暗い屋内には、そこかしこに酒瓶と、それと同じほどの男達がいびきを掻いて転がっていた。
 ならず者とは言えないまでも、それなりに悪どい商売を続けてきた男達というものはおおよそどこの国でも変わらない。そう考え、不意の物音で目覚めた宝飯はまどろみの中で満足げに笑みを浮かべる。
 大陸で偽金を作っていたことが露見し、逃げるようにこの島国へ渡ったのはつい二月ほど前のことだった。
 最初は他の国のこともろくに知らない蛮族の国と恐れつつ侮っていたものの、渡ってしまえばどうということもない。言葉こそ違うものの姿形は母国の人間とほとんど変わらず、しかも平民の生活水準もさして変わりがなかった。
 むしろこちらの人間は慣れてしまえば充分に人懐こく、徒党を組むには適していたと言える。しかもあちらではただの下役でしかなかった自分が、造幣技術があるというだけで詐欺壇の首領のような位置になっていることがおかしくてたまらなかった。
 おかげで食うにも困らず、奉られて気分がいい。まったくいいところに来たものだと、宝飯は睡魔の誘惑に笑んだまま再度目蓋を下ろした。
 しかし、まどろみに心を委ねようとする耳にまた不愉快な物音が入り込む。
 それに眉間を寄せ、どうせネズミかなにかだろうと耳を澄ます。多少時間を置いてはカリカリと天井板を掻くような音に、無粋なと目を開いた。
 手近な蝋燭に火を灯し、冴えてしまった頭を落ち着けるべく立ち上がって水瓶へと足を向ける。一度目覚めてしまっても、水を一口飲めばまた睡魔が訪れるだろうと欠伸を噛み殺しながら愚痴を溢した。
 その時、またしてもカリカリという音が響く。しかしそれは目が覚めてみれば天井板を掻いているものではないことは明白で、むしろ今現在自分の歩いているこの床板を掻いているのだと微かな振動と共に実感された。
 人が起き出してもなお床間をうろつくとは随分と度胸のあるネズミだと嘆息するも、ぴたりと足を止める。よく聞いてみればこの音はネズミが発するような可愛らしい音ではなく、猫か、それとも人間が床を掻くような音だと感じて血の気が失せた。
 それも、先程よりも増えている音にぞくりと悪寒が走り抜ける。
 途端、今度はジャラジャラという銭袋を動かすような音が聞こえる。
 もしかしたら、誰かが起きて銭の音を楽しんでいるのかもしれない。人とは時折、そういう意味のないことをして悦に入るものだと胸を撫で下ろした。
「誰カ起きてイマスか?」
 言葉を掛けて火を翳すと、たちまちピタリと音が止む。それを怪訝に思いつつ、宝飯はビタ銭の集められている床間へ目を凝らした。やはり、誰も座ってはいないし銭袋を揺らしてもいない。
 それどころか床板を掻いているような寝相の者すら見つからず、気味の悪さに肩を震わせた。
「……からかってイルンでしょウ。趣味悪いヨ」
 虚勢を張ってそう笑ってみても、返答はない。そして火を翳すのをやめるとまた響いたカリカリという音に、顔面を引き攣らせ、男は寝転がっている他の男達を叩き起こした。
 不満げに顔を顰め、なんなんですかと問う声に無言で音のする場所を指し示す。
「ネズミですって旦那」
「チガウ、ネズミちがうヨ」
 くだらないと一蹴しようとする男達に取り縋り、よく聞けとばかりに食い下がる。そのあまりの必死さに怪訝なものを感じたのか、やがて不満げにしていた男達は違う意味でもって眉間を寄せ、音に神経を集中させたようだった。
 カリカリという床板を掻く音は、時が経てば経つほどにその数を増し、その事実に気付いた男達の背筋を凍りつかせる。いかに放置されて久しい店舗でネズミが多いと言っても、ネズミが一斉に、しかも床下から床板を掻けるわけがないことを察して血の気を失せさせた。
 やがて、またジャラジャラと銭袋を揺するような音が響く。それにびくりと肩を戦慄かせ、小刻みに震えながら一人の男が蝋燭の火をそちらへと翳した。
 今度は火を翳されても、音は止まない。ならばやはり誰かの悪戯なのだろうかと宝飯が安堵しかけた途端、男が喉を引き攣らせたような悲鳴を上げた。
 咄嗟にそちらへ目を遣り、誰もが同じようなか細い声を上げ、腰を抜かしたようにずるずると後退する。
 一箇所に積み上げられていたはずの銭袋の一つが、自ずから蠢きつつ床を這い回っていた。
 理解の及ばない事態に、恐慌状態に陥った男達は涙目で身を寄せ合う。
