――― 怪・御伽草子 序章
学園長から四年は組全員に呼び出しがあったのは、夏休みが明け、新学期が始まったその日の夕刻だった。
始業式を終えたと言っても授業があるわけでもなく、まだ到底夏休み気分の抜けずに賑わう学園内。特に下級生に至っては今日こそが夏休みの最終日なのだといわんばかりにはしゃぎ回り、それをどこか羨ましげに眺めながら十一人は学園長の庵へと足を進めていた。
耳を澄ませるまでもなく、町へ買い物に行こうと掛け合う声が聞こえ、残念そうに重い溜息が落ちる。
「……あーあ。これさえなきゃ、俺も町に出てバイトの一つでもこなしてこれたのになぁ」
がっくりと肩を落としたのは他でもないきり丸で、その言葉のあまりのらしさに周囲から笑いが漏れる。次の休みに手伝ってあげるからと慰めた乱太郎としんべヱの言葉に渋々口を尖らせ、それでもやはり気乗りしない様子でのろのろと歩いた。
そもそもなんの用件で呼ばれたのか仔細も告げられず、ただ担任の大木から学園町の庵に行けと指示されただけなのでいい予感がするわけもない。無論それが一人二人で呼ばれたのであれば些細なお遣いを頼まれるのかとも予想出来るが、十一人全員でともなればそんな予測は立つわけもなかった。
長屋の集まる一帯を抜け、池を過ぎればようやく学園長の庵が見える。自分達を呼びつけた張本人は縁側で風鈴の音を楽しみながら、恐らくは事務員にでも淹れてもらったのだろう煎茶を嗜んでいた。
その皺だらけの顔に隠れた目がこちらに気付くや否や、来たかと笑って手を掲げる。
「ようやく来たか。待ちかねてしまったではないか」
「そんなにお待たせしてはいませんよ。大木先生から窺って、すぐこちらに窺ったんですから」
機嫌良さげに笑う老人に、呆れた様子で庄左ヱ門が肩を竦める。所属する委員会の顧問ということもあってか、他の面々よりも随分とこの老獪のあしらい方に慣れてしまったらしい級長に思わず後ろから含み笑いが漏れた。
物怖じしないは組の様子に些か拗ねたように頬を膨らませ、学園長がこほんと咳払う。
「お主らは相変わらず、おかしな様子で肝が据わってしまっておるの。……まぁいい、まずは呼び立てた本題について話さねばならん。さすがに十一人もの人数をこの庵に招くわけにはいかんのでな、みな、暑いとは思うが庭で話を聞いてくれぬか」
座を正す学園の長の言葉に、是非もなく全員がその場に膝をついて頭を垂れる。物怖じしないとはいったところで目上の者に対する礼儀と尊敬の心だけはしっかり携えていることが見て取れる姿に、老人は満足そうに数度頷いて見せた。
ふむと一度顎を撫で、縁側から十一人を見下ろして口を開く。
「お前達。この世にはわしら人間や普通の生き物とは違う、妖魅や霊魂というものが存在することは知っておるな?」
出し抜けの一言に、頭を垂れたまま思わず数人の目が上がる。聞き慣れないこともない。むしろ望む望まないに係わらずなにかしらそういった類と接触を果たしてきてしまったは組にとって、何を改めてといった空気のざわめきがその場を包んだ。
それにすら嬉しげに頬を緩め、学園長は言葉を続ける。
「まぁ、知らんはずもあるまいな。この四年間、お前達が係わった妖怪の類は多岐に渡る。一年のときだけでも臨海学校の際に遭遇した海坊主や船入道、ボーシンに加え、お前達が大事に扱わなかった物に憑いた憑神、それに肝試しで封印を解いてしまった妖だったか。まったく、ここまでああいったモノを惹き付けるクラスも珍しいというものじゃ。この点のみで語るならば、伊作達や三郎達、それに孫兵達にも勝ると言わざるをえん」
楽しげでありながらも僅かに呆れたような語調を含める老人の言葉に、全員が照れたように視線を泳がせ、一部は頭を掻く。それを別に褒めたわけではないがなと笑い、老人はぽんと膝を打った。
