序
じりじりと照りつける太陽と、ねっとりと絡みつく湿気が不快な昼休みのことだった。
昼食に取り入れられていた生姜もその解熱効果を存分に発揮してはいないのか、またはその程度の微量さでは追いつきもしないのか。
爽やかさなど欠片も感じられない、あまりにも粘着質な暑さに誰もがうんざりとした表情を浮かべている。
太陽が中天に差し掛かるこの時間は、やかましい蝉達すらもその盛んな摩擦運動を休んで木陰でじっと暑さを凌いでいた。
無論それは、忍たま達とて例外ではない。
普段であれば食後のまどろみを求めて芝生や木陰で思い思いに体を休めるか、球技に勤しんでいるはずの下級生達までもが、この日に限っては早々に自教室に戻って机に身を任せている。
そのため酷く静かで、三年は組の面々は茹だるような蒸し暑い夏を享受しているほかなかった。
「……もうダメ、僕死んじゃう」
「喋るなよしんべヱ。よけい暑くなるから」
「暑いって言うなよきり丸ー……。もっと暑くなるだろー?」
「それを言うならお前もだよ団蔵……」
グダグダとした雰囲気が、陽炎立つ教室内を満たす。
とは言ってもこの三年は組の教室に限っては、兵太夫考案の扇子旋回カラクリが二つ設置されているため、他の教室よりいくらかマシであることに疑う余地はない。
けれど当事者としてはそんなことは一欠片も関係ないらしく、とにかく怠い、暑いとばかり繰り返す言葉が充満していた。
そんな中、やはりじっとりと重々しい、明らかに気乗りしていない足音が廊下を軋ませる。
「えーっとぉ……黒木庄左ヱ門君はいますかぁー?」
とめどなく汗を流しながら、事務の小松田が顔を出した。
「小松田さん? 僕になにかご用ですか?」
学級委員長と言えどこの暑さにバテていたのか、級友達と同じく机に伏せていた庄左ヱ門が汗を拭って立ち上がる。
どんなに面倒であろうと、年上の指名とあらば礼を以て応対するのがこの学園のいいところだと嬉しそうに顔を綻ばせ、お騒がせ事務員はにこやかに一通の手紙を差し出した。
「さっき清八さんが来られて、急ぎの手紙らしいからすぐに届けてあげてほしいって頼まれたんだ。ちゃんと渡したからねー」
用事さえ済ましてしまえば、長居する必要も感じないのかさっさと背を向けて去っていく。
それを引き留めることもなくただ一言感謝を口にして、庄左ヱ門は手元の手紙に目線を落とした。
裏書きされた見覚えのある名前に、あれと意外な声が口をつく。
「じいちゃんからだ」
言葉に、全員がひょっこりと顔を上げる。
「庄左ヱ門のおじいさん?」
「めずらしいな」
先ほどまでバテていたのが嘘のように、好奇心に満ち満ちた顔の面々へ片目を瞑って応え、音を立てながら中を改める。
「材木の中から妙なものを見つけたから、出来るだけ早く帰ってきてくれって」
「妙なもの? なんだろう」
「お宝の地図とか!?」
「まっさかぁ。そんな話はなかなかないよきり丸」
「でも急いでるみたいだよねぇ。今日の午後にでも帰ってあげたら?」
覗き込んでいた伊助に続き、きり丸が目を輝かせる。
しかしそれを乱太郎が一笑し、代わりにしんべヱが身を乗り出した。
いつの間にか、庄左ヱ門の周囲は三年は組の面々が群れ成して押しかけていた。
あまりの密集率に思わず噴き出してしまうも、級友達は気にも留めず勝手に話を進めていく。
「でも明日は休みじゃないよ? 庄左ヱ門の家は僕らの中じゃ比較的近いって言っても、ちょっと忙(せわ)しなくない?」
「あぁ、そっかぁ……」
「どうせ大したものじゃないだろうし、そんなに時間はかからないよ。授業終わりに土井先生に外出届をお願いしてみる」
兵太夫の進言とそこかしこから聞こえる落胆の声に、笑って応える。
どうやら全員がなにがしかの騒動を期待しているらしかったが、たかが炭屋の材木置き場にそんな種は落ちていないだろうと考えていた。
そんなとき虎若から、あ、と声が上がる。
「そういえば今日、夕飯当番じゃなかったっけ? 庄左ヱ門」
「え」
盛り上がりかけていたところへ水を差す言葉に、全員が思わず固まる。
