静かに静かに、一日が過ぎ去っていく。
 夜が明けてもやはり二人の関係が好転しているわけもなく、夕食後に響いたカラクリ音から予想出来たとおり、兵太夫はまた地下で就寝していたようだった。
 日中はぎこちない空気が教室内に満ち溢れ、全体的にどこか余所余所しい雰囲気が取り巻く。庄左ヱ門は昨夜伊助に宣言したとおり二人に対して一切触れず、心配するばかりの面々は遠巻きに見守るばかりの時間を過ごした。
 ついになにも進展することなく、夕刻を迎えた。
「……で、結局どうすんだよ。なにもせずに見守るだけってのは、ちょっと歯痒いぜこりゃあ」
 些か面倒そうに顔を顰めたきり丸がそう発言したのは、夕食前の食堂だった。
 夕食準備に追われている厨房に一言許可を取り、横並びの二卓を占領して二度目の作戦会議のために顔を突き合わせる。兵太夫は委員会で裏山に行くという情報が入っていたものの、三治郎が部屋に戻っているために長屋での打ち合わせは出来ず、教室棟は老朽部分の有無を点検するという理由で立ち入りが不可能になっていた。
 また、前回使用した学級委員長委員会室も今は立ち入るのは危険だと言う庄左ヱ門の進言により使用するわけにもいかない。無論その危険という内容は、恐らくまた新しく買い込んだ落雁の類が大量に置いてあるという理由で、主にしんべヱへの牽制であることは周囲には明白だった。
 従い、夕食までの間はほぼ無人と化すここにその場を設けざるを得ない。
 きり丸の言葉を受け、庄左ヱ門が卓上に肘をつく。
「別にどうもしないよ。下手な手出しは二人を変に刺激して、余計にこじらせかねないからね。どうにかして二人を、逃げられない状況下で二人きりにしたいなとは思ってるけど。でないと向き合う覚悟が決まらない上に、互いに逃げてばかりだろ? ……まぁそこのところは、明日うまくいけば叶うかなとは考えてるよ」
「明日?」
 煙に巻くような言葉に、乱太郎が素早く反応を見せる。
「明日って、い組ろ組の連合クラス対うちのクラスとの演習のことを指してる? あれ、ほとんど実戦みたいなものでしょ。庄左ヱ門、発表になってからずっと策の組み立てに頭悩ましてたもんね? ただでさえ緊張を要するのに、そんな仕掛けまでする余裕ある?」
 怪我人が出る危険を伴う授業内容に関しては人一倍敏感な反応を示す乱太郎の指摘に、庄左ヱ門はいっそ嬉しげに笑顔を見せる。その笑顔に後ろ暗いものを感じ思わず眉間を寄せた保健委員の表情には気付かず、今度は金吾が口を開いた。
「今回の演習は、先に戸部先生に報告したほうの勝利って条件のかくれんぼだったよな。い組だけならまだやりようはあるだろうけど、あっちは曲者ぞろいのろ組が入ってる。無理な仕込みをすれば付け込まれかねないし、そうなると勝つ見込みが下がるだろ」
 金吾の言葉に、乱太郎と庄左ヱ門以外の六名が同意に頷く。
 事前に告知されていた演習内容は、金吾が言葉にした通り敵将の捜索を目的とした探索戦だった。
 つまりはどこかに雲隠れした敵将の居場所を突き止め、依頼主に報告することを忍務とする実践演習。ただし当然のことながら互いに妨害工作を仕掛けあうことは許可されており、場合によっては怪我人が出ることは忠告を受けていた。
 各学年でたびたび行われる実習内容ではあるものの、年々規模と過激さを増していくこの演習を指し、学園ではかくれんぼと称する。
 しかも今回の演習場は、一山丸々を使用しての大規模なものだった。
「まぁ、勝つ見込み云々に関しては問題ないよ。僕がやってるのは所詮、事前策の組み立てでしかないからね。一応誰の相手に誰をぶつけるかを考えてはいるけど、それだって現場の流れや各自の判断に任せるほかない。相手が八人に対し、こちらは十一人。この差を今回は無効とするために、三人は見学組にするようにって事だったからね。その三名を選ぶのに手間取ってただけだよ。その最後の悩みどころを、やっと決定しただけ。戦力的な問題は心配無用だ」