「化けて出たなんて、んな馬鹿な……!!」
 目の前の説明のつかない事実を虚勢で否定しながらも、誰も立ち上がることも、また、万一の時用にと置かれているらしい刀に手を伸ばすことも出来ない。しかし去勢を口にすれば多少なりとも心を強く保てるのか、こんなものはまやかしだと声を荒げ始めた男達の耳に、今度は新たに銭が落ちる音が響き渡った。
 ちゃりんという軽快な音に、それまでの騒々しいものとは違う恐怖を感じ、また室内に戦いた沈黙が落ちる。
 一枚、また一枚と落ちる音は部屋のそこかしこから響き、火を翳そうにもどこへ向ければいいのかすら分からない。もはや隠しようもなく情けない涙目を晒す男の中で、一人が手近な袖を引いた。
「……なぁ、一枚金が落ちるごとに、なんか言ってるんじゃないのか……?」
 言葉に、聞きたくもないはずのその声を思わず探す。得体の知れないものの正体を少しでも掴もうとするあまりのその行動は、追い詰められた人間の本能ともいえた。
 やがてどの耳にも、その微かな声は届く。
「…………これは槍……。これは矢じり……。これは他の者の……。……先祖からの大事な刀……まだ見つからない……。これは他の者の……」
 ちゃりんと音が響くごとにぶつぶつと呟かれる独り言の内容に、恐怖に耐え兼ねてか誰かがいい加減にしてくれと悲痛に叫ぶ。その声に反応したのか金が落ちる音も止み、急に静まり返った屋内に、安堵感からか、引き攣ったような笑いが漏れた。
 しかしその静寂も長くは続かず。
 まるで見世物小屋の中にでも入り込んでしまったのかと思うほどの笑い声が壁をビリビリと震わせる。気狂ったような、心底腹を抱えているような、ともすれば哀れんでいるかのようなその四方八方からの笑い声。そしてそれと同時に始まった部屋中を掻き回るような音に、男たちは声も上げることが出来ず、呆然と見ていることしか出来なかった。
 やがて、その引っ掛かれるという行為に耐え切れなかったのか、男達の周囲の床板や銭袋の下の床板が抜け落ち、金が下へと落ちる。それを思わず目で追った男達は、次いで、その代わりのに這い上がってきたモノを目にして今度こそあられもない悲鳴を上げた。
 泥に汚れた無数の腕。それが男達を取り押さえようと蠢くのを見て、その場所はどうしようもない混乱に包まれた。
 もはや仲間を見ても叫び声を上げる始末。
 その混乱に乗じ、天井からひらりと舞い降りた影が四つ。その素早い動きが男達のうなじを一打していくと、時を置かず、屋内は静かな夜の雰囲気を取り戻した。
「ほい、一丁上がりっと!」
 軽快に手を叩き、気楽にそう口にしたのはきり丸だった。
「やっぱ肝試しはお化け役が一番楽しいよなー!」
「仕掛けを知ってるとたいしたことないように思えるから、なおさら面白かったよな」
「あー、最後の腕がばばっと出てくるのもやりたかったのに! 天井に穴を開けたら体が見えるっていうんで、やらせてもらえなかったのが悔しい!」
「でも上から見てると結構笑えたよな。床下からチラチラみんなが見えててさ」
 満足そうに背伸びしながらのきり丸の言葉に、金吾が楽しげに同意し、団蔵が不完全燃焼を訴えて地団太を踏む。それを宥めるように虎若が肩を叩けば、次々と床板が外され、腕を泥で汚した七人が姿を見せた。
 中でも、庄左ヱ門が苦笑交じりに口を開く。
「まったく、最初は恨み節と笑い声だけで脅かそうと思ってたのに、どんどん怖い方向に計画を持って行っちゃうんだから」
「そんなこと言って、庄左ヱ門も結構乗り気だったくせに」
 一人だけ責任逃れするかのような発言に、兵太夫が肘で突いて悪戯を冷やかす。そして指摘されれば庄左ヱ門も反論する気は毛頭ないのか、まあねと歯を覗かせた。
「でも銭袋の中にぜんまい式の簡単なカラクリを入れてあるだけなのに、随分怖がってくれたねー。罰当たりなことを企んでたわりに、小心者ばっかりだったんだ」
 じゃらりと重々しい音を立て、三治郎が銭袋を一つ放り投げる。その中には明らかに銭とは思えない小さな四角い形が浮き上がっており、衝撃と共に中から袋を蠢かせた。
 その動きに、いやいやと周囲から引き攣った笑いが漏れる。
「暗い中でそんな動きされたら、私達だって気味が悪いよ。特にこの人達、それでなくても私達が床を引っ掻いてるのでかなり怖がってたんだから」