せっかく面白くなるところだったのにと言わんばかりにしょげ返っていく空気を感じ取ったのか、慌てた様子で金吾が口を出した。
「いいよ、今日は僕が代わるから。だったら問題ないだろ?」
「ホント!?」
代替の申し出に、庄左ヱ門ではなく級友全員が嬉しそうに表情を華やがせる。
それを誰もツッコむ気配もなく受け入れる雰囲気に、団蔵がクルリと見返った。
「あ、じゃあこうしよう! 代わりに饅頭かお団子をリクエスト!」
「ねぇそれ金吾が言うなら分かるけど、なんで団蔵が言うのさ」
ここにきて喜三太のツッコミに、全員でケラケラと笑い転げる。
しかしその程度ならばと了承が聞こえたとほぼ同じくして、教室の木戸が開いた。
「こらお前達、いつまで遊んでる! 始業の鐘が聞こえなかったのかー?」
手を叩きながら入室を果たした座学担当教諭の言葉に、クモの子を散らすように席に着く。
相変わらず落ち着きのない自学級に半ば呆れの顔を見せつつも、土井はいつものことと開き直った顔で教壇に立った。
「起立、礼!」
庄左ヱ門の号令に合わせ、慣れた様子で全員の仕草が揃う。
その姿を満足げに受け止め、教科担任は一度大きく手を打った。
「えー、今日は授業の前に一つ話がある! 昼休み、外部実習に出ていた四年担当の野村先生から少々物騒な情報が齎(もたら)された。このところ京では、どうやら盗賊が頻出しているらしい。なんでも壺や鍵のついた箱、葛篭(つづら)などを中心に盗んでいるとのことだ。まぁ滅多なことでは学園に被害が出るとは思えないが、いつこの被害が畿内全体に拡大するかも分からない。各自貴重品はしっかりと管理するように!」
忠告に、揃ってよい子の答えが返る。
けれどその陰で、三治郎の肘がこっそりと庄左ヱ門を突いた。
「どうしたの? 三治郎」
「どうしたのって気楽な顔してるけど、庄左ヱ門の家って洛北じゃない? 僕らってホント騒動に愛されすぎで巻き込まれやすいからさぁ。盗賊なんて本当に物騒な話だし、しかもこのタイミングだから心配なんだってば。帰るとき気を付けてね?」
「あぁ、そういう事か……。大丈夫だよ、うちは炭屋だしそんな高価なものなんて置いてないから。でもありがとう。心には留めておくね」
気安く言い切り、それ以降できる限り授業に集中する。
とは言ってもしょせん三年は組の集中力なので、多少気が逸れたり雑談や軽いお説教が混じってしまうのはいつものことだ。
だが、少なくとも普段程度の静けさと集中は保たれた。
そのまま、平和な授業は過ぎて放課後へと至る。
軽い手荷物を背負い、私服へ着替えた庄左ヱ門が同室者に手を振った。
「それじゃ伊助、就寝時間までには戻るから。行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
言われた伊助も、心配の素振りなくにこにこと返す。
食事は食べてくるから取り置く必要はないと宣言されていたこと、そして宿題は範囲を予想して休み時間に済ませていることを知っていたので、確認しておくことも特にない。
あえて挙げるなら戻るまでには組内で騒動が起こった時の対処法だったが、それはその時考えようと開き直っていた。
しかし夕食の時間になり、三年は組が揃って食事をとっていた時だった。
のほほんとした会話の合間に、伊助が小さく引き攣った声を上げる。
「ひゃ……!」
「どうした? 伊助」
そして手元を覗き込んだ虎若もまた、ヒッと悲鳴を上げた。
その後続々と同じように覗き込んでは引き攣る声を上げ続け、ついに現在同席している十人が同じ仕草を完了すると、乱太郎が至極嫌そうに眉間を寄せる。
「……伊助ちゃん。これ、なんかやってこうなった?」
「ううん。普通にご飯食べてたら、いきなりバキッて……」
「それじゃあコレ、ものスッゲーやな感じだよなぁ……」
伊助の言葉を受けたきり丸の呟きに、思わず全員が頷く。
覗き込んだ先にあった竹箸は、強い圧力をかけられたかのように先から真っ二つに裂けていた。
「鼻緒が切れるより気持ち悪いねぇ」
「だね。……なんにもないといいんだけどなぁ」
怯えたように眉尻を垂れさせたしんべヱに続き、兵太夫が空を見上げる。
