――― 春の陽気の一騒動





 しゃらと音が鳴り、風に吹かれるそれが細かな鈴の音にも似た囁きを交わす。ふきのとうや梅と違い、白く柔らかくいものを伴わずに本格的な温かさの到来を告げる花を見上げ、柔らかな猫毛が締まりのない笑みを浮かべてそれを見上げた。
 葉は芽吹いておらず、かと言って先日までの寒々しい枝だけが風に晒されたようなものではない。温かな陽気に緩んだ顔が見た先には、未だ五部咲きではあるものの見事な桜が花弁を揺らしていた。
 開いた花弁の薄紅と、膨らんだ蕾の濃紅が枝々を染めて冬とはまったく違った艶姿を魅せる。それが風が吹き抜けるたびに華奢に揺らぎ、互いの花弁を擦れさせて先程のしゃらしゃらという音を奏でていた。
 桜の微かな芳香を胸いっぱいに吸い込み、喜三太はやはり締まりのない表情で手を翳して眼前の大樹を見上げる。
「ついこの間まで雪が降ってたってのに、今度はもう桜が咲いてるよー。なんだかウグイスでも鳴きそうな陽気だねぇ」
 上機嫌に鼻唄を漏らし、視線を桜の大樹から少し先にある町へと戻す。そこはいつものように芝居小屋や茶店の類、そのほか簪屋や古着屋、子供向けの玩具屋までもが大通りの脇にひしめき合って軒を連ねているものの、店屋の主人や買い物客の顔はみな一様に和やかに緩んでいた。
 町の喧騒も心なしか華やいでいるその風景に、喜三太は両手を振り上げて背筋を伸ばす。
「やっぱりみんな、あったかくなると嬉しくなっちゃうもんなんだねぇ。ねぇ、ナメさん達。そろそろ野性のナメさん達も冬眠から目を覚ます頃かなぁ」
 目だけで振り返り、背中に負った一抱えほどもある壷へと声を投げる。無論それは喜三太がペットとして愛好してはばからない数多のナメクジが飼われているもので、その中身を見たことのある者は、よほど慣れてしまっていない限り、揃ってそれを忌避していた。
 その上それは喜三太が忍術学園の一年だった頃と比べても、体や腕との対比が変わっていない。それはつまり背も腕の長さも伸びたはずのそれと同じだけ壷も大きく代替わりをしたということで、比例して中に納まっているナメクジの数も増大の一途を辿っていることが暗示されていた。
 しかもこれすら愛情の賜物か、それともなにかがナメクジ達に作用したのか。寒気が満ちれば睡眠上状態に入るはずのナメクジは、なぜか喜三太のペットとして日が経つに連れ、そのほとんどが冬眠という期間を要しなくなっていた。
 それをさして不思議がることもなく、さてと呟いてツボを背負い直し、大きくなった手が懐を探る。そうしてやがて一枚の紙切れを取り出してその中身を改めると、口角の上がった口元が窄められるように僅かな尖りを見せた。
「えーっとぉ、筆でしょー、墨でしょー、あと白紙の帳面かぁ。んー、新年度に入ってまたみんなと毎日会えるのは嬉しいけど、なにかと物入りなのが面倒なんだよねぇー」
 つまらなさそうに頬を膨らませ、読み上げた紙をくしゃくしゃと丸めてまた懐へと戻す。そよぐ風が髪を揺らすのをくすぐったそうに押し留め、喜三太はまるで遊び人のような足取りで華やぎの中へと足を踏み入れていった。
 どこかの見世物小屋から聞こえているのか、軽快な笛の音が足取りをさらに浮つかせる。買い物のリストには書いていなかったものの、ふとした好奇心で店屋を覗くたびに気安く投げかける売り文句をへらりとした笑みでかわしていた。
 薄い天幕や、各自が持ち寄った茣蓙の切れ目などで区切られただけの簡素な店構えに目移りする。しかしその中でも一際目を惹く煌きを見せた店先に、喜三太は思わず声を上げて足を止めた。
 そこは小魚を捌くための小さな包丁や、護身用とも呼べない程度の小刀の類が並ぶささやかな金物屋だった。
