――― 血騒





 行灯に入れられた油を吸って、じりと音を立てた芯がまた僅かに焔の中に身を投じる。その音に気をとられ伊助が開いていた書物から目を放し顔を上げると、背後で同じく読書に没頭していた庄左ヱ門がぱたりとその表紙を閉じる音が聞こえた。
 時刻は既に遅く、部屋に二つ燈した行灯の明かり以外に光源もない。学園中に消灯を告げる亥の刻の鐘がなってからも随分と経ち、そろそろ子の刻にでもなる頃かと溜息を吐いた。
 外からはざわりと風が草木を震わせる音と、時折響く虫の音が室内の沈黙を妨害する。本来ならば頃合を見て寝支度にかかりながら談笑に興じるはずの同室者はこういった日に限っては酷く言葉を慎み、最適の機会を失わぬように努めて周囲の気配に気を配る癖を持ちつつあった。
 虎若が個人実習の延長として佐武鉄砲隊と行動を共にして、今日で五日目が過ぎる。
 佐武衆が戦に駆り出されることはもはや当然のこととして慣れもしたが、今回はそう難しくもない戦とは組全員が事前説明を受けていたために、恐らくそろそろ帰還の頃だと勘が告げていた。
 そしてその正当性を示すように、障子戸がするりと開く。
「伊助、まだ起きてる?」
「起きてるよ。三治郎」
 顔を覗かせた見慣れた表情に伊助が笑顔を返せば、庄左ヱ門もそれに倣い来訪者へ向けてゆっくりと表情を緩める。どうやらは組の勘はますます冴え渡っているようだと冗談めかして笑んだ級長の言葉に、同意を見せながらも三治郎は苦笑の形に顔を歪めた。
 その表情に、どうやらまた酷く憑かれての帰還になりそうだと悟り、伊助は小さく息を吐く。
 戦場での実習からの帰還は、良くないモノが憑く場合も多い。特に殺傷仕事に特化したと言ってもいい火縄銃使いの虎若の場合、それは学園の中でも顕著、且つ仕事量を考えればごく頻繁に起こっていた。
 三治郎が帰還の直前に部屋に訪れるのは、そういった気配が目に見えて迫るのが分かるという彼の特異な性質上、帰還直後の虎若が必ず訪れる伊助に忠告と警戒をもたらす理由に他ならない。
 そういう日は例外なく、普段の温厚さなど見る影もなく獰猛に体温を求めてくることは理解していた。
「庄ちゃんごめん、団蔵の部屋に行ってもらってもいいかな」
 小さく呟くと、元より承知とばかり躊躇いもなく腰を上げる。そのまま三治郎の立つ障子戸へ足を向けるも、行き掛けに手を伸ばし、文卓の前に坐したままの伊助の頭をくしゃりと撫でた。
 温かな手を見上げると、ごめんなんて言わなくていいと柔らかな笑みが見下ろす。
「いい加減、血の気配と戦の興奮になんて振り回されるなって言ってやればいいよ。あんまり辛いようなら、僕らのところに逃げておいで。団蔵と二人でボコボコに殴って叱りつけてやるから」
「うん、ありがと」
 感謝の言葉を背中で聞き、ひらりと掌を翻し退室する。それを三治郎と二人で見送り、伊助はゆっくりと肩の力を抜いた。
 また行燈の芯が、じりと燃える音が耳につく。
「……三治郎がいてくれて助かるよ。心の準備が出来る」
「なに言ってんの、逆に言えばそれしか出来ないんだ。僕にしてみれば、ホントはもっとちゃんと対策を練ってあげたいんだけどね。……修験道の修行がまだまだ足りなくて」
「忍者の修行をしてる身で、休みの期間は修験道の修行までこなしてるってだけで充分すごいんだよ。教えてくれてありがとね」
 にっこりと笑む伊助に釣られ普段通りの笑顔を見せかけた三治郎が、突然肩を跳ねさせ勢いよく背後を振り返る。
