夜鳴き鳥の声が微かに響く。甲高いそれはもしかしたら走るネズミの鳴く声だったのか、それとも家鳴りの音だったのかもしれないが、現状の喜三太にとってそんなことは些細なことでしかなかった。
 長い髪を頭巾の中に全て収め、屋根裏に身を潜めたまま既に二刻ほどが経過していた。
 埃まみれのその場所は、とてもではないが新しく両替商として改装された物とは思えないほどに喉を苛む。軽く見積もっても十年、ともすれば十五年ほど放置されていたと思しきその積もり積もった塵に咳き込まぬよう、喜三太は頭巾と覆面を普段より一重多く巻いていた。
 しかし手入れもなにもされていない商家だったことが幸いにも、容易に入り込めるだけの隙を生んでいたこともまた事実だった。
 一階の屋根の上、およそ屋根裏に通じるその場所に大きく開いた穴が侵入口、そして脱出口として未だ喜三太の背後四間のところで宵闇を招き入れる。大風でなにかがぶつかったか、それとも風雨で朽ちたかというその場所は、身軽な者なら誰でも入り込めるような程度に開いていた。
 そこから吹き込む些かの冷たさを気付かぬ振りで、階下の部屋を覗き見る。
 既に店が閉まってから半刻。商いの間は慌しく走り回っていた店の者も、雨戸を閉め、この日持ち寄られたビタ銭、そして割れ銭の類を仕分けた上で一箇所に集め終わると、随分と砕けた様子で奥の間を賑わせていた。
 集まってみれば、かなりの人間がいることが分かる。それも昼間の混雑の中では気付かなかったが、その場の誰もがそれなりに屈強な体格をしているらしいことが見て取れた。
 袋に詰められた銭をじゃらりと鳴らし、一人の男が下品に唇を吊り上げる。
「しかし今日も儲かったな。なんせ元手はほとんどタダみたいなもんだ。それでこんだけ銭が集まりゃ、あんなモンいくらばら撒いても腹は痛まねぇやな」
「まったくだ。このご時勢に新品の精銭なんざ入るわけがないってのに、お気楽な奴の多い町もあったもんよ」
 言葉に、同意を込めてかゲラゲラと笑いが沸き起こる。例え身なりはきちんとした商人として繕っていても、その立ち居振る舞いはならず者のそれに他ならなかった。
「そう言うな。騙されてくれる善良なお方々のおかげでこちとら商売の算段がついてるんだ。そう思やぁ、店でも自然に笑って応対してやれるだろうが」
「町の奴らもあの偽物が、まさか全部厳島であったでけぇ戦の置き土産で出来てるとは夢にも思うめぇ。洗いもせずに溶かした刀や槍の穂先だからな、よっぽどオツムがトンでる奴にゃあ恨み言を言う幽霊の一つも見えるかも知れねぇがな。鉄に銅を塗っただけのシロモンを精銭と触れ込んで本物の銭を持ってこさせるとは、なんとも楽な商売よ」
「違いねぇや。それに儲けるのはここからよ。山に拵えた炉じゃあ、もう随分と芯が出来上がってるんだ。明日明後日でもっと銅が集まりゃあ、ありがたーい仏様がこんなはした金よりよっぽど大量の銭になってくださらぁ」
 片足を立てた状態で腰を下ろし、酒を煽る男が分厚い唇から犬歯を覗かせ視線を移す。喜三太もつられてそちらを見れば、一段高いその場所では他の者とは違う雰囲気を持った男が杯に唇を寄せて視線を伏せ、薄い笑みを浮かべていた。
 着ているものも他の男達のような着物ではなく、どこか大陸の雰囲気が取り巻く。口元に蓄えられた髭もその空気を増長させ、知らず、喜三太の目を集中させた。
「野蛮なコトばかり言うはダメね。ワタシ達、平民に安心を売ル商売するだけヨ。ドの国も戦で泣くノ、平民ネ。戦アル、不安。偽金でミンナ喜ぶ。金ガ回る。経済活性ネ」
 悪びれもせず肩を竦めての一言に、またしても大きな笑い声が沸き起こる。
「まったくアンタは悪いお人だ、宝飯紅魯さん。経済活性なんて言っちゃあいるが、潤わせたところで俺達ゃ店を一旦畳んで逃げておき、でかい城にこの町に金があることを知らせて攻めさせる。その褒賞金として金を受け取り、今度は戦に疲れた町の奴らに偽金と同じ方法で作った仏像を、さも戦避けの利益を持つありがたい由縁の大陸渡来モンだと偽って売りつける。最終的に金は全部俺達が独り占めするようなもんだ」