当然、誰もが思い浮かべているのは一人離れている庄左ヱ門のことだった。
だが忍術学園から京へ思いを馳せたところで、その思いが届くものでもない。
やがて呆けていても仕方ないと切り替えたらしい団蔵が、大きく二度柏手を打った。
「はいはい、考えたって仕方ないことは考えない! せっかく金吾がウマい晩飯作ってくれたんだから、それに集中しないのは失礼だ! 今はちゃんと食う!」
覚醒を促すような大声に、椀を持っていることすら忘却していた面々が慌てて持ち直す。
食事ともなればすべてを放り出してでも食欲に没頭するしんべヱすら上の空にさせていた事実に、伊助は少し申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ごめんごめん、たかがお箸くらいで大袈裟になっちゃった。大丈夫だよ。気付かない間に力を入れちゃってたのかもしれない。食べよう! 金吾のご飯、近頃ホントにおいしくなってきたもんねー」
極力不安を押し込め、隠しきれない空(から)元気で笑顔を作る。
それを各々心配そうに眺めながらも、かける言葉もないのか食事に集中することに決めたようだった。
そして夜四つ。
とうに月さえ沈み、星明りもまばらなその刻限になって、忍たま長屋の廊下が軋んだ。
「お前達、起きているか?」
「土井先生」
乱太郎達の部屋の木戸が開き、教科担当教諭が顔を出す。
すでに布団は敷いてあったものの、ダラダラと熱帯夜を過ごしていた三人は思わず飛び上がって居住まいを正した。
「どうせダラダラしてると思ってたから、今さら畏(かしこ)まっても意味ないぞ。ところで庄左ヱ門を見ていないか?」
「庄左ヱ門ですか?」
不吉な予感に、顔を見合わせる。
「まだ帰ってないんすか?」
「あぁ。伊助が心配して聞きに来てな。さっき小松田君に入門表を見せてもらったんだが、帰ってきた様子がない。……ないとは思うが、小松田君が気付かないうちに戻ってきた可能性を考えて、全学年の忍たま長屋と校舎を見回っているんだ」
土井が悩む様子からして、雲行きはますますよろしくない。
しかしそれでも一縷(いちる)の希望はあるかもしれないと、しんべヱが身を乗り出した。
「えっと、じゃあ実家にお泊りしてるかもしれないですよね! 庄左ヱ門のご家族ってみーんな庄左ヱ門が大好きだから、今日は泊まっていきなさいって!」
「うん、それも考えないではなかったんだが……明日が学園の休日でないことはご家族もご存じのはずだ。庄左ヱ門もはっきりと物を言う性分だし、宿泊を促されても承諾するとも思えない。……まぁもう少し他を当たってくるから、お前達はそろそろ寝なさい。明日寝坊したり、授業中に居眠りしても知らないぞ」
短く息を吐き、軽く手を振って退室する。
その背中によい子の返事だけをし、こそこそと木戸に耳をつける。
そして廊下の軋みが二部屋分進んでまた木戸の中に消えたのを確認してから、三人は慌てた様子で隣室へと向かった。
「伊助、大丈夫?」
土井の目に留まらぬように素早く入室し、滑り込むように腰を落とす。
その素早さに些か面食らった様子で瞬くと、部屋の主は乱太郎の問いに若干引いた様子で頷いた。
「え、うん。大丈夫だけど。なにいきなり」
「いや、心配になっちまって」
「そうそう。大丈夫ならいいんだけど」
代わりきり丸としんべヱが答えると、不思議そうに首を傾ぐ。
するとまた木戸が開く音が聞こえ、しばらくして同じように慌てた軋みが近付いてきた。
「伊助大丈夫ー?」
「血管キレてないー?」
乱太郎達と同じく、兵太夫と三治郎が素早く部屋に滑り込む。
木戸が開く音を聞いた直後に奥へ移動していた三人はやはりと頷き、その様子にまた伊助は訝しげに眉間を寄せた。
「切れてないよ! なんなのホントに!」
「でも今キレてるよね」
「だからそれは……!」
反論の隙にも、続々と来客は続く。
「おい、大丈夫か伊助ー?」
「お前らもか!」
連続する同じ展開に、鬼もかくやといった形相で入室者を睨みつける。
そのあまりの剣幕に怯んだ虎若に代わり、団蔵が後ろから口を挟んだ。
「いや、だってお前さぁ」
