ざわざわとした空気が辺りを取巻いていた。
 それと言うのも無論、前後を自分達に挟まれるようにして悠々とした足取りを見せている巨馬によるもの以外にないだろうと、金吾は苦い笑いを貼り付ける。高らかに蹄の音を鳴らしながら街道を往く大きな南蛮の馬は、策士の狙い通り随分と目と意識を惹き付けているらしい。大衆の中から時折感じる気配には明らかに一般町人とは違う緊張感や胡散臭げな警戒心が見て取れ、素知らぬ顔で通り過ぎながらも安堵の溜め息をついた。
 もう三日ほども、見慣れぬ大きな馬が畿内から東海道を進んでいるとなれば、情報戦を主としている近隣各城の忍者、もしくは付近の忍里の者が偵察に来ないわけはない。特に威圧感すら醸し出す南蛮の馬ともなれば馬力も大和馬とは比べ物にもならず、自分達に害のある存在ではないと認識したところで戦仕事、もしくは運搬用として興味を抱くことも容易に想像できる。
 そうなれば南蛮との貿易を取り仕切っている堺商人の宣伝にもなり、今回の策の中で注意を惹き付けるだけの役目とも言い難い。
「……どこまで考えがあってのことなんだろうな、うちの策士は」
 ぼそりと呟いたのは、空腹を訴えたしんべヱに付き合って茶屋で一息ついているときだった。
 幼少時と変わらず口いっぱいに団子を頬張っているしんべヱと団蔵が小首を傾ぐ。無論のことそれぞれに素性がばれないよう多少なりとも顔の作りは変えているものの、それでも透けて見える従来の親しみやすさを困ったように見返し、金吾は言葉に詰まって頭を掻いた。
「いや、庄左ヱ門がさ。たまにどこからどこまで考えて策を練ってるのかよく分からないから。信じてないとかそういう話じゃなくて、頭の中どうなってるんだろうと思って」
 言い繕う金吾に、口の中の物を飲み込んだしんべヱが何度も頷いてみせる。
「あー。僕もその気持ち、分かる気がする! 庄左ヱ門の頭の中、きっとものすごーく難しいことでいっぱいなんじゃないかなぁって思ったりもするよー。なんか今回のこれもさ、福富屋の宣伝も兼ねてるような気がしてちょっと人の目が気になるんだよね。きっと顔で気付かれてるようなことはないと思うんだけど」
「でもあいつの場合どうだかなぁ。頭の中で予想してなかったことでも、これも分かっててやってたのか、すげぇなって言ったら、とりあえず肯定してるってところもあるし。後になって俺や伊助に、アレは別に考えに入れてなかったんだって言って来るからタチが悪い」
 やれやれと肩を竦める団蔵に、そういう場合もあるのかと目を逸らす。
「それなら、いっそ深く考えなくてもいいから気は楽だけどな。コイツを見て戦力に欲しがる奴らがいるのは確実だろうけど、僕らじゃそれをどうすることも出来ない。庄左ヱ門の考えの範疇外に生じた不可抗力って可能性も払拭出来ないんじゃなおさらだ」
 呟き、ちらりと店屋の陰へ視線を走らせる。先刻から密やかにこちらに視線を送るいくつもの影。しかしつかず離れず盗み見るそれらと違い、金吾の視線の先には余りにも顕著な物欲の気配があった。
 団蔵の手が、さりげない仕草でしんべヱと金吾に触れる。その僅かな時間に見交わした目で、それぞれの役割を言外に確認し合った。
 完食した団子の串を三本ほど指先に取り、掲げられている小さな暖簾が軒先にぶつかった音を切っ掛けに一気に地面を蹴る。身を低く屈め、相手から目を逸らさぬまま、金吾は引き攣る男達の首に竹串を突きつけた。
 突然の恐怖に慄く姿に、にこりともせず唇を開く。
「うちの雇い主になにかご用件でもお有りかな、盗人未遂の方々」
「……め、滅相も……」
 突きつけられる切っ先に恐れをなしたのか、顔面蒼白のまま両手を恐る恐ると挙げた男達につまらなそうに鼻を鳴らす。大きな馬を連れ案内人と用心棒を伴っているともなれば、大店の一行と傍目には見えたのだろう。確かにそう見えるようにと狙って進んでいることに変わりはないが、ただでさえ各城の密偵から好機の目を向けられ続けて気の休まる暇もない中、あわよくば物取りのカモにしてやろうなどと考えて標的にされるのは苛立ちが募った。