 肩を竦めた乱太郎と同意を見せる級友達の姿に、それでも納得が出来ないのか三治郎と兵太夫だけは顔を見合わせて首を傾ぐ。簡易なカラクリに関してはどうしても評価が厳しくなる辺りがこの二人の特徴ともはや諦め、庄左ヱ門はさてとと息を吐いた。
「工場のほうは先生達が片付けてくださってるはずだ。僕らはこのあと、先生のお戻りを待って無事の忍務完遂を報告するだけ。それまで多少暇だから、とりあえずここに転がってる人達を一纏めに縛り上げちゃおうか。さっき上から降りてきた四人に加えてしんべヱ、その役を頼むよ。僕らは散乱してる酒瓶の片付けと、床下に落とした偽金を纏める作業をやるから」
「えー。俺、偽金を纏める作業がやりたいなー学級委員長ー」
「きり丸はダメだよ。もしかしたら魔が差して、偽金を懐にしまっちゃうかもしれないだろ?」
 笑顔の拒絶に、思惑を見抜かれていたことに大きく舌打つ。それを笑って見遣り、それぞれがわいわいと楽しげに作業を開始した。
 それからおよそ四半刻。
 見事工場を停止に追いやり、あちらにいた男達をも荷車に載せて運んできた担任達に全ての作業の終了を知らせると、よくぞ戦の芽を早急に摘んで見せたと全員がそれぞれに頭を撫でられ、照れ臭そうにくしゃりと笑う。その後 一応男達が逃亡しないようにと学園の見張り小屋に連れ帰り、ほどなくして目を覚ました男達、特に主犯格らしい宝飯と呼ばれている大陸人に話を聞くと、事件は完全に収束した。
 大陸でも偽金作りをしていたと正直に話した宝飯紅魯という男と、そのうまい話に食いついたという男達への対処をどうしたものかと悩んだ担任達は、製鉄技術と造幣技術が確かなことを知るや否や、いっそその技術をまっとうに使う道を勧めた。無論戦国の世、貨幣製造に使うための銅など僅かしかないものの、それでも出来のいい金銭が出回ることは喜ばしいことと言って差し支えはない。
 無論今回のようなやり方も、その後の企みが問題だっただけで本来ならばそう責められなかった。
「とにかくあの者達にはナラタケ城、アミタケ城、キクラゲ城辺りでの就職を勧めてみた。安定した収入を得られる保証があれば、奴らもそうそう、また危ない橋を渡ろうとは思わんだろう。技術があるということはまっとうな職にも恵まれやすいということだからな」
「あの偽金と材料に使われた刀剣に関しては、金楽寺の和尚様に連絡して、明日にも供養して頂けることになった。安芸での戦は随分と大きなものだったと聞いているし、命を落とした者達もこれで少しは浮かばれるだろう」
 そう告げられた終幕に、集められて耳を傾けていたは組の面々がはいと威勢のいい返事を返す。そしてその後さらに威勢のいい声と共に片手を上げたきり丸に、教師達は質問の内容を予知しているかのように苦笑し合い、なんだと敢えて発言を許した。
 高揚を隠さず、キラキラと目を輝かせたまま声を弾ませる。
「あのっ! 集められた銭はどうなるんっすかぁ!?」
「どうせそうだと思ったよ」
 まるで犬のように呼気を荒くして期待感を示す教え子に、土井がくしゃりと笑顔を見せる。そのまま回答を促すように流し見た先で、山田が静かに頷いた。
「えー、あのビタ銭、欠け銭の類に関しては、学園長に判断をお任せしようと思う。なんせ相当の数だ。我々が独断で処理をしてしまうには、些か額が過ぎる。……が、無論今回の活躍があるからな。少々お前達の駄賃として頂けないか、打診はしてみるつもりだ」
 駄賃という一言に、一斉にはしゃいだ歓声を上げる。それも仕方のないこととして教師達は笑顔で見守り、今夜はこの見張り小屋で泊まらなければいけなくなったこと、そして明日は滞りなく通常の授業に戻れることを加味し、そろそろ寝る準備に入りなさいと全員を急かした。
 興奮冷めやらぬ中、まだ睡魔も襲ってこないのにと文句を連ねる級友達に混じり。
「喜三太。……少しいいか?」
 金吾の手が喜三太の腕を掴み、呼び止める。
 振り返る柔らかな猫毛は怪訝な顔一つすることなく、ただ嬉しそうに唇で弧を描いた。
「うん、いいよ。僕も金吾に話したいことあったんだぁ」
 にこやかな声音になぜか照れ臭さを感じ、そうかとだけ返答して腕を掴んだまま先を歩く。それに大人しく従い後ろをついて歩いてくる足音を聞きながら、金吾は人知れず深い呼吸を繰り返していた。
 外へ出てみれば、先刻まで昇っていなかったはずの月が昇っていた。半月にも満たない細いそれは光も薄く、ぼんやりと視界を照らし出す。