 春の陽気の中、使いやすさを示すように様々に飾り切りの施された野菜と共に陳列されたそれらの輝きに、喜三太も目も同じくきらきらと輝く。
「すっごいキレイ。この匕首、柄に組紐が巻いてあるんだ」
 視線の先には刃渡りおよそ二寸ばかりの小さな刀。本来ならば匕首と呼ぶのも戸惑われるほど細く小さなそれはまさに反りのない形で匕首の様相を呈し、柄には美しく組み上げられた紐を、そして刃枕にと置かれていた鞘には薄く蝶や花が彫られて柔らかな陽を反射して眩く輝いていた。
 それを見、不意に同室者の姿が頭をよぎる。学園へ編入して丸三年、今期からは四年目が始まろうと言うのに、忍者らしくなるどころかより年々武士らしく背筋をまっすぐに伸ばしていく彼がこれを使えば、さぞ似合うはずだと目尻が下がった。
 この小ささで言えば恐らく実用というよりも装飾用に作られたと思しきそれは、棒手裏剣の代用として充分な要素を持つ。
 喜三太の想像で言うのなら、手裏剣を打たせるよりもこういったものを使って投擲させるほうがよほど絵になるという結論に至った。
 にんまりと笑んだ口が、次の瞬間には小刀を指さして主人に声を掛ける。
「おじさん、これちょうだい! 出来れば三本くらい!!」
「はいよ、どれがお好みで……あぁ、これかい。お兄ちゃん、買ってくれるのは嬉しいんだが、これに関しちゃあちょいとばかり憚りがあるんだ。とはいえ売りたくないわけじゃない。出来るなら話を聞いた上で決めちゃあくれねぇか」
 満面の営業スマイルで振り向いたはずの店主の顔が、指さしていた小刀を見た途端になんとも言えない複雑な表情に歪む。それを小首を傾げながら大人しく聞き入れ、喜三太はあっさりと頷いた。
 聞けば、戦場で放り出されたままになっていた刀や槍を集め、再度溶かして打ち直したものなのだという話だった。
 戦乱の世ともなれば落ち武者狩りどころか、戦場泥棒など珍しくもない。しかも戦場とはいえ、本来ならば市井の人間の生活の場であることも多い場所なのだから、片付けるという意味合いでもその場の物を持ち帰ることは多かった。
 ただし実際にその場にあって朱に染まっていたかもしれない物は、形を変えて打ち直したと言っても一般市井の人間には薄気味悪い所以の物には違いない。あまりに人を選ぶ品ゆえに、欲してくれる相手には必ずこの話をしているのだと店主は語った。
 そして現在まで、この小刀を買って行った猛者はいないという。
「はにゃー、変なの。そりゃ確かに戦場で拾った刀が槍が材料って言われると人を斬ってたりしたかもって思うけどさぁ、そんなの出所不明で買い取られる古道具屋の刀や槍だって同じなのにねぇ。むしろ誰がどういう経緯があって売ったか分からない刀のほうが気持ち悪いかもしれないのに、そういうのを気にする人も少ないよね。おじさんも気にしないで、パパッと売っちゃったらいいのに」
 理解出来なくもないがおかしな理不尽さを感じると呟いて尖った唇が、どこか呆れた様子で肩を竦める。そんな喜三太の暴論を笑い飛ばし、店の主人は肩を揺らしながら先程の小刀を数本手に取った。
「みんながみんな、お兄ちゃんみたいにゃあ話は進まんさ。しかし、買ってくれる人が見つかっただけでも良かった。こう言っちゃあまた気味悪がられるかもしれんが、こいつは戦で散ったモン、負けたモンの供養のつもりで作ってるもんでねぇ。大事にしてくれる人ンところで、欲を言うなら飾りとかじゃなく役に立てるなら、多少の無念も消えてくれるだろうさ」
「おじさん、信心深いんだねぇ」
 茶化すように囃しつつ、懐から財布を取り出す。しかしそれを店主は手で制し、紙に包んだ小刀を差し出した。