その音に十一人が口を噤み、改めて向き直る。
やはり満足げに笑んだ学園長は、にっこりと笑みを浮かべたまま口を開いた。
「そこでじゃ。今日からお前たち四年は組には、妖怪や幽霊に関する揉め事全般の対処役を任せたい」
言葉に、一瞬の沈黙が落ちる。
「…………はい?」
まず最初に疑問符を呟いたのは乱太郎だった。
まるでそれまで普通に日ノ本の言葉を話していたはずの人物が突然南蛮語を話し出したかのような不可解さに、思いがけず間抜けな声が漏れる。しかしそれにすらにこにこと機嫌よさげな表情を崩さない学園長の様子に、今度は庄左ヱ門が眉間を寄せて口を開いた。
「えっと、学園長先生。質問をしてもよろしいでしょうか」
「なんじゃ。言うてみるがいい」
質問を許可した老人に対し一度思考を纏めようと逡巡する庄左ヱ門に、言ってやれ言ってやれと周囲から野次が飛ぶ。しかしそんな言葉は意にも介していないのか、質問内容を決定したらしい大きな目が一度ぱちりと瞬いた。
強く見返すような視線が、見上げる形で学園長を射抜く。
「その、妖怪や幽霊に関する揉め事全般の対処の範囲というのは学園の中だけに限定されるんでしょうか。それとも、は組がその場にいるならそれも全て含めるということでしょうか」
至極当然のように口に出された疑問に、今度は庄左ヱ門を覗いたは組全員がその場でがくりとバランスを崩す。その騒がしい気配に何事かと級長が振り向くと、周囲が一斉に食って掛かった。
「質問が違うだろ!? 範囲とかそういう問題じゃねぇだろ!?」
「そうだよ庄ちゃん、まずはなんで私達がその役になったのか聞かなくていいの!? っていうか、そんな役が必要なのかどうかを聞くのが先じゃない!?」
「それともあれか、もう受け入れちゃったわけか!? 早くね!?」
「あの説明だけで受け入れる準備が済んだとしたら、言っとくけどお前の冷静さは底なし過ぎて気味が悪いからね!? まず頭に浮かぶ言葉といったら、なにそれ? じゃないの!?」
各自の内心を代弁するように畳み掛けてきたきり丸、伊助、団蔵、兵太夫の言葉に、庄左ヱ門の目が大きく瞬く。物凄い勢いで怒鳴り散らされたその言葉の群れを全て理解し改めて噛み砕き、級長はやがて、あぁと呟いて手を打った。
「うん、そうだね。質問が違った」
こともなげな返答に、畳み掛けていた四人がへなへなと脱力する。どうやら冷静に見せかけて庄左ヱ門の内心ではかなり混乱しているらしいと察し、周囲の面々は困ったように苦笑を浮かべた。
それを壇上から楽しげに見遣り、老獪は朗らかな声を漏らす。
「まぁ、混乱するのも無理からん話ではあるがの。今まで同じ役を任せてきた者達も、皆一様にそのような反応をしておった。心配せずとも、きちんと説明はしてやるから安心するがよい」
にこやかに告げられた言葉に、未だ理解が及ばないために生じた興奮を抑えて元いた位置へと全員が戻る。やがてその十一の目が全て自分へ向けられているのを見ると、老人は一度傍らにある茶を啜り、短く息を吐いた。
「まぁこの役を任せた者以外には、この話は内密にしておるものでな。お主達が知らぬのも、また、このために混乱するもの無理はない。だがこの忍務は代々忍術学園の中で受け継がれてきた大事な役割じゃ。決してわしの思い付きから突発的にお主達に任せたものでないことだけは覚えておくがよい。……実はな。この夏休みまでの間この役を担っておったのは現六年である伊賀崎達だったんじゃが、さすがに就職活動をしなければならん時期になったじゃろう。それで前々から考えていた通り、お前達に任を譲ることにした。