 深夜の静寂にはこのくらいの光が似合いだと、安堵にも似た息を吐いた。
「喜三太」
「なに?」
 呼べば即座に返事が戻る。それを心地よく思いながら金吾は一度目を閉じ、大きく肩を上下させた。
「さっき、……殴ったり、怒鳴ったりしてごめん」
 心配してのことだったとは言っても、さすがに突然殴りつけたことは軽率すぎたと項垂れる。しかし喜三太はそれを首を傾いで眺め、手を打ってあぁと声を上げた。
「さっきのって、合流した時のこと? 気にしてなんかないよ。あの時も言ってたけど、金吾は僕のことを心配してくれてたんだよねぇ。そのくらいちゃんと分かってるからさ、気にしなくったっていいんだよ。今回のことは僕も、……うん。僕こそダメだったって思ってるしさ。そんな風に思いつめなくって大丈夫」
 ひらひらと笑い飛ばしながら、それでも俯いたまま顔を上げようとしない金吾を慰めるように軽く抱き締める。
「金吾ってばホンット真面目だよねぇ。冷静になってからずーっとそんなこと気にしてたの? 僕が気にしてないことくらい、見てれば分かっただろうにねぇ」
 さも可笑しそうに喉を揺らしながら、ゆっくりとその背を叩く。次第その頬に当たっている耳がいやに熱を持って感じられる頃、喜三太は笑ったまま抱き締めた腕を解き、懐の中を探り始めた。
「そんな金吾にね、いい物あげる。はい、どうぞっ!」
 決して小さいとは言えない、一握りよりも余るような包みを差し出す喜三太に、俯いたままだった金吾が思わず顔を上げて瞬きを繰り返す。一体なんだと問いを投げても返事はなく、ただ嬉しそうに差し出してくるばかりのそれを、仕方なく受け取った。
 ずっしりと手に圧し掛かる重みに、包みを解いていく。
 そしてそこに匕首を模した小刀が五つ綺麗に並んでいるのを目にし、思わず感嘆の声が漏れた。
 声に、喜三太がことさら嬉しそうにはしゃいだ声を上げる。
「良かった、金吾の気に入った! これねぇ、今日出ていた金物屋のおじさんにもらったんだ。戦場で放置されていた刀や槍の穂先を溶かして、打ち直して作ったものなんだって。あの偽金と同じ作り方だよね。でもねぇ、おじさんはこれを供養にって。欲しい人がいたらタダであげてるんだって言ってた。血生臭いところから持ってきたから、欲しがる人もなかなかいないんだってさ。役に立ててくれるなら嬉しいって」
 視線のみを伏せ、淡々と紡いでいく喜三太の言葉に耳を澄ませる。春の夜風はまだ冬のそれのように冷たいものの、柔らかに鳴った木の葉が身を切る冷たさを和らげていた。
「ねぇ金吾、僕さぁ。金吾なら悪いことにじゃなく、これを役に立ててくれるって信じてるんだよ」
 視線を上げ、正面からそう言い切られた言葉に困ったように目元を綻ばせる。
「お前は僕を買い被りすぎだよ」
「そんなことないよ。忍者の学校で、唯一侍してる金吾だから言ってるんだ」
「分かった。……分かってるよ、それくらい」
 受け取った包みを戻し、懐に仕舞い込んで喜三太の髪をくしゃりと撫でる。その少々乱暴な力に非難じみた声が上がるも、それが決して本気の非難でないことを知って金吾はそのまま頭を抱き寄せた。
 突然の行動に驚いたのか、思わず動きの止まった喜三太の髪に鼻を埋める。
「喜三太の信頼は気持ちいい」
 力の抜けたその声色に、はにゃと瞬くのを感じた。
「変なの。そんなの当たり前じゃないか」
「当たり前でもだよ。分かりやすく示してもらえると嬉しいんだ」
「ならいいけどさー」
 喉が揺れ、柔らかな手が頬に添えられて目を見交わす。互いに喜色に緩んだ目元に額を合わせると、そのままの姿勢で風に身を晒した。
「……そろそろ戻って、寝る準備に入らないとな。明日起きられなかったら大変だ」
「だねぇ。戻るのが遅くなると、きっとみんなまた噂しはじめちゃうし」
「それは勘弁だ」
 うんざりと眉間を寄せる金吾に、喜三太がきゃらきゃらと笑って手を引く。
 しかし残念ながら、それよりもっと前の時点で気付くべきだったと言わざるを得ない。二人が離脱したその時から既に、空に輝く細い月の如く、にんまりと笑んだ九対の目が一部始終を見守っていたことに。
 無論その後、屋内に足を向けた二人が藪に潜んだ九人に気付かぬわけもなく。
 囃し言葉を投げながら四方八方に逃げ回る級友達を、金吾は一晩中追い掛け回すことになった。



−−−了.