「言ったろう、こいつは供養の一環なんでね。そんなもんで金をもらおうなんざ思っちゃいない。打ち直してくれてるのも知り合いの鍛冶屋、この組紐も売りモンにならねぇと捨てられかけていたのを貰ってきて、いいとこを見繕って巻いてあるだけだ。ただ最初からお代はいらねぇと言っちまうと他の店に角が立つからな。いや、もらってくれて有り難い。こういう在庫が結構あってな、正直そろそろ困ってきていたところだ。三本と言っていたが、ちょいとおまけで五本包んでおいた。良ければ使ってやってくれ」
 人のいい笑顔を見せながら照れたように頭を掻き、無骨な手が包みを手渡してくる。その小さいながらに充分な重みのあるそれに本当にいいんですかと問い掛け、返答代わりの笑顔にぺこりと頭を下げた。
 腕の中にある重さを金吾に渡す瞬間を思い、知らず、表情が柔らむ。
「……誰か想う人でもいるって顔だね、お兄ちゃん」
 冷やかす声音に、分かりますかと惚気を口にする。その照れた風もない自慢げな表情にご馳走さんとまた茶化し言葉を投げられたものの、そうだと打たれた手に気を惹かれ、喜三太は二度大きく瞬いた。
 無骨な手が手招くままに、ひょいと顔を寄せる。
「もらってくれたお兄ちゃんに、いいことを教えてやろう。三つばかり先の角を右に曲がってそのまま町の外れ付近にまで行くとな、新しく両替商が出来てるんだ。なんでも播磨の方から来たってところらしいんだが、新店舗開店記念だかなんだかで銭の交換比率が物凄いことになってる。なんと焼け銭やビタ銭の類は二枚で精銭一枚に、割銭や欠け銭でも三枚から四枚で精銭一枚と交換してくれるって話だ。もし手元にどうしようもねぇビタ銭があるなら行ってみるといい。まだここらじゃ、まだ表通りで商売してる奴ら以外は知らん話だ」
 ひそひそと耳打たれた話に、喜三太は店主にバレないようにこそりと眉間を寄せる。銅の足りないこの時代では贋金も精度や状態によって充分な価値を持って取引される現在とは言っても、およそ常識的な交換比率としては精銭一枚につきビタ銭四枚程度というのは子供でも知っている事実だった。
 それを遥かに逸脱した話に、きな臭さを感じて唇を真一文字に結ぶ。
「……凄いですね。ちょっと散歩がてらそこら辺りまでブラついて、空いてるようなら入ってみることにします。小刀、本当にありがとうございました! また来ますね」
 伏せた目元を研ぎ澄ませたまま、口元だけに笑みを刻んで再度店主に頭を下げる。そのまま歩き去った先で、喜三太は適当な店屋の壁に背中を預け、難しそうに眉間を寄せた。
「精銭を安く交換してくれる、ねぇ。……なんか昔そんな話を乱太郎達から聞いたような気がするなぁ。そのときは確か、ドクタケが石火矢を作るために銅を集めてたんだっけ。でもお寺から仏像が盗まれてるって話も聞いてないし……。でもまぁ、怪しいことに変わりはないよねぇ」
 頬を掻き、背負ったナメ壷に向かって相談するように声を投げる。無論そこから返事など期待すべくもないが、それでも喜三太は満足そうに目を和らげ、さてと呟いて教えられた通りの道を辿ろうと足を踏み出した。
 着いた先は、確かに大通りに店を持っている商家や露店の主人と思しき人間ばかりでごった返していた。
「はにゃ、思ってたよりいっぱいだねぇ。まぁ噂通りだとしたら話もすぐに広まったんだろうし、無理もないかぁ。……どうだっけ。財布の中、ビタ銭が結構あったと思うんだけどなぁ。とりあえず入って、一枚だけでも交換してみるかぁー」
 懐の財布をじゃらりと鳴らし、人ごみを押しのけてするすると奥へ進んでいく。入り口付近では整列を促す店員が一人大声を上げており、特に大口の両替希望者を纏めようとしているのか持参の貨幣の種類を記入させつつ並べている姿が目に入った。
 この調子ではたった数枚の交換を希望する自分などは眼中にも入れてもらえないかもしれないと、ほんの僅かな危機感が頭をもたげた。