「大名どもの置き土産が、随分と大化けしてくれるよなぁ」
 ホイコウロと呼ばれた男の名前に思わず呆れたような表情になったものの、探りを入れもしない内にやすやすと口に出された目論見の全容に、そういうことかと眉間を寄せる。
 懐に収めた、昼間に購入した小刀にそろりと手をやる。早い話が、合戦の遺留品で作った偽金を呼び水に戦の切っ掛けにし、自分達の儲け話を進めようという心積もりだった。
 同じく戦での遺留品ということは共通しているものの、そこに篭められたもののあまりの差に軽く奥歯を軋ませる。
「……偽金造りはともかく、戦の算段やそのあとに詐欺も企んでるってのは……ちょっといただけないなぁ……」
 口の中でのみそう呟き、物音を立てないようにそろりと穴から外へ抜け出す。とにかく一度学園へ戻って事の次第を話し、は組の協力と担任達への理解を求めなければとくるりと思考を巡らせた。
 ただしその考えに気を取られ、振り下ろされるものに気付かない。
 間を置かず乾いた音が響き、喜三太はその痛みに思わず喉の引き攣ったような声を漏らした。
「ぅぎ……!?」
「敵の懐に入っておきながら、頭も守らず出てくるんじゃないっ」
 静かに、しかし明らかな叱責の語調を以って鼓膜を震わせたその声に、喜三太の目が恐る恐る上げられる。そこに見慣れた黒装束と困ったような優しげな目元を見つけ、不安は一気に歓喜の表情へと変化した。
「土井せ……!」
「こらこらバカタレ、大きな声を出すんじゃないっ! ここはまだ敵の勢力化だろうが!」
 弾んだ声を上げかけた喜三太の口を慌てて塞ぎ、土井がひそひそと耳元で小さく叱りつける。その言葉に自分の置かれた状況下を振り返り、そういえばと頷きながら手を打った。
 その仕草に、土井の口元から溜め息が漏れ落ちる。
「まったくお前ときたら。みんなに散々心配をかけておいて自覚もないんだから困ったもんだ」
 額をこすりながら苦笑する声に、すみませんと謝罪を返してへらりと笑う。およそ反省の色の見えない顔にもはや諦めにも似た思いがあるのか、肩を竦めるだけで治めた土井に向かって喜三太はだけどと首を傾いだ。
「僕、町に買い物に行くってコトは金吾に言って来ましたけど、それだけでよくここが分かりましたねぇ」
「アホ、何年お前達の担任をしてると思ってる。伊達に忍術学園で教鞭をとっているわけじゃないんだからな、生徒の動きくらい予測出来なかったら担任失格だ」
「はにゃあ、そうですよねぇ」
「……まぁそうは言っても、金吾が早い時点から騒いでいたらしいのにこんなに遅くなってしまったのは、私達の落ち度だけどなぁ」
 零れ落ちた言葉の意味が判らず反対側へと首を傾いだ喜三太に、後でみんなに聞いたほうが早いと笑って頭を撫でる。その後場所を少々移動し、件の商家の見える空き家に滑り込んだ土井は手招いて喜三太を屈ませた。
「山田先生からの情報で、あの両替商が胡散臭いということは掴んでいる。それにあそこに精銭らしきものを運んでくる男の後は庄左ヱ門達が追ってくれているよ。恐らく偽金だろうということは見当がついている。……で、喜三太。お前はどんな情報を掴んだ」
 真っ直ぐに見据える視線に、顎を引いて見返し、見聞きした全てを出来るだけ順序立てて説明を試みる。言ったところで国語の苦手な喜三太の言葉が目的を的確に伝えられるわけもなかったが、それでもこの三年余りで培った教科担任としての実力か、土井は男達の目論見を正しく理解した様子で眉間を寄せた。
「偽金程度なら私たちも事実確認程度で手を引くところだが……学園から程近いこの町に戦を呼び込むつもりだというのなら話は別だ。少々首を突っ込まざるを得ないか……。分かった。喜三太、男達はまだここを動く気配はないんだな?」
「はい。あとに、三日はここで同じことをやるって最初のときに……えぇと、僕がビタ銭の交換に行ったときに言ってました。多分動かないと思います」
