食事も終え、空腹の満たされた面々は素早く入浴も済ませてから改めて、塵塚怪王の待つ庄左ヱ門達の部屋へと集合していた。
 食事の前に風呂へ入ろうとしていたのを、敢えて逆の順序にしたのにも理由がある。成金土地田ヱ門の土地に忍び入るに当たり、一番の障害は番犬のゼニの花は白い号であることは誰もが認めるところだった。
 足は遅いものの匂いには敏感なあの犬を騙すなら、例え微かであっても食事の匂いなどをさせて行くわけにはいかないというのが総意とも言える。
 そのため、再度集合したときには全員が微かに頬を上気させたまま、忍び装束と私服とに分かれて腰を下ろしていた。
「食事の最中にも少し話したけど、今回の作戦では二手に分かれる。私服組はしんべヱ、兵太夫、乱太郎、金吾、伊助、そして僕。こちらはゼニの花は白い号をひきつける担当だ。匂いに敏感なことを逆手にとって、猪肉の乾物などでおびき出す。ゼニの花は白い号が来たらほぼ同時に土地田ヱ門も来るだろうから、あくまで怪しまれないように振舞うことが重要だ。双方警戒心がやたらと強いからね。むしろゼニの花は白い号の顔が見たくなったとか言って、土地田ヱ門を追い返そうとした方が付きっ切りになってくれるかもしれない」
 提案を含んだ指示に、名を呼ばれたそれぞれは無言のままに首肯を返す。それを見止め、庄左ヱ門は今度は装束に身を包んだ面々へと顔を向けた。
「忍び装束の団蔵、虎若、三治郎、きり丸、喜三太はその隙に屋敷の中に入ってくれ。どんな葛篭にだったかくらいは覚えてるだろうから、探すのはそこの二人に任せて、残りは周囲の警戒を。もしこちらがしくじって戻られても、すぐに対応出来るようにしておいてくれ。それと……兵太夫」
 指示をするや否や、兵太夫へと向き直る。
「一応なにかあった時のために罠を二つほど頼むよ。出来ることなら、やっぱり屋敷に戻られるような危険は犯したくない。だけど土地田ヱ門は僕らが忍たまだとは知らないからね。こちらが仕掛けたものだと気取られないようなものをお願いしたいんだ。出来るかな」
「絶対なんて確約は出来ないけど、それでもいいならいくらでも」
「勿論。信頼してるよ、カラクリ技師」
 自嘲に目線を泳がせる兵太夫に対し、庄左ヱ門は指示通りの物を期待した満面の笑みを向ける。その無言の圧力にも似た重い信頼感に、うちの級長はこれだから怖いと唇を引き攣らせた。
「各自の得意分野に関しては、無理って言葉を聞いてくれないんだから」
「無謀なお願いをしてるつもりはないからね。今の兵太夫の実力なら確実にやってくれると思って指示してるんだよ」
「出来るかな? って聞いておきながら否定を却下するところが怖いって言ってんの」
 まったくもうと唇を尖らせながらも眉間を寄せ、カラクリの仕掛けへ思考を廻らせ始めた兵太夫に周囲も無理とは思っていないのか苦笑で見守る。一見無茶振りとは思える注文も、結局はなんとかしてしまう技術の高さを知ってこそと誰もが理解し、さてと手を打った級長へと視線を集めた。
「じゃあ二手に分かれて行動開始だ。兵太夫、必要そうな荷物があったらとりあえず一通りしんべヱに持ってもらって移動しよう。団蔵、くれぐれもヤケを起こして屋敷の中の物をひっくり返したりしないようにな。大きな音を立てたりしたらさすがに引き止めてられないぞ」
「分かってるっての!」
 苦言を拳を掲げることで了承し、団蔵は侵入班を伴って部屋を出る。その背中を困ったように見送り、庄左ヱ門は道具を取りに出た兵太夫を尻目に部屋の中央へと目を遣った。
「お待たせしました、塵塚怪王さん。僕らは土地の中には入りませんから、ご一緒しませんか? 無事に事が終えられるか、きっと気になっていらっしゃると思いますし」
「ふん。得体のしれんモノに気遣いとはご苦労だな、小僧。……が、その申し出、ありがたく受けさせてもらおう。なんせこんなのは初めてのことなんでな、些か戸惑っちゃあいるんだ。近くで一部始終が拝めるんなら、それに越したこたぁねぇ」
「はい、是非に」
 にっこりと笑んだその表情に、なにか裏を感じたらしい伊助が眉間を寄せる。そのままつつと身を寄せ、軽く肘で脇腹をついた。
「……なにか企んでる?」
「いいや、企みと言うほどのことじゃない。今までの経験上、妖怪を連れていると他の怪異が姿を現しやすいみたいだと思ってね。貧乏神の時とか、うみ坊主のときとか、あとほら、訓練山にいた妖怪達も群れてたろ? もしそうなら他の怪異に遭う危険も多少は上がるけど、葛篭のほうから見つけられやすいようになにか動きを見せてくれないかなと思ってさ。それでお誘いしたんだよ」
