもしれない。別にそこまで悪い話じゃないと思うんですけど」
 あくまでも自分は哀れまれるべき被害者という立場を崩さず、半ば縋るような目で言葉を紡ぐ。そして詰め寄られる男もそれを事実として多少なりとも哀れんでいるのか、それとも充分成人となっている男に縋られるという事態にうんざりとしているのか、些か複雑な表情で仲間の待機している天井を見上げた。
 わずかに矢羽音の音が走り、しばらくして男が大きく息を吐き出す。
「……分かりました。気が変わって頂ける可能性があると仰るのであれば、お話し致します。ただしこれをお話しする以上、ご協力頂けず、また、お婆様からも色好い返事を頂けない限り、お命の保証は出来かねますぞ」
「はい、もちろん。僕も生きて帰れるとは思ってませんし」
 にこやかに返せば、それはそれで困惑した咳払いが響く。しかしそんなことなど気にも留めず座を正せば、男も腹を括った様子で居住まいを正した。
「実はあなた様をお呼び立てし、風魔への協力を請うたのは城主ではございません。家老の黒麻でございます」
 言葉に、喜三太の目が見開く。家老、と反復して呟かれた声に、男は静かに頷いた。
「我がカエンタケ城は城主が高齢のために病床について久しく、家老の黒麻久柄兵衛が指揮を執っております。戦の本陣でも黒麻がこれまで本質的な実験を握り、各城との会談の折には城主の影武者を用いて乗り切って参りました。しかしいよいよ殿のご容態が悪化し、他城を騙すにも限界。殿には姫君がお一人おわすだけで、その姫も既に嫁がれた身です。お世継ぎにと姫の嫁ぎ先からおいでになられた若君も七歳と未だ幼く、このままではカエンタケは姫の嫁がれたナギナタタケ城か、いずれかの城に領地を奪われましょう。そこで黒麻は、……風魔の皆様の手をお借りし、ナギナタタケ城におわす若の兄君を排斥しようと思いついたのでございます」
 つらつらと澱みなく紡がれた言葉が一度小休止を得、ちらりと反応を伺う。しかし解説を求めた喜三太当人はといえば途中から話についていけなくなったのか、えぇとと呟きながら両手の人差し指を立てたままくるくると回転させていた。
「……えー、っと? ここのお殿様はお年寄りの上にご病気で? で、ご家老の黒幕エッヘンさんが実権握ってて? でもそれも限界で、お世継ぎもちっちゃくって、このままじゃお城がなくなるから……? ……すいません、人間関係がややこしくって分かり辛いんで、もうちょっと分かりやすく言ってもらえます? 敬語とか、ご城主がーとかじゃなくて、おじいちゃんと娘さんがとか言ってもらえると助かるんですけどぉ」
 自信の理解力の低さを充分理解している様子で頬を染める喜三太に、男は引き攣った様子でそうですねと目を逸らす。仮にも風魔の頭領を名乗る人物がまさかアホだアホだと言われて育ったなどとは考えてもいなかったのだろうと頬を掻き、気を取り直して背筋を伸ばした。
 男もつられ、再度畏まった姿勢に戻る。
「えー、つまりですね。うちのご城主はおじいちゃんです」
「はい」
「で、おじいちゃんは、その。……危篤状態、と言いますか」
「死にかけてるんですね?」
「…………そうです。おじいちゃんは死にかけてらっしゃいます」
 身も蓋もない言い方に、男はもう笑うしかないといった様子で表情を緩める。それでも真面目な表情で頷きを繰り返し先程よりも随分理解しているらしい喜三太の姿に、もはや子供に話すように語った方が効率が良さそうだと悟ったのか、男は小さく息を吐いた。
「おじいちゃんには娘さんが一人だけいますが、その娘さんは既にお嫁に出ています。そして、そこではお子さんが生まれました。おじいちゃんのお孫さんです」
「ふんふん」
「おじいちゃんには息子さんがいないので、本当ならお世継ぎはいません。でも娘さんが、おじいちゃんの家を守るためにお子さんをおじいちゃんの養子にしてくれました。これが若様です」
「……お姫様の産んだ子? お孫さんがおじいちゃんの養子になったの?」
 首を傾ぐ仕草に、肯定が返る。
「そうです。でも養子になってくれたお孫さんはまだ七つで小さい。もしおじいちゃんがこのまま亡くなったりしたら、おじいちゃんの城は他のお城に簡単に潰されてしまうでしょう。そこでご家老は」