 少なくとも、今回の旅程においてはしんべヱは大店の人間に扮しているのだから暴れるわけにも行かない。そして団蔵も同様で、一介の案内役に扮してために体術などの類を披露出来る状態ではなかった。
 従い、露払いは全て金吾が引き受けることになる。
 出発当初はそれでも異論はなかったものの、さすがにこれだけの目に晒され続けるとなると少々勝手が違った。
 未だ晴れぬ苛立ちに目を尖らせながら、突きつけていた竹串を袖へしまう。
「あちらの方の馬の見た目ゆえ、好奇の目に晒され苛立っている。叩き斬られたくないなら、金銭の強奪は悪人同士で好きにやってくれ」
 刺々しく吐き捨て、くるりと背中を向ける。見返った先に見えたしんべヱと団蔵はわざとらしい仕草で怯えて震え、ともすれば誰かをからかう時のように仰々しく身を寄せ合って怖い怖いと声を上げていた。
 頭が痛くなる思いで溜め息を吐き、まったくと呟いて一歩踏み出す。これは一度人目に付かないところで怒ってみせなければと拳を握った。
 その耳に、襲いも脅しも出来ぬまま出鼻を挫かれた男達の愚痴が届く。
「……まったく誰だよあんなのんびりした坊ちゃん付きの用心棒、隙を突きゃあ簡単だとか言いやがったのは……」
「こっちはカエンタケからの仕事を反故にされて、食い扶持にも困ってんだ。これ見よがしの金持ちがいりゃあ、相手が誰でもやるしかねぇだろう」
「それにまさかこんなに強いとは思わねぇじゃねぇか……」
 ぶつぶつと囁き合うその言葉に聞き覚えのある単語を聞き取り、思わず足を止める。
「待たれよ」
 声を掛ければ、飛び上がって男達が静止する。まるでカラクリ人形のようなぎこちない動きで振り向いた一人の顔は、なにか不吉なことでもあるのではないかと警戒して引き攣っていた。
 足早に歩み寄り、そろりと唇を寄せる。
「貴殿ら、今カエンタケと言ったか」
 確認する言葉にさえ、今や怯えきった首肯が返る。しかしそれも充分な返答と受け取り、金吾は僅かに表情を緩めた。
「先程は苛立っていたとはいえ手荒なことをして申し訳なかった。良ければその話、少々聞かせてはもらえないか。無論、多少の礼はさせて頂く」
 殺気を孕んだ先刻の声音と違い、柔らんだその音に男達が顔を見合わせる。言葉の真意を探るように胡散臭げな目がちらちらと見交わされていたものの、謝礼の言葉に惹かれたか、最後は媚びるように手揉みして条件を呑んだ。
 再度見返り、なにやら騒動かと顔を覗かせていた店の主人に声を掛ける。
「ご主人。申し訳ないが、少々中の席を使わせて頂けまいか」
「は!? はぁ、どうぞ」
 唐突な申し出に、主人も面食らって戸惑いを見せる。それを気にも留めずずかずかと中の席へ進む金吾に、なにか情報源でも見つけたかと察したしんべヱと団蔵も続いた。
 どうかしたのと小さく問う声に、声に出さず、カエンと唇を動かす。それだけで全て察した二人は、思いがけぬ収穫ににんまりと目元を緩めた。
 壁に近い場所でなく、むしろ店の中央に陣取る。無論それは周囲をうろついている各城の密偵達の耳から遠さかるために他ならなかったが、そんなことなど露知らぬ男達は、その動作の意味すら分からずただ所在なさげに目を泳がせていた。
 話を請われたものの一体なにから話せばいいのか困惑している様子に、しんべヱは分厚い手をぽんと打ち合わせた。
「お腹が減ってるときにいきなり難しそうなこと聞かれても、困っちゃいますよねぇ。すみませんおじさーん、この人達にお団子とあったかいお茶、あともしご飯があったら、おにぎり作ってあげてくれませんかー? ちゃんと代金はお支払いしますからー」
 上機嫌でそう告げられた声に、主人からは快諾と、そして男達からは遠慮した言葉が返る。しかしそれでもただにこやかに座してもてなそうとするしんべヱに、どうやらこのぼんやりとして見えるふくよかな青年も只者ではないらしいと勘付き、男達は肩身を狭めた。
 手早く用意してくれたらしい握り飯と団子、そして熱い茶の入れられた急須が届けられると、今度は団蔵が男達に気安く肩を叩く。