「兵太夫と三治郎を見学組にしたってこと?」
 にっこりと笑む庄左ヱ門の言葉に不可解そうに眉間を寄せ、喜三太が首を傾ぐ。
「でも見学組は三人なんでしょ? 間に挟まれる誰かは、物凄く気まずい思いをしなきゃいけないよねぇ」
 その役は嫌だなぁと唇を尖らせる喜三太に、いやいやと虎若が制止の声を投げた。
「庄左ヱ門がそんな単純な差配するか? 間に誰か挟むようなことになれば、お互いに逃げ道作っちゃうだろ。もしどっちかだけがそいつと喋ってるような状況になってみろ、事態はますます悪い方向に向かう。だよな?」
 強い口調でそう言い切ったものの、最後の最後で不安を覚えた虎若がそろりと庄左ヱ門に視線を移す。その先で級長は、まったくもってその通りと笑みを見せ、うんうんとにこやかに頷いた。
「まさに虎若の言うとおりのことを僕も懸念してね。二人にはちゃんと二人きりになる場所を提供させてもらうつもりだよ。だから今回の演習、見学組に選んだのは乱太郎と伊助、それと団蔵だ」
「は!? 俺ぇ!?」
 思いがけない場面で名前が挙がったことに、団蔵が立ち上がる。
「なんで俺!? え、なんで!? 絶対出られると思って、左吉とやり合う約束までしてたのに!?」
 慌てふためく団蔵に、呆れ返ったように庄左ヱ門が目を細めて溜息を吐く。厨房の中から、おばちゃんの含み笑いさえも聞こえた。
「先走ってそういうことするから駄目なんだよお前は。とにかく、これは熟考の結果だよ。今回あちらは、基本的に二人一組で確実にこっちの妨害を狙ってくるのは分かりきってる。なんせい組もろ組も、単身ならそれほどではないけど組むと厄介な奴らが多いからね。だからこちらは敢えて、それを切り崩して一対一に持ち込める布陣を敷く」
 懐から一本の巻物を取り出し、紐解いて卓上に広げる。想定された対戦表が書かれていると思しきそれを覗き込もうと集まった面々が、互いに押し合うように顔をつき合わせた。
「左吉と伝七は、互いの欠点を補い合ってるいい相棒同士だ。臨機応変さに欠けた左吉を援護出来る伝七、それに敵を侮る癖が未だに抜けない伝七を諌める左吉。その上、左吉の得物は長柄戦斧だ。距離を取りつつ、伝七の罠に誘導される。それをうまく分散させるには、しんべヱの怪力で左吉の長柄戦斧を止め、抜け目ないきり丸が罠を擦り抜けていくしかない。出来るね?」
 名前の書かれた箇所を指し示しながら問う。しかし口調に反して確信した目を向ける庄左ヱ門に、しんべヱときり丸が自信ありげに笑って見せる。それににっこりと笑みを返し、策士は次の箇所へと指を滑らせた。
「それと、ちょっと厄介なのが平太と伏木蔵だ。平太は鉄双節棍と十手、それに柔術を得意とするから、得物に頼りすぎる戦術は墓穴を掘る。伏木蔵に関しても同様だ。毒も使えば薬も使う。でも本来の得物は雑渡さん仕込の棒術だ。とてもじゃないけど一筋縄ではいかないよ。相性がいい相手を探るのがこれほど面倒な二人もいない。だからこちらも、敢えて癖のある二人をぶつけようと思う。喜三太。三治郎と組んでこの二人を分断してくれ。僕の想定としては伏木蔵の相手を毒に長けた喜三太に、戦輪を相手にすることに慣れてない平太を三治郎に担当して欲しいんだけど、そこはその場の判断に任せるよ」
「んー、了解ー」
 へらりと笑って親指と人差し指で丸を作って見せる喜三太に、また柔らかに笑む。
「で、最後の二人組だ。ここはもうみんなも想定してると思うけど、ほぼ間違いなく、一平と孫次郎が組む。一平は順忍性が高い毒虫使いだし、孫次郎のほうは短刀術も使える獣使い。その上どっちも容赦がないときたら手の付けようがない。この二人の相手を最後まで悩んでたんだけど、やっぱりここは常日頃から交流もある虎若に一端を担ってもらう。それと兵太夫にもね。虫を纏めて罠に閉じ込めることは容易じゃないけど、獣ならまだやりようはあると思う。二人が使ってきそうな生物の習性について、あとで兵太夫に説明しておいてもらえるかな」