「黒幕エッヘンさんは」
「黒麻です、黒麻久柄兵衛様です。……とにかく家老の黒麻おじさんがそれはいけないと奮起し、いっそのこと若の兄君を、あー……娘さんの嫁ぎ先にいる腹違いのお兄ちゃんをですね。えー……捕まえて人質にするなり殺してしまうなりして、娘さんの嫁ぎ先の城を脅迫して領地に加え、若様を次期城主に推して、自分がその後見役に、と……」
「それってつまり、自分が大きなお城の城主を操れるように仕組んでるってことですか?」
 ちろりと睨み上げる喜三太の意外な眼光に、男は僅かに後ずさり、深々と頭を下げる。理解に至ってしまえばやはり風魔の頭領然とした威圧感を見せる姿に、男は小さく、やはりただのうつけなわけはなかったと呟いて額を濡らした。
 肯定を示す平伏姿に、繋がった眉間が険しい渓谷を刻む。
「そういうの嫌いだなぁ。風魔に何度も同盟を求めてきたのは、その実行役をやらせようとしてのことでしょう? 戦の時の手伝いなんて建前だけだったんだ。もちろんアレだって胸が悪くなるような内容だったから僕達は断り続けたんだけど、今回の話のほうがもっと酷いですよね。こちらの忍者隊がどういう仕組みで編成されてるかは知りませんけど、忍者の仕事は人殺しじゃないって、ご家老さんは知ってるんですか? 里全体としてはお城と契約してないし、なにより僕みたいな若輩者が頭領に収まってる風魔だからお金さえ払えば思い通りに動くと思われたのか知りませんけど、しくじった場合は見限って責任を全部押し付けてくるのが透けて見える相手に、振る尻尾なんて持ってませんよ」
 すっぱりと言い放たれた言葉に、やはりと男は諦めた顔で面を上げる。恐らくは男自身もこのやり方に反感を持っているものと見て取り、喜三太はふにゃりと目元を緩めた。
「でも良かったぁ。うちの里の者に、こんな仕事を請け負わせるわけにはいきませんもん。これで断って殺されるなら、まぁそれも頭領としての義務って奴ですよねぇ。お話が聞けてよかったです」
「いいえ。……お若いのに、もうしっかりと頭領としての責任を負っておいでだ。あなたのような頭領に恵まれ、風魔の里の方々はさぞやお幸せでしょう。このようなことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ない」
 深々と頭を下げる姿に、やめてくださいと慌てて手を添える。もはや死期は悟ったとばかりのにこやかさを目にし、男は僅かに唇を噛んだようだった。
 その心情も察した上で、喜三太は静かに息を吐く。
「あー……。でも死ぬんだって覚悟が出来ると、逆に落ち着いちゃうもんなんですねぇ。こんな殺風景なところでも、最期を過ごすんだと思えば大事な場所に思えちゃいそうです。……でも、せめて少しだけでも外の見える穴を開けて頂くことはできませんか? この数日、月も太陽も見てない。半寸足らずの小さな穴でいいんです。どうせここには紙も筆もないですし、指を噛み切って血で服に文をしたためるにしたって監視の人がいる。小さな穴が空いたところで、僕に出来るのはそこから空を見上げたり、ささやかな風を感じる程度です。罪人だって、死ぬ前に一つはお願いを叶えてもらえるじゃないですか」
 空を恋しんで目を細める喜三太に、男は膝上に握った拳に力を入れる。
「……分かりました。半寸ほどの穴であれば、どうにか空けさせて頂きましょう。なによりあなたは罪人としてではなく、あくまで客人としておいで頂いている身。全ての道具をお預かりしている今、脱出や救援指示をなさる心配もございますまい」
「ありがとうございます」
 ひそやかに鼻を啜りながら退出した男を見送り、喜三太はやれやれと畳の上に寝転がる。ほどなくして外から聞こえてきた錐で木板に穴を開けようとしている音に、垂れた目をにんまりと歪ませて置きっ放しにしていたナメクジ壷を引き寄せた。
「ナメさん達、良かったねぇ。お兄さんがお願いを聞いてくれたから、もうすぐ新鮮な外の空気が吸えるからね。……ナメ太、ちゃんとみんなを誘導するんだよ? 誰かがきっと近くにいるからね。大丈夫。僕の中のね、は組の勘がそう言ってるんだ」