 悪びれる風でも、まして隠し立てすることでもないといった風にあけすけに話す言葉に、そういうことかと安堵の息を漏らす。そんな二人の遣り取りを鼻で笑いながらも、ゴミの王はひょっこりと庄左ヱ門の肩へ飛び移った。
「まぁ、この小僧の読みもあながち外れてはいねぇやな。こういうモンってのは同じモンに惹かれる。一ついりゃあ集まりやすいんさね。特に件の葛篭の中身は俺に解放されたくてウズウズしてるはずだ。そこに物欲の塊から逃がしてくれる奴が現れたってンなら、主張程度はするだろう」
「そういうもんなんですか?」
 事も無げに話される内容に、横で聞き入っていた乱太郎も苦笑を漏らしつつ首を傾ぐ。それを気にも留めず、ゴミの王は急かすように庄左ヱ門の肩を遠慮なく叩いた。
「ほれ、それなら早ぅ行かんか。夜半になれば、冗談でなくほかの怪異まで寄って来てしまうぞ」
「そうですね。よし、じゃあそろそろ僕達も行こうか。兵太夫、荷物持った? 乱太郎、猪肉は持って来てくれてるよね?」
 問い掛けに、隣にいる乱太郎だけでなく木戸から顔を覗かせた兵太夫もがにこやかに笑みを見せる。肩に担がれた縄だけでなく、よく見れば既に縁側の向こうへと降りているしんべヱが大きな道具箱を背負っているのを目にし、どうやら本当に準備な万全らしいと腰を上げた。
「乱太郎は念のため、連絡があるまで待機していてくれ。猪肉の匂いで、兵太夫が仕掛けを組む前に寄って来られたら厄介だ」
「了解。数間ほど後ろを歩いて、土地田ヱ門の家が近付いて来たら離れて待ってるよ。連絡方法は?」
「金吾に走ってもらう」
「僕は今回、伝令役なのか」
「大事な任務なんだから、そんな不満そうにするなよ」
 不貞腐れたような顔を見せる金吾の肩を叩き、伊助が宥めつつ起立を促す。いよいよ行動開始の時間と見て、それぞれが体の筋を伸ばすように軽い柔軟運動を見せた。
「さて、前代未聞の付喪神救出作戦だ。相手は素人と言っても強欲の塊で警戒心は人一倍。慌てず騒がず侮らず、全力を以ってお相手つかまつろうか」
 ぱきりと音を立てて鳴らされた指に呼応し、思い思いの応答が返る。それに楽しげに喉を揺らし、庄左ヱ門は署名済みの出門表をひらりと取り出した。


 ■  □  ■


「おいでおいでーゼニの花は白い号ー。美味しいおいしー猪肉だよー」
 陽も山向こうへ沈む頃、猪肉を手にした乱太郎が満面の笑みで犬を呼ぶ。屋敷から随分と離れているはずの、縄で区切られた敷地の端の端。例えその香ばしい匂いが風に乗ろうとも、その場で燻しているわけでもないその香りが屋敷内にいると思われる犬に届くとも思えない距離だった。
 とは言えど、その場の誰もが件の犬の嗅覚の凄まじさは身を以って知っている。例えそこが屋敷の真ん前であろうとこれだけ離れていようとも、そこが敷地の内である限り、ゼニの花は白い号がやって来るということは全員が確信しきっていた。
 そして予想に違わず、重い物が跳ねるような音を立てて白い体が近付いてくる。無論のことその隣には飼い主である成金土地田ヱ門が同行しているのを目にし、乱太郎はちらりと仲間に目配せ、作戦の順調さにこっそりと拳を握った。
 意気揚々と飛びついてきた丸い体を親愛の情たっぷりに撫でてやり、握った猪肉を差し出してやる。すると思わぬご馳走に鼻を鳴らした犬は、期待に満ちた顔で乱太郎を見上げた。
 しかしその隣で怪訝な顔を見せた飼い主が、夜分になんの騒ぎだと眉間を寄せる。
「なんだお前ら、よくわしの土地に勝手に入ってはどつかれもせずに逃げていくクソガキ共じゃないか。今日は大人しくどつかれに来たのか」
「誰があんな痛そうな棍棒にわざわざどつかれに……って、いやいやそうじゃないんですよー、成金土地田ヱ門さーん。私達、今日はゼニの花は白い号にお土産を持ってきたんですー。それに今日はこの縄を越えてないですし、まだ怒られる範囲じゃないでしょー? むしろ縄を超えてるのは、ゼニの花は白い号の方じゃないですかーぁ」
 思わず吐き捨てそうになった憎まれ口を慌てて取り消し、繕った笑顔でにこにこと媚を売る。そのわざとらしいとか言えない表情に土地田ヱ門はますます眉間を寄せ、疑わしげに顎を突き出した。
 慌てず、しんべヱが後を引き継ぐ。
「美味しい猪肉がいーっぱい手に入ったんですー。それで僕達、ゼニの花は白い号に少し分けてあげようと思って。ほら、気にしないで食べたらいいんだよー。じゃないと僕が我慢できずに食べちゃうかもしれないからねー」