「そうか。なら、庄左ヱ門達とはここが待ち合わせ場所になっている。お前はここを動かず、誰かが表から出て行かないか見張ってなさい。みんなが来たら私にしたように説明すること。私は山田先生に報告してくる。いいな、絶対に勝手に動くんじゃないぞ!?」
 念を押して出て行く背中を見送り、つまらなそうに唇を尖らせたまま足を伸ばす。蝋燭の一つも灯らない暗い屋内に一人で仲間を待つというのは、もう怖いとは思わないが存外に面白くないと頬を膨らませた。
 しかしそんな膨れ面も長くは続かず。
「あ、喜三太だ」
 頭上から降ってきた声に、顔を上げる。するとそこには当たり前のように見慣れた十の顔が梁の上に揃い踏んでいた。
 みんなと笑った声に、一つの影がいち早く地面に飛び降りる。それが一体誰なのかを喜三太が確認するより早く、室内にやけに痛そうな重い音が響いた。
 見れば、座っていた喜三太の頭に対し、垂直に振り下ろされたままの金吾の拳が乗っていた。
「イッ……たぁあああ!! なにすんの金吾!」
「なにすんのじゃないだろ!? 僕達がどんだけ心配したと思ってるんだ!」
 非難に対し怒声で返された事実に、思いがけず喜三太の体がビクつく。正面に見える見慣れた目が分かりやすく怒りに揺れていることに気付くと、大人しく肩身を狭めて座を正した。
 その周りに、金吾が喜三太を殴ったという驚愕に駆られた面々が次々と降りる。しかしそんなことを気にも留めず、腹の中に渦巻く怒りを発散するかのように金吾は口を開いた。
「さっきお前が調べてた両替商に銭を運んでくる奴を尾行して、少し離れた山の中にある工場めいたところを調べてきた。刀や槍の穂が炉で解かされてたり、それが銭の形にされてたり。見るからに胡散臭いし正義感に駆られた気持ちも分かるけど、だけど怪しい奴らがいることが分かったらなんで一度帰って、みんなに相談してから行動しなかった! 買い物に行くって言ったきり帰って来ないってなったら心配するに決まってるだろ!? それとも火急を要するほどのなにかがあったか!?」
 烈火の如く怒るその口調に、喜三太の肩がますます身を狭めていく。確かに心配したことは事実ではあるものの、囚われていたわけでも怪我をしたわけでもない現状でそこまで言わなくてもと数人が困惑に眉尻を下げた。
 荒げられた呼吸と大きく上下する金吾の肩に、すっかり気を落とした様子で繋がった眉が八の字になる。
「……ごめんなさい。でも」
「でもじゃないっ!」
 更なる一喝に、泣き出しそうに目が潤む。それを見止め、さすがにそろそろ止めた方がいいのではと伊助と乱太郎が目を見交わしたところで、不意に金吾が膝を折った。
 そのまま、喜三太を抱き締めて大きく息を吐く。
「どうにかなったんじゃないかと、ホントに心配したんだ」
 脱力した肩に代わり、手指に力を篭めて喜三太の背を掻き抱く。溜め息と共に吐き出された安堵の言葉に、泣き出す直前だった目は柔らんでゆっくりと呼吸を整えた。
 自分のそれよりも幾分か硬い髪に頬を寄せ、静かに背中を叩く。
「ごめんねぇ、金吾。怪我なんてしてないから大丈夫だよ。心配してくれたんだねぇ」
 まるで大人が子供をあやすような仕草に、当たり前だと小さな罵声が返る。それをも笑って受け止め、喜三太は再度ごめんなさいと謝罪の言葉を呟いた。
「そんなに心配してくれると思ってなかったんだよ。もうしないから、機嫌直して」
「……軽んじるな」
 苦笑に、不貞腐れた声が漏れ落ちる。安堵から泣き出しそうだったのは金吾も変わらないのか、掠れてしまったために聞こえなかった文頭に首を傾ぐと、力強い手の平が喜三太の肩を掴み、じれったそうに引き離して正面から視線を合わせた。
「お前を大事にしたいと思ってる僕の気持ちを、軽んじるなって言ったんだ!」
 叩きつけるような声に、場が一瞬静まり返る。
 その沈黙をようやくの納得と受け取ったのか、鼻息も荒く深い息を吐いた金吾、そして半ば呆然と正面の顔を見返している喜三太に、世界はまるでそれ以外の存在は消え去ったかのようにも思われた。
 しかし無論のこと、そんなことはなく。
「…………っヒューウ。金吾ってば恥っずかしーい」