 兵太夫と組むという言葉に、些か苦々しい顔をした虎若がそれでも数度頷く。心配しなくてもそんなときにまで私情を挟むような奴じゃないよと笑って見せ、庄左ヱ門は最後に金吾へと向き直った。
「そして最後に、一番重要な役を金吾に割り振る。つまり大将である彦四郎の居場所を探し出して、妨害を全て掻い潜って戸部先生の下に走る役だ。山一つをくまなく探すのは、体育委員会で走り続けた金吾にしか出来ない仕事だと思う。途中でバテることのないように、今日はしっかり体力を温存しておいて欲しい」
 その言葉に、金吾は心外だとばかりに僅かに眉間を寄せる。
「山一つを駆け回るくらいでバテると思われてるとは、僕も侮られたもんだな。演習時間はほぼ一日。それだけあれば、裏々々山までもくまなく探せるさ」
 些か拗ねたように唇を尖らせる金吾に、喜三太が笑って手の甲を撫でる。そんな二人に苦笑を漏らす周囲を無視し、それは失礼と庄左ヱ門は朗らかに謝罪した。
 その手元を覗き込み、伊助が一瞬目を泳がせる。
「えーっと……。この布陣でいくと、庄左ヱ門を探しに来るのは怪士丸だと踏んでるってわけかな。でも怪士丸って金吾みたいに体力があるわけでもないのに、ホントにこの布陣でいける?」
「いけるさ。金吾なら追っ手を振り切るためにも山中を走るだろうけど、怪士丸なら歩く。なぜなら気配を絶つことに関しては六年でも随一だからね。知ってる? 僕は以前の演習中、目の前にいる怪士丸に気付かずに取り逃したことがあるんだよ。妖者の術の達人と呼ばれるだけのことはある。一切気配を感じないってことはそれだけで恐怖だよ。しかも彦四郎はそれを利用する狡猾さがある。僕の相手に、怪士丸を選ばない道理がない」
 長年同じ委員会を共にしている別所での相棒の頭脳をどこか誇らしげに語る庄左ヱ門に、なるほどと全員が頷く。しかし作戦内容を反復していたらしいしんべヱが、不意に数度目を瞬き、はいはいと手を挙げた。
 注目が集まる中、庄左ヱ門が無言で発言を促す。
「あのね、気付いたんだけど。今の作戦はね、さすがだなーって感じで聞いてたんだけどさぁ。でも考えたら三治郎は喜三太と組んで、兵太夫は虎若と組むんでしょ? 二人が二人っきりになる機会ってないんじゃないの? それとも、演習が終わったあとに二人にするの?」
 純粋な疑問に首を傾ぐしんべヱの言葉に、全員が倣って庄左ヱ門の言葉を待つ。
 しかし級長はにこやかに笑んだまま無言を通し、唇を動かすこともなく笑みを浮かべ続けた。
 その不気味な沈黙に次第に不安を煽られた面々は、背筋を魚でされるような感覚に襲われる。
 まさかと呟かれた誰かの声に、堪えきれなくなった乱太郎が音を立てて立ち上がった。
「最初の受け答えの時点で嫌な予感はしてたけど、二人が怪我して医務室に来るのを想定済みとか言わないよね!?」
 叫びに一瞬の沈黙が落ち。
「はっはっ」
 級長はわざとらしく、けれど心底楽しげに笑っただけだった。
 その返答とは言えない返答に、周囲でざわついてたばかりの面々が一斉に沸き上がる。
「否定しねぇえええええ!!」
「庄ちゃん、昨日言ってたちょっと手荒なことってそれ!? 二人になにする気!?」
「軽い怪我だよね!? ね、想定されてるのは軽い怪我だよね!? 伏木蔵も無茶はしないと思うけど、軽い怪我を想定して言ってるよね!?」
 騒ぐ面々の中でも一番に声を上げたきり丸、そして詰め寄る伊助と乱太郎を苦い笑顔で諌め、まぁまぁと場の雰囲気を落ち着ける。まさかここまで反響があるとは思わなかったと頭を掻く庄左ヱ門に、当たり前だろうとツッコミが返った。