「そんなに緊張されちゃあ、こっちも話し辛いってもんですよ! ……いやなに、実は俺達はとある城に仕えてる密偵なんです。事情があってこんな目立つやり方をしているんですけどね、まぁそれも、おじさん達みたいな人がいればちょっとお話を聞かせてもらおうってことで。……カエンタケ城、知ってますよね。なんでもいいんで教えてくれませんか?」
「情報によっては少しお礼に色をお付けすることも出来るかもしれませんし。別に損する話じゃないと思いますよー。あぁほら、おにぎり冷めちゃったらもったいないですよ! 遠慮せずに食べて食べてー」
 さも当たり前のように出任せを口に出した団蔵に続き、しんべヱまでもがそれに便乗して話を盛り上げる。当然声量は抑えてあるが、自分ではいまいち不得手なこういった話術を巧みに使う二人の手腕に、金吾は感心して目を見開いた。
 離れてからは同じ忍務に着くことがなかったために久しく見ていなかった仲間の技術の高さに、確かにこれは敵に回したくないと口の中で呟いた。
 二人のにこやかな口振りで警戒心に綻びが出来たのか、出された握り飯や団子などに、男達がついに手を伸ばす。
「いやぁそんなご立派な旦那方とも知らねぇで、とんだ馬鹿を晒しちまって……。しかしね旦那、ご馳走になっておきながらこんなことを言うのもなんですが、残念ながらあっしらも詳しいことは知らねぇんで。ちょいと前に、恥ずかしながらカエンタケの領地でスリをやらかしたところをとっ捕まりやしてね。本来なら百叩きってところと覚悟していやしたんですが、どっこい、一個の仕事を見事こなせばお咎めなし、その上謝礼まで出してやるってお達しがあったんで」
「仕事?」
 金吾が聞き返せば、へいと肯定が返る。口いっぱいに握り飯を頬張ったまま続きを話そうと藻掻く男を横目に、団子を飲み下した男が続きを請け負った。
「三日後に、いや、もうその日も二日前の話なんですがね。とにかく捕まった日から三日後、カエンタケ城のある山の麓を大店の主人を乗せた籠が通るから、そいつを攫って来いと言われやしてね。胡散臭ぇ話だと思ったんですが、百叩きと謝礼を秤にかけりゃあ、そりゃあ食いつかねぇ奴はいねぇ。えぇもちろんってなもんで、二つ返事で請け負ったんでござんすよ」
「なんせお城の殿様が攫って来いって言うくらいだ、こいつぁあっしらなんぞ比べもんにならねぇくらい悪どいことをしてきた悪商人だろうって検討をつけやしてね、やる気になっていたんでさぁ。なのにいざ前日になって、仕事はなしだ、どこへなりと失せろと言われちまいやしてね。納得がいくのいかないのってぇ旦那、そりゃああっしらも憤慨はしましたよ。でもまずもってあっしらにゃあ、スリの罪と百叩きを見逃して頂けた負い目がござんす。金が尽きてもカエンタケの領内じゃあ物取りをするわけにもいかねぇ。そしたらカエンタケの領を抜ける頃に、馬鹿でかい馬を連れた金持ちが旅をしてるらしいと耳に入れやしてね。ちょいとお情けに縋ろうと思った次第で」
 指や頬に大量の米粒をつけたまま食べつ話しつを続ける男達に、これは確かに随分な空腹だったらしいと三人で顔を見合わせ、思わず噴出す。それをさして恥じ入る様子もなく一心不乱に食べ物を求める姿に、しんべヱは再度店の主人に声を掛けた。
「すみませーん、お団子、このおじさん達にもう一皿ずつ追加してあげてくださーい。あ、あと僕にもあと二皿! おいしそうに食べてるの見てたら、なんだかまたお腹が空いちゃった」
 えへへと笑って追加注文をとったしんべヱに、いやいやそこまでご馳走にはと慌てて男達が謙遜する。しかし皿を出された途端に幸せそうに食べ始めた姿を見るとつられて空腹の波が押し寄せたのか、男達はありがたそうに手を合わせて団子に齧りついた。
 男達の意識が団子に集中しているのを確認し、金吾が団蔵の膝を指で叩く。
「……どう思う?」
「どうもこうも、今の段階じゃなんとも言えないな。とりあえずカエンタケの奴らが攫おうとした奴がどんな奴だったのか、領内に入ってから調べなきゃならないだろうな。もしかしたら先に入ってるきり丸達が似た情報を持ってるかもしれないし、照らし合わせれば見つけるのに時間はかからないと思う」