 月明かりすら弱い闇の中、漆色に沈んだ庭と廊下の中にぼんやりと白緑の衣が浮かぶ。制服と定められた忍装束ではなく私服のその色を纏った人影は、明るいその色に対しあまりにも血生臭い気配を身の内に潜めて背後へと近付いていた。
 それに対し一瞬鼻白んだ笑いを見せ、睨みつける眼光で唇だけを笑みに歪めた三治郎が口を開く。
「お帰り虎若。今日もまた随分とひっどい顔してるね」
「…………ただいま」
 低く顰められた声音でそれだけを呟き、ふらりと揺れた体が押し退けるように部屋の障子戸へ手を掛けた。
 すれ違い様、全身から否応なく香る火縄と火薬の臭いに混じり、僅かにだが鉄錆の刺激臭が鼻につく。直接的に止めを刺したわけではなく、やはり多少離れた場所で溢れていたものの臭いが移り香のように纏わりついているらしいと察し、三治郎はちらりと伊助に視線を送った。
 それを悟り、伊助も言葉なくゆっくりと頷く。
「それじゃあお休み、三治郎」
「お休み伊助、虎若。……出来るだけ安らかな夜になるよう祈ってるよ」
 互いに手を振り、その後振り返りもせずに三治郎の背中が遠ざかる。宵闇の中でそれが見えなくなったことを確認し、伊助は静かに息を吐いて虎若へと向き直った。
 未だ部屋の入り口付近で立ち尽くしたままの姿に手を伸ばし、柔らかな笑顔で僅かに首を傾ぐ。
「お帰り虎若。……今日はまだ私のこと抱き締めにこないの?」
 心配したんだぞと続いた言葉に牽かれるごとく、虎若の大きな体が倒れこむように伊助に覆い被さる。倒されるがまま床板に背中を押し付けられた痛みに密やかに眉間を寄せつつ、伊助の手が汗ばんだ黒髪をそろりと撫でた。
 演習時とは違う戦場の匂いと男臭い汗の臭い。ともすればここが長屋ではなくいずこの戦で荒れた辻堂ではと錯覚しそうになる思考に頭を振り、自意識を確立させるために小さな声で名前を呼ぶ。虎若、とどこか頼りなげな声で呟いた言葉に、大きな体がゆっくりと顔を覗き込んだ。
 目は僅かに虚ろで、大きく荒く吐きだされる吐息が普段よりも荒々しい情事を予感させる。
「布団敷いてあるから、そっちに行こうよ。ここじゃ痛くて嫌だ」
 お願いと懇願する声に、一瞬見開いた瞳の下で不意に唇が吊り上がる。お願いはそれだけと問われた言葉に思わず返答も出来ず引き攣ると、伊助の体はやすやすと抱え上げられ、音を立てて布団の上へと落とされた。
 痛みに悲鳴を上げる暇もなく、被さった温もりに唇を塞がれる。
「ぅん……っ! ン、ふ……」
 性急に唇を割り入る舌先が強引に伊助の舌を引きずり出し、いっそ痛みすら覚える強さで吸い上げられる。知らず引き剥がそうと藻掻いた右腕を当然のように布団へと縫い付け、虎若は些細な抵抗など知らぬ顔で夜着を肌蹴させた。
 呼吸すらうまく行えない状態で胸元を抓り上げられ、伊助の体が大きく撓る。
「ひぅ……っ!? ふ、ゥあ……! とら、痛い……っ!」
 ようやく唇を開放され、涙目で開いた瞳を舐め上げられる。ぬるりとした感触に肩を震わせれば、こういった際特有の低く押し込めた声音が喉を揺らした笑いを漏らしつつ、可愛いと耳元で囁いた。
 ぞくりとした痺れが背中を駆け抜け、思わず拘束されていない左腕で広い背中にしがみつく。
 既に夜着の帯は解かれ、腕だけがその名残を残す。伊助の物と違い日々の筋肉トレーニングの成果の賜物で武骨な手が脇腹を掠めるように撫で回し、先ほど抓り上げられてぷっくりと膨らんだ胸飾りに歯を立てられる痛みにあえなく悲鳴じみた声を上げれば、見えないまでも唇がその場所で弧を描く感触が伝わった。