先にも言ったように、お前達は全員が妖魅と行き会い、その事態を解決してきた経緯をもある。それに山伏の見習いをしておる三治郎がいる分、少なからず他よりも知識を得やすいじゃろう。残念ながら三郎次達は四人じゃからな。数がよくないという理由で選ぶわけにもいかなんだ。四が死に通じては困るでの。とはいえ、別段危険なことをしろというわけでもないのじゃ。昨今は人の力が強くなり、昔のように妖魅が人前に現れることも出来なくなってきた。つまり勢力が弱まったんじゃな。無論それも世の流れ、諦めて時代に身を任せるものも多い中、それでも人が憎いのか害をなす者も増えておる。もしそういった類のものに行き会ったなら、それに対処してもらいたいという忍務じゃ」
さらさらと詰まることなく紡がれた説明に、それでも納得がいかず視線を交し合う。勿論それすらも今までの先達と同じ反応だとでも言いたげににこやかに受け流す学園長に、最早言っても無駄と考えたのか、庄左ヱ門が長く溜息を吐いた。
「……分かりました。案ずるより産むが易しということですね?」
諦めたように肩を竦めれば、もうそれ以上説明するつもりがないらしい老獪がにこやかに笑みを浮かべて立ち上がる。あとのことは大木先生に相談するがいいと笑った言葉に複雑な思いを抱えつつ、それでも仕方なくその場を立ち、庵に戻る学園長へ向けて一礼を返してその場を後にした。
行きとはまた違う複雑な思いに、十一の足音が重く引き摺る。確かに説明は受けたものの、まだ何も理解出来ていない現状に互いに困惑の目を見合わせ、ただただ重苦しい溜息を吐いた。
その沈んだ雰囲気のまま長屋に差し掛かる頃、前方から呆れたような声が響く。
「こらこらお前達。せっかく学園長先生から大役を預かっておきながら、えらく不景気な顔をしているじゃないか」
聞き慣れているばかりか、自分達に学園長からの呼び出しを伝えた担任の声に顔を上げる。大木先生と情けなく歪んだ声に、なんだどうしたとおおらかな表情が胸を張った。
「なにを情けない声を出している。不安がることなどないだろう? お前達が今までやってきたことと同じことをするだけだ。今からきちんとお前達にいろいろ話してやるから心配などするもんじゃない。悩み苦しむよりも、案外こういったことは遭遇してしまったときのほうがド根性で……」
「あー、いえ大木先生。そうじゃないんです」
元気付けようと大声を張り上げだした担任の言葉を遮り、乱太郎が遠慮げに手を挙げる。それを意外そうに見遣った大木に庄左ヱ門はただただ苦笑を浮かべ、その他の十人は照れた様子で頬を掻いた。
「不安とか怖いとかそう言うんじゃなくって、結局のところなにを言われたのかよく分かってなくって」
照れ笑いのまま声を揃えて告げられた言葉に、大木の口がぱかりと開く。呆れて物も言えなくなった担任の表情に、まぁそりゃそうですよねときり丸が笑って見せた。
未だ、長文で説明を受けると頭がそれを拒絶する癖は直っていないようだと理解し、情けなさに大木の肩が下がる。しかしまぁその大胆さと単純さがあってこその役割かと溜息を吐き、苦々しい表情で担任は長屋へと足を向けた。
「……いい、分かった。とりあえずお前達に分かるように説明してやるから、庄左ヱ門達の部屋に行くぞ。まったくお前らときたら、実戦経験ばかりが豊富で頭のほうはほとんど成長してないもんだから性質が悪い」
ぶつぶつと愚痴を零す担任の後ろに続きながら、すみませんと茶化して笑う。理解出来る説明さえしてもらえるのなら怖いものなどなにもないと言わんばかりに大笑した教え子達に、大木はやれやれと頭を掻いた。
−−−続.
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