「あと、なんでその仕事が中止になったのか、か。……さすがは組の人間が絡むと、喜三太を取り返すだけの簡単な忍務がどんどん膨らんでいきそうだ」
「そんなの今更今更ぁー」
 疲れきって嘆息した金吾の背中を、団蔵が茶化して力いっぱい叩く。一息吐こうと茶に口をつけた途端に訪れた衝撃とその熱さに、思わず短い悲鳴が上がった。


  ■  □  ■


 三人がカエンタケ領に入ったのは、その翌日のことだった。
 情報を提供してくれた盗賊の男達には約束通り謝礼として幾許かの金子と、そしてしばらく盗みなどしなくても過ごせるようにとしんべヱの知り合いの店への紹介状を持たせて別れていた。
 もちろん、紹介状を渡したところは男達の盗み癖が出るような通常の店屋ではなく、オニタケ城首領である春牧行者が小遣い稼ぎにと出している少々特殊な店だった。
 ただの紹介状と言って渡してはあるものの、書面には、盗み癖がなくなるように精神面を鍛えてもらいたいと一筆加えてある。それを別れてからしんべヱに聞かされた二人は、知らぬ間に大店の若旦那然としてきている友人の姿に、なぜか目頭を押さえずにはいられなかった。
 そして既に、カエンタケ領内での本陣となる家の中。
 場には第一陣として先駆けを努めた兵太夫、三治郎、虎若、伊助、きり丸、そして乱太郎の六人も揃い踏み、未だ到着しない庄左ヱ門と与四郎を置いて、早速旅路で得た情報を開示したところだった。
 なるほど、と伊助が低く唸る。
「スリの罪状を見逃す代わりに一仕事、かぁ。確かにきな臭いよね。私と虎若は城近くの山道で人足仕事をやってるんだけど、噂話も外に出さないように情報統制されてるんじゃないのってくらい話を聞かなくてね、いっそ気味悪いと思っていたところなんだよ」
「聞いても足軽や女中の話ばっかりなんだ。普通、城主や家老の悪口くらいは外に出るもんだと思うんだけどな」
 難しい顔をして話を引き継いだ虎若も、理解出来ない様子で唇を尖らせる。その話にまったく同意するように、兵太夫が腕を組んだ。
「僕も同意見。寺の境内でカラクリ人形の見世物をやってるとたまーに城勤めっぽいお侍が来てくれるんだけどね、楽しく話してても、お殿様の話に及ぶとピタッと口を閉ざしちゃってさ。そそくさと帰っちゃうんだよ。どう考えたって変だって」
「町の人からも、お城の話事態聞かなくってねー。カエンタケ城の近くにある、兵太夫がいるところとは違う古いお寺で祈祷屋みたいな事をしてるんだけど、仕事の愚痴や悩み事でもお城の中のことは入ってこないね。よーっぽど後ろめたいことでもあるんじゃない?」
 不貞腐れるような口調の三治郎に、祈祷屋でもそれなのかと眉間が寄る。その行き詰った様子に、やはりこれといった情報を手に入れられてないらしい乱太郎が申し訳なさそうに唇を噛んだ。
 その目が、やけに思い悩んでいる様子のきり丸を見止めた。
「きり丸? どうかした?」
「いや、俺はほら、城内に入って女中仕事してるだろ? 金吾達のさっきの話がさ……」
「話が?」
 歯切れの悪い物言いに、その場の全員が興味を引かれ身を乗り出す。
「……ほら、そのオッサン達が大店の主人を攫って来いって言われてた日、二日前……いや、今日から行くと三日前だろ? 城の麓を通る籠で、前日になって中止って言うと……」
「なんだよ、はっきり言えよ」
 口篭る感じに苛立ちを隠せず、金吾が肘でつく。それに背中を押されたように、きり丸が目を泳がせつつ口を開いた。
「カエンタケ城の若様にはさ、別の城で育てられてる腹違いの兄君がいるらしいんだよ。兄君は父親の城で育てられてて、そっちの次期当主なんだって。その兄君がちょうど三日前にくることになってたんだけど、前日になって酷い熱を出したらしくて中止になったんだ。……符合しすぎねぇか?」
 神妙な声音に、室内に沈黙が落ちる。
「……ホント、切っ掛けの大きさに比例して騒動の規模も大きくなるこの悪癖、どうにかならないかな……」
 ぼそりと呟かれた金吾の言葉に、物言わず全員が頷く。もはや慣れたものとして考えてはいたが、久し振りにここまでの規模になってしまったと重々しい溜め息が部屋に満ちた。



−−−続.