「虎ちゃ……っ! やぁ、やだ……!」
 痛みの中に、幾度も重ねた情事のために覚えこんでしまった快楽が体の奥で疼きだす。歯を立てられ爪を立てられ、いっそ捕食されているかのような感覚であるにも拘らず熱を上げていく体に羞恥が勝り、伊助はひどく紅潮した顔で拒絶の言葉を零した。
 けれどそれを眺めることに愉悦を感じる虎若に、その言葉は届くわけもない。
 きちんと身につけている物といえば下帯のみの状態で、しがみつけばそれだけ直接的に互いの熱が伝わる。もはや熱を持って勃ち上がり先走りに濡れるそれをやんわりと擦り上げられ、ふるりと震えた体を太い腕が抱き寄せた。
「嫌だなんて、嘘言っちゃダメだろ伊助。よい子でいないとお仕置きされちゃうぞ」
「ちが、嘘、じゃ……んぁあっ!」
「好い声。……俺さ、伊助の啼き声すっごい好き」
 だからもっと声上げてと呟いて、耳の下に強く痕を残す。吸い上げられる音が至近距離で鼓膜を震わせる卑猥さにまた嬌声が上がると、虎若はにんまりと笑んでガクガクと震える足を持ち上げた。
 汗ばんでしっとりと掌に馴染む感触を親指で楽しみ、自身も姿勢を低くしてその場所に舌を這わせる。
「はっ……、ぅン、ぁ……」
「……ここの肉、いいよな。ちょっと柔らかくて」
 喰いちぎりたいと漏れ落ちた言葉に、ぞくりと悪寒が駆け抜ける。思わず上半身を起こし覗き見たその瞳が狂人のような暗い笑みを浮かべているのを見つけ、額から血の気が下がる音を聞いた。
 考えるよりも早く両手が虎若の頬を包み、無理矢理引き寄せるように接吻ける。
 先刻感じた羞恥など忘却の彼方へ追いやり、虎若の意識を引き戻そうと必死に舌を絡める。唇の端から銀糸が流れ落ち、それが布団に至るのも気に留めず唇を食んでいた伊助がようやく舌を離す頃、目の前の瞳は僅か呆然とした表情で目を見開いていた。
 それに小さく安堵の息を吐き、泣き出しそうな目頭の熱さを隠して頬を擦り寄せる。
「酷くしていい、酷くしてもいいから。血に狂った世界に行かないで、虎ちゃん」
 戦仕事の後は興奮状態で血が騒ぐ。それはは組の他の面々も少なからず同意するところではあるものの、それでも潜入、撹乱、諜報、伝令を主とした場合には数度深く息を吸い込めば随分と穏やかに戻る。けれど虎若に至っては単独での実践実習後は血の匂いに浮かされたように、帰還後一晩を過ごすまでそれが治まらない。
「いつか帰って来なくなるかもしれないなんて考えさせるな。……頼むよ、お願いだから。私の知ってる虎若でいて。そのためだったらいくらでも優しくしてあげるし、いくらでも酷く扱っていいから」
「……伊助」
 戸惑うような声が名前を呼び、大きな手が背中へと流れ落ちている明るい毛色の髪を梳く。それに甘えてくてりと肩口に頬を寄せ、伊助はゆっくりと息を吐いた。
「入ってきていいよ、虎若。無理矢理裂いて、私の声、聞きたいんだろ?」
 にっこりと笑む表情に、太い喉が上下するのを目に留める。ごそりと動いた手が下帯に延びる感触に目を細め、首に腕を回して引き倒した。
 鎖骨に立てられた歯と這わされる舌先が、行為の再開を告げてぴちゃりと音をたてる。
「っふ……」
 下帯を解かれ、先刻の恐怖で萎えかけていた芯をやわりと撫でられ揉みしだかれる。ぞわりと浮き上がるような感覚に喉を反らせると、唾液で濡らしたらしい指が後孔をくるりと押し撫でる違和感に引き攣った声が上がった。