 しかしそんな喜三太を目に留めたのか、番台の脇で忙しなく動いていた男がにこやかに手招いた。
「小口の方ですかな?」
「えぇっと、小口って言うのも申し訳ないくらいなんですけど……数枚でも大丈夫ですかぁ?」
「勿論、勿論ですとも」
 さすがに混み合いすぎている中で一枚交換というささやかさに申し訳なさそうに喜三太が肩身を狭めるも、恵比須顔の男はやはり変わらない態度でさらに身を寄せる。普通の両替商ではここまで望めまいと言える対応に、胸中で疑惑が色を濃くした。
 財布の中から数枚のビタ銭を取り出せば、機嫌よく受け取った男がいそいそと新しい精銭を取り出す。その手元にはもう数少なくなった輝く精銭と、大量のビタ銭が袋の中に納まっていた。
 番台の奥や他に対応している店員の手元にも目をやれば、大きな袋がそこかしこに置かれている。無論店員の傍のものは腰に結わえられているものの、その数の多さに思わず感心の溜め息が口をついた。
「でも凄い量ですねぇ。やっぱり安く交換してくれるって聞いたら、みんな殺到しちゃいますもんね。新店舗開店記念って言っても、大損なんじゃないんですかぁ?」
「いやぁまったくですよ。でもこれは記念セールというより、うちのご主人がちょっと珍しい古銭集めが趣味の方でして。それでまぁ、大量に集まればそれが見つかるかもしれないなんていう淡い期待をしているようで。言ってしまえば道楽みたいなモンなんですなぁ。あと二、三日は続ける予定ですんで、よろしければまたご贔屓に」
 深々と頭を下げた男から銭を受け取り、喜三太も頭を下げて押し出されるようにして店を後にする。手の中に納まった銭は確かに一見しただけではただの精銭としか言えない物だが、どう見ても使い古された様子のない真新しい銭なだけに、それだけで信用してしまうにはあまりに胡散臭すぎると町外れまで走った。
 人通りが途切れ、町から離れて閑散とした雰囲気の道に出る。その脇に据えられた道祖神に手を合わせ、人に見られないようにと裏側へと回り込んだ。
「神様ごめんなさい、ちょっとだけ裏で作業させてください!」
 口早にそう呟き、荷物を解いて中から苦無を取り出す。そのまま適当な石に受け取った精銭を置き、迷いなく苦無を真上から突き立てた。
 ぱきりと軽い音を立てて、土台の石と共に銭が真っ二つに割れる。拾い上げて改めたその断面を目にし、喜三太はなにこれと言ったきりしばらくの間言葉をなくした。
 断面の中央は銀に輝き、ほんの薄い表面だけが銅色に輝く。
「随分出来はいいけど、やっぱりこれ偽金だよ。……まぁこれだけうまく作られてれば精銭で通用するだろうけど、わざわざビタ銭を集めてたのが気になるなぁ。本当に珍しい古銭集めだったら、もうちょっと確実な方法を取るだろうし。新店舗なんて出せるような大店のご主人ならなおさらだよねぇ」
 腕を組んだまま低く唸り、さてどうしたものかと体ごと傾ぐ。荷物の中には金吾にやろうと決めた小刀。これを早く渡して喜ぶ顔も見たいとは思ってみたものの、しかし胸の奥に仕えて飲み込めない不快感にますます眉間を寄せ、喜三太は苛立たしげに声を上げた。
「っあー、もう! いい! 悪巧みがあるならそれの根っこの思惑を突き止めて、それから帰ってみんなに相談して、金吾にこれをあげるのはそのあとにする!! ナメさん、行くよー!」
 もやもやと逡巡することに飽きたのか、いっそ潔いまでに決断して町へと戻る。そのままあの両替商に忍び入って事の真相を突き止めようと腕を振り回した。
 新年度に入ったばかりの、まさに始業式を終えたばかりの夕方。
 は組の名物三人組でもあるまいし、まさか最初から大きな騒動に巻き込まれるようなことはないだろうという少しの油断から騒動は始まった。



−−−続.