――― 火





 前日、四年生の先輩である田村三木ヱ門の石火矢の試し撃ちに火薬委員として付き添ったのが切っ掛けだった。
 別に火薬の使用に際して火薬委員、もしくは教員などが付き添わなければいけないなどの鉄則はないが、この日に限ってはなぜかそれを隣で眺めていようという気に駆られた。言ってしまえば気まぐれ、偶然に他ならないが、それでも伊助の中にそれまでの認識と違うものを生んだのは確かだった。
 鈍い爆音を響かせ震える砲身から立ち上る硝煙の臭い。普段自分達が管理している火薬が燃え尽きた臭いに、一瞬くらりと眩暈を起こした。
 使用後しばらくしてからそろりと触れても、熱は失せずに火の暑さの名残を残す。意識してこなかっただけでやはりこれは凄い物なのだと認識を新たにし、伊助はその日眠ることが出来なかった。
 ただ、そのツケはやはり日中へと回り。
 朝からはっきりとしない頭で授業に出たため、普段以上に担任二人を嘆かせ心配させ、また、は組の面々にもからかいを受けた。それに対しては反省と苦笑と軽いあしらいでかわしはしたものの、心中は未だ前日間近に目の当たりにした石火矢の熱さ高揚していた。


 その放課後。
「あ、伊助ー。委員会お疲れ。だいぶ眠そうな顔してるぞお前」
「虎若」
 正面からかけられた声に顔を上げると、火縄銃を肩に担いだ虎若が僅かに煤で汚れた姿でひらひらと手を振るのが視界に入る。指摘されたとおり瞼は限界を訴え続けて既に鉛のように重く、委員会中もまさかの三郎次に心配されてしまった。
 幸い在庫確認作業のみだったため早々に解散となったが、伊助の足取りはもはやふらふらと覚束ない状態で虎若に数歩歩み寄る。
「伊助、ほんとヤバいってその顔は。長屋帰ろう」
「ん……」
 手を引く腕に逆らわず、逆の手で重い瞼を擦る。あまり擦っちゃダメだよと笑う声に曖昧な返答を漏らし、伊助はふと鼻腔をくすぐった臭いに僅かに首を傾いだ。
 そのまま、吸い寄せられるように虎若に身を寄せる。
「ちょ、おい伊助!?」
「虎ちゃん、いい匂いする」
「……そうかなぁ」
「うん。燃えた火薬の匂いと、火縄の匂い」
「こらこら、火薬委員の言っていい台詞じゃないだろそれ。今まで山田先生に火縄銃を教えてもらってたから、それでだよ。今から用具委員会に返しに行くんだけど……少し、後になるかなぁ」
 苦笑し、本格的に身を預けてきた伊助を受け止めるためじりじりと後退して学園の外周を囲む壁に背中を寄せる。担いでいた火縄銃を下ろしゆっくりと腰を下ろすと、つられるように伊助もその場に膝をついた。
 虎若の肩に頬を乗せ、もう限界なのか瞼を下ろして一度大きく息を吐く。それを甘んじて受ける歳のわりに筋の目立つ手が伊助の背中を数度拍子をとるように軽く叩くと、眠気に浮かされたような柔らかな言葉がろくに開きもしない唇から零れ落ちた。
「あのね、昨日田村先輩の石火矢の試し撃ちを見学させてもらったんだ」
「うん」
「石火矢、もう見慣れたと思ってたんだけどね。でも、やっぱ、すごいものなんだなって」
「そうだよ。でもその分」
「うん。その分、危ない。でも火縄銃だって同じ」
 閉じていた瞳が微かに開き、立てかけられた火縄銃に視線を泳がせる。
「……少し、石火矢手に憧れちゃったや。もしなれたら、上級生になってからみんなの役に立てるよね。火器の扱いに長ければ、薬込役もできるし。いつか虎ちゃんが火縄銃を使うのが怖くなっても、ちょっとは、支えられるかもしんない」
「伊助は充分は組を支えてくれてると思うけどなぁ。庄ちゃんだって、伊助のこと頼りにしてるし」
 返答に代わりふるりと僅かに振られた首の動きに、違うのと小さく問いかけると今度はこっくりと首肯する。どうやらもう自分の主張以外を話すのも面倒なほど眠気がきているらしいと察し、虎若が苦笑してまた拍子をとるように背を叩いた。
「僕、虎ちゃんや兵ちゃん三ちゃんや、乱ちゃんとか団蔵みたいな特技もないし、さ。学年上がっても、みんなとちゃんと一緒にいたいから。……頑張る」
「……そっか。じゃあ、僕は横で応援するよ」
「うん」
 その言葉を最後に沈むように眠り込んだ伊助を腕に抱え、立てかけた火縄銃にちらりと視線を流す。出来れば富松先輩辺りが通りかかってくれないかなと冗談めかして笑い、とりあえず動くわけにはいかない現状にほんの少し頬を染め、静かな寝息をたてる伊助の寝顔にくしゃりと表情を綻ばせた。



−−−了.