 錐の音に隠すようにひそひそと壷に向かって囁かれた言葉は、恐らく天井裏の監視者には届いていない。
 経験から言えば、錐で穴を繋いで半寸四方大の穴を開けるのには四半刻とかからない。ナメクジの這う速度を考えれば、壁の穴まではちょうどいい距離とも言える。それを理解している喜三太は、壷の蓋を閉め忘れたふりをして目を閉じ、満足げな表情を浮かべたまま静かに寝息を立てた。


  ■  □  ■


 かんかんと角材を打ち付ける槌の音が響く。山間に散見される小さな谷間には眩しい陽が照りつけ、ささやかな橋を掛ける人足仕事で雇われた男達が額に汗しながら太い縄や大きな木材を担ぎ歩いていた。
 大きく息を吐き、伊助は中央で分けた長い前髪の上から汗を拭う。
「疲れたか?」
「ぅおわっ! ……なんだ虎若か。びっくりするだろ」
「なんだはないだろー。せっかく水持ってきてやったのに」
「えっ、わ、ありがたい!」
 早朝から橋を吊り下げるための縄を編み続け、既に渇ききっていた喉への朗報に手放しで喜びを見せた伊助に、調子がいいぞとからかい言葉を投げる。しかしそんなことなど意にも介さない様子で竹筒を煽り、やがて大きな溜め息と共に口元を拭った。
「っあー、生き返る! やっぱこういう仕事って水分がないと辛いなー」
「普段俺達がやってる仕事とは辛さが違うからなー。よっぽどじゃない限り死ぬような仕事じゃないのが利点だ」
「違いない」
 他人には聞こえない程度のひそやかさで笑い合い、ちらりと周囲を見渡す。城からの下請け仕事という話だったものの、工事の立ち合いに来ているのはどう見ても足軽上がりと思しき武士が一人。身なりからしても中央部の話を知っているようには見えないその姿に、今日も収穫は得られそうにないと虎若が眉間を寄せたときだった。
「虎若、あそこ」
 小さいながらも、鋭い声音が伊助の唇から漏れる。その音に機敏な反応を返した虎若が向き直れば、伊助は周囲に気取られぬよう顎で藪の中を指し示した。
 見れば、朽ちた落ち葉の上で不自然なほどにナメクジが群を成している。
「……かな?」
「可能性は高いよ」
 囁き合い、そろりと伊助が腰を上げる。そのまま滑るようにナメクジの傍に近寄ると、注意深くその動きを眺めた。
 鋭いと言われる嗅覚で何かを探しているのか、全てのナメクジが頭をもたげて辺りに気を配っている。その明らかに野生的でない動きに、こくりと唾液を飲み下した。
「喜三太」
 小さく呟けば、一斉にナメクジ達が伊助へと触角を向ける。それに確信を得て懐から手拭を取り出すと、悪いなと囁いて落ち葉ごとナメクジ達を包み込んだ。
 僅か後方にいる虎若を一瞥し、手拭を抱えるように蹲る。
「うぅううう、腹が、腹が痛いー」
 些か白々しい演技で声を上げ、その場に転がる。その声に驚いた男達が何事かと振り向くと、慌てて虎若が傍に駆け寄った。
「どうした伊助! さっき俺がやった水か!? 水が悪かったか!? 親方ー、親方ー!」
 大仰に声を上げて棟梁を呼び、腹を抑えて蹲ったままの伊助を抱え上げる。その姿に面食らった様子で目を白黒とさせている中年の男に、虎若は動転した演技で挙動不審気味に足踏みをした。
「すいません、さっき俺がこいつにやった水が悪くなってたらしく、腹が痛いって……! 申し訳ないんすけど、ちょっと知り合いの医者まで診せに行ってきます! 今日の給金は結構ですんで!」
 言い終えるが早いか駆け出し、麓に向かって勢いよく下っていく。いかに城勤めの者のために多少整えられた道とは言っても大きな石も転がる危うい道を駆け下りるその速度に、腕の中の伊助が時折引き攣った声を上げた。
「馬鹿、急ぎすぎだってこれ! 危ない!!」
「だーいじょーぶ大丈夫ー! せっかく見つけた喜三太からの合図だしな、早くみんなに渡すに越したことないだろ!」
「そりゃそうだけど、って、ひぃやぁあああ!!」
 体が中に放り出される感覚に悲鳴を上げ、虎若にしがみ付く。それをさも楽しそうに笑い飛ばしてなおも先を急ぐ鉄砲隊の次期首領に、は組の仲間と再会するといつもこれだと悪態を溢しつつ僅かに口元を綻ばせた。



−−−続.