 場の空気を打ち壊す声が、二人の背後から響き渡る。そこに至ってやっと自分達以外の仲間の存在を思い出したのか、金吾が音を立てそうな状態でぴたりと動きを止めた。
 それを引き攣った笑いを浮かべたまま物も言えずにいる喜三太に、ねぇと声の主は同意を求めた。
「いくらなんでも独りよがりだよねぇ、今のって。喜三太だってそう思うだろ?」
「えー……。いやー、僕はそこまで言わないなぁ」
「もう、だめだよ兵ちゃん。せっかくいい雰囲気だったのに。ここからどうなるのかが見ものだと思って楽しみにしてたんだよ?」
「でも三治郎。喜三太は俺達がいるのに気付いてたぞ? さすがにこれ以上はどうにもならなかったんじゃないか?」
「兵太夫も三治郎も団蔵も、変な好奇心を抱いてないでさぁ……」
「でも伊助、今日の金吾は注意力が散漫すぎるよね。逆に言うと喜三太にだけ集中しすぎとも言えるけど、さっき土井先生の前でも似たような失敗をしたところなのに。まぁ発散もされたようだしここから先は心配いらないとは思うけど、今後のことを考えるとちょっと改善策を講じたほうがよさそうかな」
「庄左ヱ門、お前この状況でも冷静だな」
「ツッコンでる虎若もだろ」
「きりちゃんもね」
「喜三太、とにかく無事でよかったねぇー」
 がやがやと響く耳慣れた雑談に、固まったままの金吾から次第に冷や汗が流れ落ちる。それに気付いた乱太郎がおどけた様子でひょっこりと顔を覗き込めば、闇の中でも顔色が変わっていることが分かる顔面で、口元に引き攣った笑みを貼り付けていた。
「…………埋まるしかない。それか腹を斬るしかない…………」
「ちょっとー、みんなが冷やかすから金吾が物騒なこと言ってるよー! とりあえずみんなで謝ろうー」
 ぶつぶつと呟かれ続ける物騒な言葉の羅列に、乱太郎が友人達を見返って声を投げる。その呼びかけに全員が大人しく応じ、喜三太を含め、金吾の前で床に指をついた。
「ごめんなさい」
 揃った声と同時に、ぺこりと十の頭が高さを下げる。それを疲れきった目で見つつ、金吾は未だ襲い来る羞恥に顔を隠しながらもういいと手を振って見せた。
 元より自分の失態だと呻いた声に、分かってはいるんだなと誰もが小さく苦笑する。
「ところで喜三太。申し訳ないけど、ことのあらましを話してくれないかな。なにやら大規模な企みがあるらしいことはなんとなく分かったけど、詳しいことがなにも分かってないんだ」
 想定外の話の逸れ方をした場の空気を意にも介さず、半ば無理矢理に本題へと話を引き戻す庄左ヱ門の言葉に誰もがもう驚くこともなく、その流れに思考を切り替える。説明を求められた喜三太もそれは同じく、改めて全員が車座に腰を落ち着けたところで口火を切った。
 詳細の説明が終わったところで、策士がふむと静かに頷く。
「偽金の製造元はそのホイコーローって人で間違いないだろうね。現時点の日の本の技術じゃ、あんな出来のいい偽金は作れないよ。目的は金儲けってコトでいいだろうし、分かりやすいね。偽金で戦を起こし、それに乗じた金儲け。僕らが大嫌いなやり口だ」
 にっこりと笑んだ庄左ヱ門に、どうするのと伊助が神妙な表情で声を掛ける。しかしその重々しさに反しどこか気楽そうに肩眉を上げた策士は、うんと一度だけ目蓋を伏せた。
「喜三太の情報によると、相手は屈強そうな男ばかりという話だ。僕らが見た工場もそれに近い。なら、今の僕達が正面切って勝てる相手じゃない。なら僕らは姿を一切見せず、相手に自滅してもらうとしよう。兵太夫、三治郎。ちょっとしたカラクリを作ってもらいたい。きり丸、銭を数えるのは得意だよね? 他のみんなは、ちょっと喉と口だけ貸してくれ。どちらにせよ動くのは先生達がお戻りになってからだ。それまで、少し肝試しの演技練習をしておこうか」
 さらりと告げられた策の主軸に、十の目が嬉しそうに互いを見交わす。その中でもことさら嬉しそうに弧を描いた喜三太の目が金吾のそれを見ると、忘れていた羞恥がまた湧き上がったのか、剣豪見習いは気まずそうに視線を逸らしながらも照れで震えた息を吐き出した。



−−−続.