「だってじゃないよ! なんで集まってきてんだよ!」
本気で理解不能と言いたげなその声色に、他は全員その理由が分かっているのか物言いたげな目線を見かわす。
それがさらに伊助の苛立ちを募らせた。
さらにそこに、団蔵の後ろを押すように二つの頭が加わる。
「伊助、大丈」
「しつっこい!!」
最後に声を掛けた金吾に、ついに枕が投げつけられる。
視界が悪かったこともあって憐れにも顔面に食らった未来の剣豪候補に、伊助はふしゅるるると蛇の威嚇音のような音を立てて息を吐いた。
「なんだよお前らみんなして! っていうか金吾と喜三太は来るの早いし! マジでなんなの!」
ついに仁王立ちし、完全に立腹した様子の伊助の前に全員が正座で居並ぶ。
理由など言うまでもないとばかりにチラチラと交わる視線に、早く言えと怒声が響いた。
それにおずおずと、喜三太が手を挙げる。
「あのぉー、だって伊助、前ドクタケに庄左ヱ門がさらわれた時はもう物凄いパニックになって、ブッチーンってキレまくってたじゃない? それに僕と金吾が早く来た理由は、もうみんながワイワイやりすぎて、土井先生が集まってること知ってたからで……」
しどろもどろに紡がれた言葉に、なるほどと伊助以外が納得を見せる。
しかし過去を掘り返された当人は、燃え上がるように赤面した後しおしおと頭を抱えて蹲(うずくま)った。
「ちょ……やめろよ言わないでよ……。あれ、私の中では黒歴史なんだから……」
思い出したくない記憶に触れられ、苦悶の表情で静止する。
それを複雑な顔で眺め、虎若が目を泳がせた。
「あれ一年生の時のことなんだから、歴史ってほど昔の話じゃないんじゃないか?」
「いやいや、ある意味ではもう随分古……ぶっ!」
「それは置いといて! 今は庄左ヱ門!」
金吾を無理矢理押しのける形で言葉を遮り、乱太郎が割り込む。
しかし集まったはいいものの、普段議長を務めている庄左ヱ門が不在なことでいまいち場が締まらず、なんとなくもじもじとした空気が部屋を支配していた。
やがて痺れを切らしたらしい団蔵が、こくりと唾を飲み下す。
「なぁ。……庄左ヱ門になんかあったのか、気にならないか?」
「なる」
「なる!」
問いに、きり丸と兵太夫が即座に返答する。それににやりと笑って顔を見合わせ、は組はようやくいつもの作戦会議然とした調子を取り戻した。
「見に行くとしたら、やっぱりご実家までだよね」
「でもどうやってー?」
乱太郎の提案には誰もが頷くも、しんべヱと同じ疑問が課題に残る。
うんうんと唸りを上げて頭を捻り、やがて金吾がぱっと顔を上げた。
「あ! 前に水路を使って外に出ようとしたことがあったじゃないか。あれは?」
「ダメだよ。確か水路の先で、先生が待ち伏せてらっしゃったじゃないか」
「特に今日は先生達、庄左ヱ門の件でいろんなところをチェックしてるみたいだしねぇ。目を盗むのは難しくない?」
「それに一番の問題は、学園のサイドワインダー!」
即座に否定して見せた伊助に続き、兵太夫がさらに現状を突きつける。
そして一番の問題点を挙げた三治郎に、それなんだよなぁと全員が項垂れた。
「ホント、こういう時の小松田さんは難関だよなぁ……」
「いっそ小松田さんが出門表を受け取れなくても仕方ない、って状況になればいいんだけど……」
ガシガシと頭を掻き、きり丸が呻く。
後を引き継ぎ溜め息を吐いた喜三太の言葉に、一瞬沈黙が落ちた。
直後、九人の声が揃う。
「それだ!!」
「はにゃあ!?」
突然の大声に、喜三太の目が白黒と変わる。
しかしそんなことなど気にも留めず、虎若が楽しげに身を乗り出した。
「要は小松田さんの動きを制限しちゃえばいいんだよな! 例えば……」
「僕らが学園を出ても、追いかけられなくしちゃうとかっ!」
しんべヱまでもが、決してよくない類の笑みを浮かべる。
そこに至ってようやく回答を得たのか、喜三太も喜色に満ちた表情で手を打った。
「あっ! そっかぁ!」
全員の目が、兵太夫と三治郎を見る。
それを誇らしげに受け取り、二人は即座に煌びやかなポーズをとってみせた。
「お望みとあらば!」
「喜んで!!」