 それにもまた頭を掻き、改めて口を開く。
「とりあえず誤解のないように言っておくけど、別に故意に怪我させようってわけでも、二人の苦手な相手をわざわざぶつけたわけでもないからね。ただもしも双方怪我した場合は、しばらく医務室に二人を閉じ込めればいいなと思っただけでさ。あとはほんの少し、彦四郎を挑発したくらいだよ」
 最後の一言に、また沈黙が落ちる。
 全員が言いようのない困惑の表情を浮かべる中、伊助が恐る恐る手を挙げた。
「あの……庄ちゃん? なんて言って挑発したのか、聞いてもいい?」
「うん? うん、いいよ」
 窺うように上目遣いに見上げてくる伊助に首を傾ぎ、うんとあっさりと承諾する。
「もしかしたら一平には兵太夫を充てるかもしれないから、怪我させたくなかったら精々頑張れって言っただけだよ?」
 こともなげに吐き出された言葉に、全員がその場で脱力した。
「……駄目だ……庄左ヱ門ってばマジ酷ぇ……。しかもこれ多分、天然部分だきっと……。チクショウそんなところも愛しい……」
「黙れ団蔵。ていうかお前がこういうところを止めろよ! 伊助だってツッコミ疲れることはあるんだぞ!?」
「無理言うな虎若! 伊助ちゃんが止められない部分を俺が言って止まるわけないだろ!? 俺は庄左ヱ門と意見ぶつけ合わせんのが仕事なの! 天然部分は愛でるの!!」
「とりあえずお前は一度本気で黙るか塹壕に埋まるかして来い。……でも、確かに庄左ヱ門だしな……。団蔵が言って聞く相手じゃないか……」
 溜息を吐く金吾の背後で未だ騒ぎ続ける団蔵と虎若に、きり丸が呆れ返った様子で肩を竦める。
「とりあえず、庄左ヱ門の余計な挑発で彦四郎が必死で組んだ策で、兵太夫が怪我するのはもう確実だよな」
「きりちゃん。団蔵達も含めて怒られても知らないよ?」
 苦笑した乱太郎が、ひらりと手を翻す。それをにこやかな笑みで見遣り、庄左ヱ門はいっそ爽やかに口を開いた。
「はは、まさかそんな大人気ない。あぁでもそこの四人。このあとはちょっと井戸にでも行こうか。そこなら多少擦り傷が出来たところですぐに洗い流せるから」
「言わんこっちゃない」
 失礼な物言いを喧嘩の売り込みと受け取ったのか、買う気満々の庄左ヱ門に伊助が頭を抱える。即座に失言に気付いた四人が顔を引き攣らせたのを見なかった振りを通し、さてと呟いて級長は手を打った。
「ともかく、明日で僕が二人に関して策を講じるのは一旦打ち止めだ。二人だってもう離れているのは限界だろうしね。なんせ普段あそこまでべったりなんだから、どちらかが怪我でもしようもんなら血相変えて飛んでいくよ。そしたら保健委員には少し席を外してもらって、二人にしてやればいいだけだ。僕らは明日の演習に向かって全力を尽くすのみ。今の布陣の件は、僕から二人に伝えておくから、今日のところは解散としようか。分かってるとは思うけど、二人に対して不自然な接し方はしないように頼むよ」
 にっこりと笑んで立ち上がった庄左ヱ門に倣い、腰掛けていた面々も腰を上げる。夕食の時間は目前に迫っているものの、このまま二人を除いた九人が揃っていては怪しまれると考え一度退室することにした。
 日暮れの早くなった空は既に茜色を通り越して菫色に変わり、視界を暗く閉ざす。
 その薄暗い空を長屋の格子窓と作法委員会室の障子窓から見上げ、三治郎と兵太夫は互いを想い、薄く唇を開く。
「……ホントはこんなに、会いたいのになぁ」
 ポツリと落ちた言葉を見送るように目蓋を伏せ、唇を噛み締める。三治郎はそのまま頭を振って食堂へと足を向け、兵太夫は委員会を終えて戻っていく下級生達に手を振って見送った。
 自分達を中心に、知らぬ間に策を張られているとは夢にも思わないまま。



−−−続.