 既に乾し肉の匂いに食欲が刺激されているのか、しんべヱの口の中から唾液を飲み込む音が聞こえてくる。それに些か本気の苦笑を漏らし、伊助がこらこらと後頭部を叩いた。
 その隙に、庄左ヱ門が乱太郎の隣に移動する。
「土地田ヱ門さんはご存じないかもしれませんが、ゼニの花は白い号は散歩で外出しているとき、なにかと僕達に会っているんですよ。それでまぁ、偶然の逢瀬でも度重なれば愛着も湧くというか……。こう言っては申し訳ない限りですが、あなたは地元でもその人有りと謳われるほどのドケチですから。正直この子が普段なにを食べさせてもらっているのか、かなり不安があるわけです。それでせっかく手に入れた猪肉をお裾分けに来たという次第なんですが、なにか問題はありますか?」
 いけしゃあしゃあと流れるように紡ぎ出される言葉に、土地田ヱ門は思わずうろたえるように一歩後退し、代わり、庄左ヱ門の肩の上でしゃがれた笑い声が漏れる。無論のことそれは塵塚怪王の声であったものの、やはり土地田ヱ門にはその姿が見えてもいなければ聞こえてもいないのか、まったく気にした風もなく悔しそうに奥歯を噛んでいた。
 が、ゼニの花は白い号の耳が動き、庄左ヱ門の肩に前足を掛けて首を傾ぎながら鼻を鳴らす。
 思わず見ている五人の背筋を冷たいものが走る。
「あぁ、悪いね。来る前にちょっとゴミ置き場に倒れこんじゃったから、その辺は少し臭うかもしれない。あまり嗅ぐと鼻が曲がるかもしれないからあまり近付いちゃいけないよ。相変わらず変な臭いには敏感なんだね。美味しい猪肉があるって言ってるのに、ゴミの臭いの方が気になるなんて」
 さらりと虚言を吐き出し、柔らかな頭を撫でて肩から足を下ろさせる。そのあまりの鮮やかな弁舌に、肩の怪はほほうと感心した声を漏らした。
「さっきから思っておったが、なかなかに口が立つじゃないか」
「それが役目ですから」
 楽しげに笑う声に対し、口の中で囁くように小さく返答する。それが万一にも土地田ヱ門に聞こえたりしないようにと、伊助、そして金吾もが猪肉を手に丸い犬へと差し出す。その芳しい香りに持ち前の警戒心も限界なのか、ゼニの花は白い号は必死の目で飼い主を見返った。
 その視線に、土地の主人はガリガリと頭を掻く。
「土産ってことはタダなんだろうな。そんならその猪肉、わしに渡すがいい。家に戻ってからゆっくり食わせてやる」
「えー、嫌ですよ。だって土地田ヱ門さんだったら絶対大半は自分で食べちゃって、こいつにはちょっとしかあげないんでしょ? それじゃ意味がないじゃないですかー。ほら、いいからここで食べろって。でないとお前のご主人、お前の肉をぜーんぶ自分の物にしちゃうぞ」
 横柄な態度で手を差し出す土地田ヱ門の手を叩き、兵太夫が胡散臭そうに流し見る。そのまま乾し肉を鼻先に突きつけると、ゼニの花は白い号はもう我慢が利かなくなった様子で肉に齧り付いた。
 歯噛み音すら漏らして一心不乱に肉を食べるその姿に、六人は顔を見合わせて作戦の成功を表情だけで喜んだ。
「ま、そういうことで用があるのはこの子だけですんで。土地田ヱ門さんは家に戻ってもらってもいいんですよー? 私達、おなか一杯になってご機嫌になってくれるのを見てから帰りますからー」
 些か嫌味なまでに、わざと戻ることを唆して乱太郎が唇を歪める。その仕草に犬がようやく自分達の好意を受け取ったことを喜んでいるわけではないと感じた土地田ヱ門は、顔色を変えて声を荒げた。
「こっのクソガキ共! さてはゼニの花は白い号の気を猪肉で惹き付けておいて、わしが帰ったあとにこの土地に入るつもりだな!? そう簡単に事を運ばせてたまるものか、お前らの考えなんぞわしはお見通しだからな! うちの犬に餌をタダでやってくれるというのなら甘えてやってもいいが、その代わりわしはここを一歩も離れんぞ!! さぁその手の中の猪肉、全部をゼニの花は白い号にやってくれ。そいつを見届けるまで、わしはお前達を見晴らせてもらうからな」
 ふふと不敵に笑ってみせる土地田ヱ門の言葉に、えぇと不平の声を上げる。それをまた満足げに見てくる顔に、見えないように舌を出した。
 既に屋敷に忍び込める程度の時間は稼いだ。あとは団蔵達が無事に目的のものを見つけて盗み出し、作戦終了の合図を上げてくれるのを待つばかり。
「首尾よく運んでくれりゃあ助かるんだがな」
 呟かれたゴミの王の言葉に、自分達の毎度の騒動を回想し目を泳がせる。しかしそれでも今は仲間の仕事を信じるしかないのだと乱太郎は頬を掻き、ちらりと持参した乾し肉の数を数えた。



−−−続.