 じりじりと這入り込んでくる指先に、耐え切れず涙が浮かぶ。
「あ、イぅ……ッ」
「伊助が優しいから、少し慣らしてあげる」
 ぐちゅりと音を漏らしながら抜かれては刺し挿れられる指のもどかしさに悶え、震える指で虎若の肩にしがみつく。中へ入れられた指が押し広げるように折り曲げられれば、蝶骨から背筋にかけて覚えのある震えが駆け上がった。
 知らず、その先にある快楽に辿り着こうと腰が艶めかしく揺れる。
「はっ、ぁんンッ、ふぁ、あ、ヤ……っ」
「やぁらし」
 胸元を、首筋を、肩口を舐め上げていく舌先のぬめりにもその都度反応を返し、力を入れすぎた縋る指先が白く色を変える。体の上気に反して滑稽なほど冷たく温度を変えたそれに愛しげにちらりと視線を流し、虎若がずるりと指を引き抜いた。
 喪失感に伊助の喉がひゅうと音を立て、縋っていた指が外れて力なく布団へと落ちる。
「と、ら」
「うん、ごめんな。こっからは、マジで無理。優しく、出来ない」
 血の気配が恋しくて仕方ないと続けられた言葉に悲しげに眉間を寄せ、分かったと小さく了承を返す。あられもなく曝け出された場所に熱く猛る物を感じ、痛みを予測して唇を噛み締めた。
 瞬間、さして慣らされてもいない場所が引き裂かれるような痛みに、目の前に火花が飛んで見えた。
「イぁ……っっ!! い、っ、たい、痛い……っ!」
 情事自体の回数は重ねたとは言えど、ほぼ無理矢理に体を開かれる痛みに慣れるわけもなく苦悶の表情を零れ落ちる涙が濡らす。奥歯を噛み締めなんとか声を殺そうと努める伊助の頬に荒い息がかかり、切羽詰った気配が額を合わせた。
 自分のものでない汗が額で混ざり合い、髪を濡らす感触にまた涙が零れ落ちる。痛みと恋しさと慈愛が絡み合う胸の内に、思考が悲鳴を上げそうだった。
「とら、虎若、とら、ちゃん……っっ!」
 悲痛な呼び声に続き、音にならないまま、助けてと動いた唇に虎若の瞳が見開く。伊助と震えて呟かれた声に薄く瞳を開くと、そのまま背骨が軋むほど強く抱き締められた。
 その温かさに、もう一度のろのろと背中へ腕を回す。
「とらわか」
「っ、ごめんな、伊助。あとで、いっぱい怒っていいからっ」
「ぅん、そう、するっ」
 大好きと囁いて泣き濡れながらも笑む表情に幾度も接吻けを落とし、自制の効かない理性に眉間を寄せて虎若が荒々しく腰を打ち付ける。抉られる痛みに引き攣った声を漏らしつつも爪を立てないようにと気を遣いつつ縋る手が、とある一点を擦り上げられびくりと震えた。
「んぁっ、あっ、あァあ……っっ! ダメ、ヤだ、そこじゃ、私す、ぐ……っ、んんぁ……ッ!」
「うん、イッたら、いいよ」
「とら、虎ァ……っ! ぎゅって、ギュッてして……ッ!」
「……っ、…………いくらでも」
 抱き締めて耳元に舌を這わせ甘噛みを施し、腕の中で熱を上げる伊助が果てる締め付けにつられて虎若も次いで中へ吐き出す。いつの間にか戦の興奮の冷めた頭で苦笑を漏らし、惚けた様子で呼吸を整えながら甘えて頬を寄せてくる温もりに、未だ繋がったままの場所に再び熱が集まるのを感じた。
「……どうしようか。血の酔いはもう醒めたってのに、お前のせいでまた滾らされてるんですけど」
 こそりと耳打てば、蕩けていた表情に意識が戻る。見る間に赤みを増していく顔が部屋に怒声が響き渡らせる前にくしゃりと笑みを見せ、虎若はお付き合いよろしくと冗談めかして接吻け、布団の波に転がった。



−−−了.