その表情は大手を振ってイタズラをできる喜びに輝きを放つ。
あまりに溢れだしている幸福感に不安を感じたのか、乱太郎が制止の声を投げた。
「待って待って。足止めできるなら是非ともお願いしたいんだけど、万一にも怪我とかさせるようなことにはならないよね!?」
その言葉にはたと気が付いたのか、ひやりとしたものが場に落ちる。
しかしそれには当然のように頷き、二人は示し合わせたようにブイサインを作ってみせた。
「だーいじょーぶ! ちょっと地下カラクリの点検に付き合ってもらうだけだよ」
「途中で僕らは離脱するけどねー!」
「え、それって今度は逆にちゃんと出てこられるかが問題なんじゃ……」
怪我の懸念はないものの、次いで遭難の危険を感じる提案に団蔵が額を青くする。
だがこれにもチッチッと舌を鳴らし、兵太夫は自慢げに顎を上げた。
「そんな心配も予想済み! ちゃんと小松田さんの懐には地図を入れておくつもりだし、いざという時のために吉野先生のお部屋の前にも同じものを置いて行くよ!」
「……うん、それならいいけど」
楽しげだからこそ不安をあおる話に、戸惑いながらも乱太郎が了承を示す。
一応とは言えど天下の保健委員から得たお墨付きに、ではと伊助が膝を打った。
「よし、じゃあみんな早速外出準備! 分かってると思うけど手甲や脚半に入れられる程度の忍具は今回忘れないようにね! おやつは一人一個まで! 先生に見つからないうちにチャッチャと動くよー!」
庄左ヱ門がいないことでやはり無自覚にでも気が急いているのか、普段と打って変わってテキパキとした指示を出す。
しかしいくら目を盗むためとは言えどあまりに思い切ったその様子に、きり丸がわずかに引き攣った。
「お前ホント、いざとなるとめちゃくちゃ大胆になるよなぁ」
「言ってる暇があるならさっさと動け!」
揶揄する言葉にもぴしゃりと返され、剣呑に首を竦(すく)める。
それを笑って見遣り、三治郎が腰を上げた。
「じゃあ僕らは小松田さんを呼んでくるよ。下から声がするって言ったら来てくれるんじゃないかなー。みんなより少し遅れると思うんだけど、待ち合わせはどうする?」
「水路の先にある林! こないだ雷で割れた木があったろ? あそこにしよう!」
外出準備に浮足立つ中で、団蔵から指示が飛ぶ。
それを異議なく了承し、今度こそ全員が木戸へ向かった。
「じゃあみんな、後で!」
乱太郎の一端の別れを聞き、わらわらと散会する。
しかしまるっきり悪戯っ子の様相を見せる十人を見下ろし、屋根裏では不敵な笑みを浮かべる影があった。
「ワイワイ集まるだけなわけはないと思っていたが、やっぱりこうなったか……! 小松田君をどうにかしたところで、私らの目まで誤魔化せると思うなよぉ?」
声はもちろん、三年は組の担当教諭のものだった。
ふっふと悪役のように肩を揺らす土井を、さもおかしそうに山田が流し見る。
「さて、どうしますかな土井先生?」
その声色は、どことなく試すような色を窺(うかが)わせる。
まるで自分が生徒側に立ったような居心地の悪さに気付いた土井がその目を見返すと、策問を隠しもしない視線が突き刺さった。
これは教師としての自分を試されていると察したのか、多少ぎこちない様子で口籠る。
「……あんまり過保護すぎるのも……あれでしょうか……。もう三年生になったことですし……」
探り探りのその声に、山田は満足げに二度頷く。
それを見てやはり子離れならぬ生徒離れを促しているのだと理解し、教科担任は渋々視線を落とした。
「……今回は少し冒険させてやってもいいでしょう……」
「そうですな。そろそろ私らも教え子離れの準備を始める頃合いでしょう」
突然のことに困惑する背中を慰めるように軽く叩き、さてこちらも準備しましょうかと屋根裏を行く。
いつの間にか生徒達も下級生と呼ばれるのも最後の年になり、翌年には上級生として仰ぎ見られる存在になるのだと突きつけられたようで、土井は湧き上がった寂寥感(せきりょうかん)に眉尻を下げた。
(以上、序文全文)
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